モラハラ夫からの突然の解放!
私は専門学校を卒業してすぐ夫と結婚し、一度も働いたことがありませんでした。働きたいと話しても、夫から「お前が働くなんて、世間の迷惑になる。おとなしく家事に専念していろ」「お前は何をやってもダメなんだから」と諭されてきました。そのため、離婚したら自分は生きていけないのだろうと思い込んでいました。夫からも事あるごとに「俺の言うことを聞かなければ離婚だ、そうなれば生きていけないぞ」と言われていました。
そんな日々が続き、私が30歳をすぎたころのことです。いつものように「もう離婚だ!」と騒ぐ夫に対して、今思い返しても本当に不思議なことなのですが、なぜか考えるよりも先に「そうしよう」という言葉が、口をついて出ていたのです。
私の普段とは違う返事に夫は一瞬戸惑ったものの、プライドが高い夫は自らの発言を撤回するのが嫌だったのでしょう。それから離婚の話は意外にもとんとん拍子で進んでいきました。
生きていくために仕事を掛け持ちする毎日
すぐに働き出さないと生きていけなかったため、未経験者でも応募OK・即採用していた接客業のパートに応募しました。言葉通り即採用されたものの、フルタイムではなかったため、この仕事だけでは生活費がとても足りません。そこで接客業のシフトを軸に、空いている時間には仕事をどんどんと詰め込みました。午前中が空いているときはピザ屋の配達、夜間が空いているときはカラオケ店の清掃、その上で休日はWebライター……といった具合です。
離婚前の精神的なつらさに比べれば、掛け持ちの仕事の肉体的な大変さなど比べものにならないほどに小さなものでした。まったく問題ない、当時の私はそう思っていたのです。
突然訪れたピンチとチャンス
しかしそんな生活を続けてきたせいか、ある日ついに体を壊してしまいました。家計は常に自転車操業だったため、体を壊すことは生きていけないことと同じことを意味します。
ついにどうにもならなくなった私は、わらにもすがる思いで行政の相談窓口へ向かうことにしました。窓口の方に今までのことについてお話しすると、メモを取りながら丁寧に耳を傾けてくれました。その上で職業訓練校に通う選択肢はどうか、と提案していただきました。
職業訓練校は退職した人が失業保険期間中に行くもの、というイメージがあった私は驚きました。しかしどうやら、私は何カ所も掛け持ちで働いており、どこの職場からも雇用保険がかけられていない状態であったため、給付金をいただきながら職業訓練校に通うことができる状態であるとのことでした。
私自身、接客業に携わる中で、接客よりも棚卸しや売上のデータを集計することのほうが好きであることに気付いていました。しかし、資格がないから事務系の仕事には就労できないだろうと諦めていました。これは好きな業種に携われる絶好のチャンス!と思った私は、事務系の資格が学べる訓練校を選んで通うことにしました。
いざ学校へ通ってみると、学生時代とは違い生活がかかっているため授業にも身が入ります。さらに、資格のための勉強だけでなく、履歴書や職務経歴書の書き方、ビジネスマナー、ビジネスメールの書き方などの、キャリア不足を補える事柄についても併せて教えていただくことができました。
そして取得した資格をもとに、掛け持ちをせずとも暮らしていける上に、より適性のある職業に就くことができました。
まとめ
仕事の経験や資格がないことが離婚において最も大きな懸念事項でしたが、それが解決した今は、離婚前と比較して何一つマイナスのない生活ができていると思っています。
モラハラ夫にも就労環境にも、困り果ててにっちもさっちもいかなくなる前に、早めに行政や相談窓口に頼るべきだったと、今では反省しています。どんなにつらく苦しい状況であっても、自ら外に目を向け、積極的に情報を集めていく姿勢を常に持って生きていこうと思っています。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:遠藤ちよ/30代女性・主婦
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2024年12月)
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