「父さんも母さんも最後のお別れをしっかりさせてあげたいから、葬儀の準備は引き受けてきたぞ」「父さんが『〇〇葬儀社に頼め』ってうるさかったから、さっき電話だけしといた。通夜と告別式の日取りは向こうが段取りしてくれるってよ。で、当日配る返礼品の数とか受付担当のシフト、後日郵送する香典返しの名簿づくり──全部お前に任せた。俺は挨拶回りで忙しいし、雑務は嫁の仕事だろ?」と夫。
義実家では、当日は返礼品を配り、香典返しは四十九日後に郵送する習慣だという。名簿づくりが面倒なのは、そのせいでした。
「……相談もなしに決めてきて、私に丸投げするつもり?」と聞くと、「だってこういうの、普通は嫁がやるもんだろ? 俺、そういうのわかんないし、やる気もないし」と、まるで当然のように言ってきたのです……。
義祖母の葬儀の準備を拒否した私
「ずっとひどい扱いを受けてきた私が、なんで通夜や葬儀の準備をしなきゃいけないの? 本当は、顔を出す気にすらなれないのに……」と言うと、「そんな冷たいこと言うなよ! 身内が亡くなったんだぞ!」と私をとがめるように言ってきた夫。
しかし、夫だって、義祖母が私にどれだけきつく当たっていたか、知っていたはず。顔を合わせるたびに「外で働くなんて家庭をかえりみない嫁だ」「うちの孫嫁は料理も掃除もできない」「そんな嫁は早く孫と離婚しろ!」と言ってきた義祖母。
いくら相談しても「ばあちゃんは古い考えの人だから……」と夫は味方になってはくれませんでした。そして、義祖母の前では義祖母に同調するように「うちの嫁は仕事ばかりで……」と言っていたのです。
私はため息をつきながら、クレジットカードの明細をスマホで確認しました。義祖母の在宅介護で必要だった医療用品やタクシー代──ここ数カ月、私が立て替えた分だけで二十万円を超えていました。しかも夫の会社は業績悪化でボーナスが半減。家計は赤字すれすれだったのです。
「たしかに弔うことは大事だよ。でも、私にとってはずっとつらい存在だった人の葬儀を、急に任されても……気持ちがついていかないよ」「あなたが引き受けてきたんだから、あなたが中心となって準備して。自分の言葉に責任もってやらないと、亡くなったおばあさんも悲しむわよ」
そう言って、私は準備を拒否したのでした。
味方だったはずの義母の理不尽な要求
翌日、夫は私が動かないことに腹を立てたのか、義母に「嫁が何もしてくれない」と訴えたようです。
そして、その後すぐ――。
「ちょっとあなた! 葬儀の準備をやらないってどういうことよ!」と、今度は義母から連絡がありました。
「息子から『嫁が何もしてくれない』って聞いたわよ! こういうのは、嫁が中心となって動くべきでしょうが!」「今までいろいろあったからって、それを理由に逃げるなんて、どうかしてるわよ。家族としての責任は果たしなさい!」
義母も、かつては義祖母の言葉に悩まされていたはずです。私たちは一緒に愚痴をこぼし合ったこともありました。
「『うちの嫁は2人とも家事ができない』『この家はもう終わりだ』って、親戚の前で言われたこともありましたよね……」私は思わず、そんな昔のことを口にしてしまいました。
けれど、義祖母が亡くなった今、義母の様子は以前とはまるで別人のようでした。長年、あの人の下で抑え込まれていた反動なのか、自分の立場をようやく手に入れたという安堵からか、義母の中で何かが吹っ切れたのかもしれません。
「……そんなの、もう過去のことよ? あの人がいなくなった今、私がこの家の中心。これからは私のやり方に従ってもらうから」
その言葉には、どこか義祖母の口調をなぞるような圧力が滲んでいました。
私は、義母の中に義祖母の影を見た気がして、ぞっとしました。あの苦しみを分かち合ったはずの人が、今度はその苦しみを“引き継ぐ側”になってしまった。それが、何よりもつらかったのです。
「受付の段取りくらいはあなたがしてよね。仕事してるんだから、香典も多めに出して当然でしょ? 香典帳の準備もね!」と、理不尽な要求をしてきた義母。
「夫にも言いましたが、こんなことを急に言われても困ります。私だって仕事がありますし。お断りします」と言うと、「どうせ大した仕事じゃないくせに! あんたがやるのよ!」と言って、義母は一方的に電話を切ってしまいました。
通夜当日の様子と私の決断
そして義祖母の通夜当日――。
「おい! まだ来ないのか? あと1時間で通夜が始まるんだぞ!」と夫から連絡が来ました。「……あぁ、そうだねぇ」と気のない返事をした私。
「準備はできてるんだろうな? 受付はどうするんだ? 今すぐ来い!」と、焦ったようにまくしたてる夫に、私は静かに言いました。
「私は、そんなのひとつも用意してないわ」
「……はぁ? 母さんに、頼まれただろ?」と言う夫に、「一方的に言われて電話切られただけだよ。私は了承したなんてひと言も言ってないから」と返した私。
「冗談言うなよ!? どうするつもりだよ!?」「お前は俺の大事なばあちゃんを弔ってもくれないのか!」と夫。
「あなたにとっては大切な人だったかもしれないけど、私は、正直どう接していいかわからない存在だったの」
「私は、ずっと大事にされることがなかったし、あなたも見て見ぬふりをしてた……」
「そのうえで、お義母さんからは私の状況を無視して一方的に準備を押しつけられて……」
「そんなふうに進められて、今さら“協力しろ”と言われても、気持ちがついていかないのよ」
そう言うと、夫は一瞬言葉に詰まったようでした。しかし、すぐさま私を怒鳴りつけてきたのです。
「嫁のくせに俺のばあちゃんの通夜に来ないなんて……!」
「あと1時間で受付が始まるんだぞ! 今すぐ来い!」
「嫁って誰のこと?」
「え?」
義実家に顔を出すたびに、「使えない嫁なんて来なくていい」「生意気な嫁なんて大嫌い」と義祖母から言われていた私。あれだけ嫌われていたなら、通夜にいないほうが義祖母もうれしいでしょう。あれほど「来なくていい」と言われていたのだから、本当に行かない方が、あの人も本望かもしれません。
「あなたの大事な家族の気持ちを考えた結果、私は通夜にはいないほうがいいと思ったの」「あ、そうそう! 通夜から帰ってきたら離婚届にサインよろしくね。私の分はもう記入してあるから!」と言うと、夫は「え……?」と驚いていました。
「亡くなったおばあさん、よく私たちに『早く離婚しろ』って言ってたじゃない! あなたのおばあさんが言ってた通りに、私たち離婚するのが一番いいって思ったの」と言うと、「ちょ、ちょっと待って!」「わかった、今日の通夜は来なくていい! だから、帰ったら話し合おう……!」と言い出した夫。
「話し合うことなんてないよ。通夜に向かう皆が出発したすきに、最低限の荷物だけ持って実家へ戻ったの」私は続けて言いました。
「残りの荷物は、後日ちゃんと弁護士を通して片づけるから、安心して」
「これからは、“嫁だから”なんて言葉に縛られない生活を始めるって、私自身が決めたの」
夫はなんとか私との会話を続けようとしていましたが、私はそれを無視して電話を切りました。
1時間後――。
今度は「あんたのせいで、通夜がめちゃくちゃになったじゃない!」と義母から連絡が来ました。
「息子は通夜の前に慌ててどこかへ行くし、通夜にあなたはいないし、受付が混乱して親戚に恥をかかされたわ!」「本当、使えない嫁ね」と怒る義母。
「私は引き受けないとお伝えしました。それを無視して頼んできたのはお義母さんですよ」と言い返すと、「なっ……なんですって!?」と義母は声を荒らげて、「あ、あんたなんてもう知らないわよ! 二度とこの家の敷居を跨ぐな」「もういっそ、息子と離婚してほしいくらいだわ!」と言ってきました。
「はい、わかりました! じゃあすぐにでもそのとおりに!」とはきはきと答えると、言葉を失ってしまった義母。
「実はもともと離婚を考えていて、夫にも先ほど話したばかりなんです」「でも離婚したくない、話し合おうってごねられてて……でもお義母さんも離婚に賛成してくれているなら、きっと彼も応じてくれますよね! 思ったより話が早く進んで助かります!」
「そ、その、さっきのはそんな深刻な話じゃなくて……ただの勢いっていうか……」ともごもごと言う義母に、「もしかして、これからは私に当たるつもりですか? 結局、お義母さんも夫も、おばあさんと同じような価値観をお持ちみたいだし」「そんな古い価値観に縛られて生きるなんて、私には無理なので! 今までお世話になりました!」と言って、私は電話を切りました。
通夜前日に、親戚にだけ「私は今回は欠席します」と短く投稿しました。直接私に個別返信をくれた親戚の方たちに経緯を少し打ち明けたところ、義祖母の言動に思うところあったのか、私に同情を示してくれました。葬儀会場では散々義母が私のことを悪く言っていたようですが、さらに義実家の評判を落とすだけになってしまったようです。
その後――。
元夫は「ばあちゃんの相続が片付いたら、介護費用の立て替え分も全部返す。家計も立て直せるんだ。だから、離婚はもう少し待ってくれないか!」と言ってきましたが、私は応じませんでした。結局、調停を経て、半年ほどで離婚が正式に成立しました。私は「お金の問題じゃないって、いつ気づくの? 私が払ったのは立て替えたお金だけじゃない。あなたと家族の顔色をうかがってきた時間と心も、もう取り戻せないの」と返すと、元夫は言葉を失っていました。
今はひとり暮らし。最初は不安もあったけれど、気を遣わずに過ごせる日々が、こんなにも心地いいなんて思いませんでした。少しずつ気持ちも整ってきて、仕事にも集中できるようになりました。穏やかに笑える時間が増えた、それだけでも十分です。
【取材時期:2025年3月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。