大好きだった祖母の衰え
やさしいけれど、叱るときはとても怖かった祖母。そんな祖母が、85歳を過ぎたころから少しずつ体が弱り始め、90歳を超えたころには足腰が衰えてトイレにひとりでは行けなくなりました。
祖母は私と同じ部屋で寝ていたので、ポータブルトイレを置いて、掃除など祖母の身の回りのことをすべて私が担当していました。朝起きた祖母はいつも、穏やかに「本日もよろしくお願いいたします」と笑顔で言ってくれます。その言葉に励まされながら、私は朝食のパンを焼いて食べさせ、体を拭き、薬を飲ませ、それから出勤する毎日でした。
大好きな祖母だったから
同居している兄も手伝ってはくれましたが、当時はまだ学生だったので、家計を支える仕事まではしていませんでした。そのことで口論になることもありましたが、両親も忙しく、祖母を見ている余裕はないようでした。施設という選択肢もほとんどなかった時代です。それでも、祖母は私にとって大好きな存在で、私はまだ20代で体力もありましたからなんとかやってこれたのだと思います。
あるとき、思い切って母に「1人暮らしがしたい」と打ち明けると、「誰がおばあちゃんの面倒を見るのよ!」と怒鳴られてしまいました。そのときはとてもつらかったのを覚えています。けれど、最期まで祖母のそばにいられたことは、今でもよかったと感じています。
必要としてくれたから
93歳で旅立つ少し前、入院先で私が持っていった花を眺めながら祖母が「お花きれいね」とつぶやいた姿が忘れられません。それだけで十分だと、今は思います。
その後、父も7年前に他界しました。最終的には施設にお世話になりましたが、私自身が50代になっていたこともあり、祖母のときのような介護は正直難しかったと思います。祖母を介護できたのは、私が若かったこと、そして祖母が「あなたが頼りよ」と言ってくれたからこそ頑張れたのだと感じます。
まとめ
介護には体力も覚悟も欠かせませんが、何よりも相手が自分を必要としてくれている、という気持ちが私に力をくれました。祖母がいつも言っていた「よろしくね」のひと言が、私に自信と覚悟を与えてくれたのだと思います。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:美咲一花/50代女性・主婦。
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2025年1月)
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