父の遺体と対面…「ひどい父親だった」今思い返す私の父親像 #預金資産ゼロの父が倒れた話 182
「預金資産ゼロの父が倒れた話」第182話。2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、お父さんが倒れたときの話を描いたマンガを紹介します。
エェコさんのお父さんは脳の病気で倒れ、リハビリ院に入院。記憶力低下が顕著で預金も資産もない状態だったので、生活保護を申請して支給金を受けることに。
介護施設に入所後、医師からもう回復は望めないと言われ、お父さんは要介護度は4に。続けて「自然な最期を施設で迎える」形で良いかと確認され、エェコさんは電話口で震撼。しかし脳裏に浮かんだのは、「自然に死なせて」というお父さんの言葉でした。新型コロナ対策で面会謝絶が続く中、お父さんは食事もとれなくなり、「覚悟が必要」とのこと。最後かもしれない面会前夜は眠れなかったエェコさん。3カ月ぶりのお父さんはさらに痩せて起き上がれず、ゼリー水をやっと2口という容態にもかかわらず、「大丈夫か、ここの金は……」とボソリ。以前は「心配なら貯金しておいて」とイラつかされたあの言葉が、今は愛おしくて涙腺崩壊。「大丈夫、私がやっている」「お前に任せていたら安心だ……」これが最後の会話となりました。退室時、「また来る」としか言えなかったエェコさん。約束は守られないとわかっていたのです。1週間後、お父さんが発熱し血圧測定不能に。さらに数日が過ぎ、深夜に電話がありました。時刻は0時22分。「ついに……」と察したエェコさんでした。
父の訃報を聞いたエェコさんは、立て続けに役所の援護課への連絡事項など、事務処理について説明を受けました。覚悟していたからか、涙も出ないまま翌朝に。子どもたちには後から伝えるつもりで学校に送り出すと、病院に葬儀屋が10時に来るとの連絡がありました。
訃報の翌朝








父の遺体が横たわっている病室にひとりで向かった私。室内はシーンと静まり返っています。
思えば、記憶に残る私の「父親像」は「結構ひどい部類」に入るものでした。幼少期の父とのやりとりがよみがえってきたのですが、しょっちゅう暴言を吐かれていたのです……。
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よみがえる幼いエェコさんとお父さんの思い出……。かなり昔かたぎというか、厳しい方だったようですね。強い言葉で理不尽に怒られることもよくあり、恐怖の対象だったのだとか。子ども嫌いで育児に加わらない昭和の父、かつては大勢いたのかもしれませんね。
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