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突然の余命1カ月宣告…「もう心残りはない」と話す父をみとるまで【体験談】

私の父が肝臓がんだとわかったのは、体調がかなり悪化していたときでした。今まで大きな病気をせずに元気だった父が、急に痩せ、歩くことも困難になってしまったのです。ここでは、父をみとるまでの2カ月の介護の話をお伝えします。

この記事の監修者
監修者プロファイル

医師里村仁志先生

里村クリニック院長(埼玉県さいたま市南区大谷口5320-1)。消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。
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変わり果てた父との再会

実家と私の家は飛行機が必要な距離で、最後に父に会ったのは2019年でした。コロナ禍もあり、電話でのやりとりはしていたものの、なかなか実家には帰れていなかったのです。

 

2021年の7月、父の調子が悪いと母から連絡が入りました。今まで食欲不振や吐き気という症状があったものの、病院嫌いの父は断固として病院に行かなかったのです。父を説得するために、私は実家に戻り一緒に病院に行きました。父は見たことのないほどに痩せこけていて、「これはただごとじゃない」と感じたのです。

 

病院に行き、さまざまな検査を経てわかったのは、ステージ4の肝臓がんという診断。手の施しようのないほどがんが進行しており、全身に転移しているということでした。余命はあと1カ月。なぜもっと早く病院に連れて行かなかったのか、母を責めてしまいました。医療の力でできることは、痛みを取り除くことのみ。これから私たちの看護が始まりました。

 

看護にあたった2カ月間

病院は感染症対策のために自由に出入りができない時期でした。腹水がたまって、体調も悪かったので2週間ほど入院していましたが、病院嫌いの父は「早く退院したい」と常々言っていたため、自宅で緩和ケアができないかどうかを調べ、退院させました。最後くらい自宅で過ごさせてあげたいと思ったのです。

 

病院では薬の影響からか、せん妄(注意や理解、記憶などの機能が低下すること)があり、会えても暴言を吐かれてつらい気持ちになりました。「自宅看護はどうなってしまうのだろうか」という不安はありましたが、訪問看護のスタッフやケアマネージャー、緩和ケア科の先生が連携してくれたので、看護未経験の私と母でもなんとか対応できたと思います。密に連絡をくださって、心配なことはいつでも相談できたので本当にありがたかったです。

 

自宅に帰ってきた父は、入院時とは打って変わって穏やかになり、看護師や主治医の訪問診療を受けて、それから2カ月家族で過ごせました。ほとんど寝て過ごしましたが、起きているときにはしっかり会話もでき、父は「もう心残りはない」と言っていました。

 

 

まとめ

余命1カ月の宣告でしたが、最後穏やかに過ごせたのは、自宅での緩和ケアができたからだと思っています。介護未経験で専門知識がなくても、看護スタッフのおかげで父をみとることができました。あっという間の2カ月間でしたが、できることはやりきったという気持ちです。

 

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。

 

取材・文/高橋結衣

 

 

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