きっかけは膝の手術
両親も70歳を超え、いろいろと持病を抱えるようになりました。両親ともに血圧が高いので、毎日の血圧測定と血圧の薬の服用は必須です。さらに母は甲状腺の数値が安定しないので、その薬を飲んでいました。
父は体を動かす仕事なのにもかかわらず膝が悪く、2年前に手術をすることになり、その際の精密検査でカリウムの数値が悪いことが判明! 医師から果物、特にバナナはカリウムの数値が悪くなるので控えるように言われました。
ただ、果物が大好きな父はついつい好物のバナナや果物を摂取してしまうため大量の薬でコントロールするようになりました。
父の急病を知らせる電話が!
ある日鳴った、早朝の電話の呼び出し。出てみると慌てた様子の母からでした。「お父さん、手がしびれて動かないって言っている。救急車を呼ぶから来て!」と。
半年ほど前も最高血圧が200を超えてしまい、念のため救急車を呼んでいました。前回救急車を呼んでさほどたっていないため、母も短い期間に再び呼んで良いのか迷ったそうです。でも、手がしびれて動かないという事態に母も何かを感じ取り、即119番。
6時45分くらいに父が新聞を取りに行く→手がおかしいことに気付く→母に手が動かないことを伝える→7時少し前に母が救急車者を呼ぶ。救急車を呼ぶまで10分でした。
検査の結果は脳梗塞。異変に気付いてからの行動の早さに医師も感心されていました。血栓を溶かすための薬が投与され、さらなる検査の結果、動脈瘤が2個見つかりました。
半年前に血圧の上昇で救急車を呼んだ際の検査で動脈瘤が発見され、現在は経過観察中でした。そのときは1個だった動脈瘤が2個に増えていました。
小さい会社を母と2人で経営している父は、自分が動脈瘤の手術をすることで会社がストップすると思い、これまで手術に踏み切れなかったようです。しかし、今回はさすがに腹をくくってくれたらしく、手術を承諾してくれました。
残ってしまったまひ
動脈瘤の手術は成功し、その後の経過も順調です。影響があったのは脳梗塞のほうでした。
治療が早かったため、深刻なまひは残らずに済みましたが、左側に後遺症が出ました。最初にしびれた左手はいまだに動かしにくいまま、左足は歩けるものの以前のようにスタスタとはいかずに歩くとつらそうです。
リハビリの効果もあり日常生活には支障はないものの、疲れやすくなり、横になることが増えました。次回また同じように脳梗塞が起こったら、今回のような比較的軽い後遺症では済まないと医師からも言われています。そうなれば年齢から考えても介護が始まります。
体も大きく体重もある父を介護するには、母ひとりでは無理。そのため、今回のことで実家の経済状況や今後のことを真剣に考えることになりました。
施設に入るにしても自営業の父にはお金もさほどなく、足の悪い母には無理はさせられず。わがままで頑固な父が素直に施設に入るとも思えません。
かといって子どもにお金がかかり、家族のある私と兄弟が仕事を辞めて介護に専念することもできません。今までおざなりにしてきた問題が、自分に迫ってきた感覚です。
ある程度のお金を残しておくこと、兄弟と母とでこれからのことを話し合うきっかけとなった父の入院、手術でした。
まとめ
その後も父の血圧や体調に一喜一憂する私たちなのですが、年齢を考えても今どうなってもおかしくないことは事実なので、覚悟しておかなければと考えております。
次回脳梗塞を再発し、深刻なまひが残った場合は今のようにフルタイムで私が働きながら介護を手伝うのは難しいため、ヘルパーの方や福祉の手を探しながらになると予想しております。
家族だから乗り越えられるというような甘いものではないことはわかっているので、母や私が破綻しないような策を考えていきたいと思っています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
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著者:まさみ
中学生と小学生の男の子を持ちフルタイムで働いている。昨年化粧品メーカーを辞め、別の業種に。慣れない仕事と化粧品業界のときと変わらない「女同士の上辺の関係」を生暖かく苦しみながら見つめる日々。帰れば子どもの送り迎えと家事に追われ、趣味だったスキンケアもできずカサカサな肌となる。