独身時代から起業のための資金を貯め、真剣に準備を進めてきた私。夫にも迷惑をかけず、自分の力だけでやっていくつもりでした。
ただ、夫が以前からたびたび口にしていた言葉が、ふと頭をよぎります。
「同僚の奥さんって、やっぱりしっかりしてる人が多いんだよな。大手勤務とか、資格持ちとかさ」
「お前も、そのうちちゃんと働いてくれたら助かるんだけどね~」と、笑いながら言っていたけれど、あれは、本音だったのかもしれません。そして、私が起業の話を切り出した翌日、夫は険しい顔で帰ってきました。
「……お前、あの話、本気なのか?」
「もちろん。ずっと準備してきたし、ようやく形になりそうで――」
「やめとけよ、中卒で起業なんて。そんなことして、周りになんて説明すんだよ」
夫は明らかに苛立っていました。
「俺だって今、職場で責任あるポジション任されてるんだぞ? 取引先との食事や紹介も増えてきてる。そんなときに『嫁は中卒で、しかも起業中です』なんて言えるかよ」
「……悪いけど、俺は『普通の家庭』が欲しかった。叶いもしない夢なんか追いかけてる嫁は、俺の人生計画にはなかったんだ。普通のちゃんとした奥さんが隣にいてくれる生活がしたかったんだよ」
「だからお前とはもう無理だわ……。離婚してくれ」
現実を突きつけられた私は、ただ呆然としてしまいました。それでも、何も言わずに諦めるなんて、あまりにも悔しすぎました。せめて話を聞いてくれる人が欲しかった私は、これまでずっと私の夢を応援してくれていた義母に相談することにしたのです。
味方だと思っていた義母の本心
私の夢が原因で、夫から離婚を切り出されたことを話すと、義母はとても驚いていました。
「ずっと準備して来て、ようやく形が見えてきたところなんです……。できれば夫にも私の夢を応援してもらいたくって……」「お義母さんも、私の夢を応援してくれてましたよね? だから、お義母さんからも夫に話をしてもらえませんか?」
義母は一度うなずいてから言いました。
「そうね、あなたはいろんな補助金を探したり、勉強会に参加したり……。コツコツ真面目に頑張ってきてたわよね」
そして、「そう……でも……息子がそこまで言うなら、もう離婚した方がいいのかもしれないわね」と言ったのです。
義母の豹変っぷりに驚き、私は言葉を失ってしまいました。対して義母は、どこか晴れ晴れとしたような口ぶりで続けました。
「正直ね、最初から少し無理してたのよ。うちの子には、もっと釣り合う相手がいたんじゃないかって……」
「息子は昔からまっすぐで、変なところで真面目だから。あの子が『離婚したい』って言うくらいなんだから、よほどあなたとの生活が合わなかったのね」「あなた、努力してるのはわかるけど、現実って、頑張りだけじゃどうにもならないこともあるのよ。だからうまくいかなかったのかもしれないわね」「ごめんなさいね。でも本音を言えば、私ちょっとホッとしてるの。これでやっと、前に進める気がするのよ」
義母は私の夢を応援していたように見せかけながら、内心では息子との離婚を望んでいたのです。義母は私の夢の理解者だと思っていただけに、私はひどくショックを受けてしまいました。
「……私の夢を応援してくれる人なんていないってことだけはよくわかりました」「それでも私は夢を諦めたくないので……となると、離婚しかないようですね」と言うと、義母はうれしそうに「あの子の人生、これ以上あなたに振り回されたくないのよ」「息子の言うとおり、離婚届にサインしなさい。復縁なんて考えないようにね」と言ってきました。
そして、私たち夫婦は離婚したのでした。
数年後に元夫と再会
数年後――。
「中卒貧乏人がオフィスビルに何の用だ? 飛び込み営業かなんかだろw」
「さっきお前がうちの取引先の前をウロウロしてたの見かけたぞw」
私を見かけたらしい元夫からメッセージが届きました。どうやら、私のことを馬鹿にしたいようです。相変わらずな元夫にため息をついていると、元夫は続けてメッセージを送ってきます。
「いやあ、うちの取引先がこの中に入っててさ。この地域で注目の成長企業なんだぜ。もちろん俺が担当でさ。今は部長やってるから、忙しくてさ~」と、自慢げに近況を語り出す元夫。そして、「そういえばさ、離婚後の起業で、借金抱えてるんじゃないのか? あ、今日は転職活動か? そう言えば転職エージェントがあのビルに入ってるよな。中卒のお前は、どこも紹介してもらえないだろうけど」
「ちょっと、画像送るね。見てもらえる?」
いちいち説明するのも面倒だったので、私は名刺の写真をそのまま送ることにしました。
「え?」と驚く夫に私は続けました。「……私、このビルの上の階で会社を経営してるの。あなたの会社と進めてる共同プロジェクトの、うちの代表者として」
「……は? うそだろ……? お前が、うちの会社の取引先の代表……? 代表……? 女社長っていうのは聞いてたけどお前だったなんて……」
どうやら夫は離婚後に私の苗字が変わったため、取引先の代表が私だとは気づかなかったようです。
「そうよ。まさか元夫のあなたが担当だとは思わなかったけど」
離婚後、小さなアパートの一室で始めた私の事業。小さな案件をコツコツこなすうちに信用を得て、1年後には法人化。今では全国展開も視野に入れるレベルの急成長を遂げました。
「『どうせ失敗する』『借金抱えても助けてなんかやるもんか』って、さんざんマイナスなことばかり言われたら逆に燃えたわよ。というかその悔しさをバネにしてここまで来れたの。ありがとう」と言うと、夫はさんざん見下してきた私の近況にショックを受けたのでしょう。すっかり黙り込んでしまいました。
「ところで、私たちはもう離婚して、今は仕事の場で再会しただけの関係よね」「だからこそ、今後はお互い、節度ある対応を心がけましょう。午後の打ち合わせでは、取引先の一員として、よろしくお願いします」
翌日――。
「ちょっと! 息子から聞いたわよ! あなた、今社長なんですって!?」と元義母から電話が入りました。
「はい、そうですけど……それが何か? 」と淡々と返すと、「あらやだ、そっけないわね~。でもすごいじゃないの、中卒でそんなに成功するなんて。ほんと、びっくりだわ~!」「私ね、あのころから密かに思ってたの。あなた、根性だけはあるって。やっぱり見る目あったのね、私って!」と、調子のいい声が、電話越しに響いてきました。
「だってほら、起業の夢を語ってくれたとき、私、応援してたでしょ? あのときのアドバイス、効いたんじゃない?」「だから……役員席、空いているならひとつまわしてくれないかしら? 名前だけでもいいのよ。アドバイス料ってことで」
私はひと呼吸してから、静かに言いました。
「……私たち、もう他人ですよね。冗談はそのへんにしてください」と言うと、元義母の声色が少し変わりました。
「ちょっと! そんな冷たいこと言わないでよ! 一度は家族だった仲じゃない! 中卒なのは事実なんだし、私だって悪気があって言ったわけじゃないのよ? 息子のためを思って……!」
「この会社は私がゼロから築いたものです。あなたの名前を役員に加えるつもりも、今後関わる意志もありません」
その言葉を最後に、私は一方的に電話を切りました。
それから数週間――。
「なあ、最近お前の会社でポジション空いてるって噂聞いたんだけど……だったら俺を使わないか?」突然、元夫からそんな連絡が来ました。
「え? 取引先なんだから、立場的に、そういう話は受けられるわけないでしょ」と私が言うと、「いいじゃん、そこはさ。俺だって一応経験あるし、部長までやってたんだぜ? お前の会社なら、すぐ戦力になると思うけどな?」
「……そういうことなら、正式に人事経由で書類を送ってちょうだい」と答えると、「なにその冷たい態度。まあ、いいや。じゃあさ、いっそ、専業主夫ってのもアリかもな。お前、忙しそうだし。俺が家のことやって支えてやるよ。今さらだけど、やり直すってのも……アリなんじゃないか?」と元夫。
私は心底あきれて「……あなたとよりを戻すわけなんてないでしょう?」と言いました。
その後、打ち合わせのたびに元夫の様子はどこかおかしく、私情を挟んで空回ることが続きました。結果的に、彼はプロジェクトから外されることに。新しい担当者がやってきて、「社内で少し問題がありまして」とだけ言いましたが、それだけで十分でした。
新しい担当者は、打ち合わせの最後にふと漏らしました。
「……どうやら、まだ納得してないみたいなんですよ。社内では、『あれは俺の元嫁でさ』って、あちこちで言いふらしてるらしくて」「でも、正直あの人、最近はちょっと浮いてます。態度も空回ってるし……周りも気づいてるんですよね」
私は「そう」とただ静かにうなずくだけでした。必要なことは、もうすべて、周囲が見てくれているのだと感じたからです。
誰に何を言われても、自分の信じた道を進み続ければ、いつかちゃんと結果はついてくると、私は実感しています。大事なのは、過去を悔やむことでも、誰かに認められることでもなく、自分自身を裏切らないこと。あの日の決断を、私はこれからも誇りにして生きていこうと思います。
【取材時期:2025年5月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。