小学5〜6年生のころ、家ではゲームをして現実逃避していたわたしちゃん。夏休みには明け方までゲームをしていたため、急激に視力が落ちてしまいます。
クラスメートが家族との夏休みの思い出を話し合う様子を横目に、「自分だけが不幸」と感じていたわたしちゃん。クラスメートとうらやむ気持ちを我慢したり、諦めたり……。
そして、「自分は悪くない。親のせい」と、母を恨まなければやってられない状況に陥っていました。
醜い姿の自分に…
小学校低学年のころ、唯一覚えている家族で外食した思い出。珍しくわたしちゃんのわがままを聞いてもらい、ファミレスに出かけました。
「私、これがいい!」
「え!? そんな高いもの頼むの!?」
入院する以前に陽性症状があった母は、メニューを見ながら驚き、わたしちゃんが選んだメニューを否定しました。
「自分はお金をかけてもらう価値ないんだって思っちゃうよね」
大人になったわたしは、当時のわたしちゃんの思いを振り返ります。
「いろんな思いを受け止めてほしかったね。自由にわがまま言っていいんだよ」
このころのわたしちゃんは、「他人に不満に思われない程度に、思いを抑えなければならない」と感じるように。
「『自分なんて……』という無価値感が植え付けられた出来事」と大人になってから振り返ります。
小学校高学年のころ、劣等感を抱くことが多くなったわたしちゃん。太っていること、歯並びが悪いこと、荒れている皮膚、分厚いメガネ……さまざまなことが重なり、「私って、すごく醜い……!」と思っていました。
「家庭環境が悪い上に、醜いなんてまさに不幸」
「親が生活や食事に気をつけてくれていたら、大丈夫だったかも」と悔しさを感じていたわたしちゃん。「自分は不幸、世の中は不公平だ」という気持ちが強くなっていくのでした。
「自分は醜い」と感じていた当時のわたしちゃんに、「そんなことないぞー! 絶望しないでー!」と語りかけた大人になったわたし。「どんな姿でも大事なわたしちゃんだよ」と、前向きな言葉をかけました。
大人になったわたしが当時のわたしちゃんを励ましたように、思春期に感じる見た目のコンプレックスは一時的なものなのかもしれません。もし、子どもが自身の容姿で悩むことがあれば、寄り添う気持ちを忘れずに、自分に自信を持てるような言葉をかけてあげたいですね。