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「あなたが使って」阪神・淡路大震災で助け合った女性たち。当時の少女が被災を経て学んだことは

阪神・淡路大震災を経験した私。当時、生理用品が手に入るのかもわからない状況の中だったため、生理がきたとき、周りの方にとても助けられて……。

身も心も幼かった私

小柄で発育が遅く、性的な事柄にも関心の薄かった私。性教育の授業も頭上を素通りするばかりで、どこか他人事のように考えていました。

 

そんな私に初潮がきたのは、15歳になる2カ月ほど前。特別な驚きや恐怖は感じなかったものの、体調の変化に慣れるには少し時間がかかりました。ナプキンの吸収力に驚いたり、ナプキンの香りを楽しんだりしながら、自分に合った商品を探していた日々を思い出します。

 

阪神・淡路大震災

1995年1月17日午前5時46分、激しい揺れと地鳴りの中で私は目を覚ましました。真っ暗闇に包まれた部屋を手探りで進み、取るものも取らずに逃げ出しました。

 

6,432名もの尊い命が奪われた、近畿地方きっての大震災。

 

私の場合、命があっただけで奇跡的だったようなものです。前夜に何か予感がし、いつもと眠る位置を変えていたおかげで、倒れてきた家屋の下敷きにならずに済みました。

 

幸いにも家は半壊の指定に留まったため解体命令を免れましたが、しばらくは立ち入りを許されない状況でした。

 

ピンチを乗り越えた女性たち

災害時でも生理はきます。しかし、お店はしばらく再開されず、生理用品が手に入るのか不安な状態でした。

 

そんな中、避難所となった小学校では、自衛隊の方々が炊き出しやお風呂を提供してくださり、全国からの救援物資には食品のみならず生理用品や下着、防寒具も含まれていました。大きな愛に包まれた女性たちは、貴重な物資を分け合い、支え合いながら特別なピンチを乗り越えたのです。

 

 

阪神・淡路大震災を通じて、少女だった私はもしものときの準備と、思いやりの大切さを学びました。あれから29年もの歳月が過ぎましたが、今でも私は外出時にナプキンを持って出かけるようにしています。非常時の自分用と、困っている誰かのための備えになればという思いからです。生理期間は体がつらいだけでなく、心も疲れやすくなります。そんなときほど、思いやりの輪が何重にも広がることを願ってやみません。

 

著者/匿名
イラスト/sawawa

 

監修/助産師 松田玲子
医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。

 

 

 

ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!

 

 

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