顔中が熱く腫れ上がる、耐えがたい不快感
あれは、忘れもしない48歳の夏。日焼け止めを塗って庭のお手入れをしていると突然、顔中が熱く、腫れ上がるような感覚に襲われました。耐えがたい不快感で、すぐに室内に入り鏡を見ると、顔中が真っ赤で、目元や口元、頬までボコボコに腫れてしまっていました。
最初は日焼け止めや化粧品の影響を疑い、その場で顔を洗い、その日は濡らしたタオルで冷やして過ごしましたが、翌日になっても赤みが残り、じんじんとした違和感が続いたため、近くの皮膚科を受診することにしました。
皮膚科の医師の診断は「日光じんましん」。初めて聞く疾患名でしたが、その名のとおり、「日光に当たった皮膚がアレルギー反応を起こして出るじんましん」と説明を受けました。肌は強いほうではないと自覚していたものの、これまで48年間、日光に当たっても何もなかったのに、突然症状が出たことに驚きました。
日光が怖い、外出が怖い…
皮膚科を受診してからは、ステロイドを含む塗り薬を中心とした治療が始まりました。日光の下に出るときは、日焼け止めをしっかり塗って、皮膚を露出しないようにと医師からのアドバイスがありました。そこで、これまで縁のなかった二の腕までの長い手袋やサンバイザー、UV加工の長袖パーカーなどを購入し対策しました。
しかし、塗り薬で少しずつ症状が改善しても、少しでも強い日差しに当たると、あっという間にパンパンの赤ら顔に逆戻りしてしまい、日差しの弱い早朝や夕方しか外出できなくなってしまいました。
外出するときは、顔が見えないほど目深にサンバイザーをかぶり、真夏なのに長袖・長ズボン、首にはストールを巻いた重装備。私自身が気にするあまり、周りからジロジロ見られているような気がしてストレスでしたし、実際に不思議そうに見つめてくる人もいて恥ずかしい思いをしました。
そして次第に日光が怖い、外出が怖いと感じ、家にこもるようになってしまったのです。
他人の反応が気になり…人に会うのもおっくうに
私は当時から専業主婦で、娘たちは中学生だったので、自分の都合で外出時間のやりくりができたのは助かりました。しかし、部活動や学校行事など娘たちの都合で日中に外出しなければならないこともあり、その際はいつもの重装備。顔見知りの親御さんからは「どうしたの?」と心配そうに尋ねられたり、悪意なく「日焼け対策?すごいね~!」と声をかけられ、人に会うこともおっくうに感じていました。
私がひどく気にして、落ち込んでいると知っていた娘たちは何も言いませんでしたが、母親に向けられる好奇の目は敏感に感じ取っていたことでしょう。娘たちの前で明るく前向きに振舞ったり、異様な重装備で「ごめんね」と謝ったりできなかったことは申し訳なかったですが、それができないほど当時の私は常に気がめいっていたのです。
やっと軽快した今、冷静になって思うこと
薬が手放せず、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら2~3年。やっと、日中に外出できるようになりました。当時の忌まわしい記憶は鮮烈で、今でも日差しの強い時間や場所に出るときは、お守りのように、長袖の羽織物とサンバイザーを持ち歩いてしまいます。
振り返ってみると、日光じんましんが出た当時は、親の介護問題や、私自身の更年期障害の症状を抱えていた時期でもありました。冷静に考えてみると、ストレスや更年期障害の影響など、いろいろな可能性を考えて、他の診療科を受診したり、セカンドオピニオンを求めることも方法の1つだったかもしれない、そうしていたらもっと早く軽快したり、精神的に救われていたかもしれないと思うこともあります。
まとめ
連絡が途絶えた2~3年の間に、先輩が日光じんましんに苦しんでいたとはまったく知りませんでした。当時に話が聞けていたら、代わりにいろいろ調べたり、セカンドオピニオンを勧めるなど、私にもできることがあったのではないかという思いも。自分がいっぱいいっぱいになっているときほど、周囲に吐き出して相談することも大切なのではないかと思いました。
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※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
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