義姉のずうずうしい要求
母の介護で心身ともに疲れ果てていた私。そんな状況にもかかわらず、義姉は介護を手伝うこともなく、「お義母さんの着物、もう使わないなら私にちょうだい」と当然のように要求してきました。
しかし、その着物は母が生前「あなたに譲りたい」と私に話していた品です。そのため、私は丁寧に「これは母から私が受け継ぐことになっています」と伝えましたが、義姉は明らかに不満そうな表情を浮かべました。
それだけでなく、さらに「じゃあマッサージチェアや指輪は? もう使わないんだから、私がもらってもいいでしょ?」と言いだす始末。母への思いやりよりも、自分の欲望が前面に出ている言葉に、私は胸がざわつきました。
そして数カ月後、母は想像よりも早く息を引き取りました。深い悲しみに沈む私の前で、葬儀が終わるや否や義姉が言い放った言葉は、耳を疑うようなものでした。
「いつまで実家に居座るの?」
「お義母さんも亡くなったし寄生虫はさっさと出てけ」
「出ますよ、取り壊すので」
「は?」
あまりに突然の言葉に、私は一瞬言葉を失いましたが、冷静に考えると、母の死後の家についてはすでに整理する方向で進めていたので、落ち着いてこう答えました。
「出ますよ。実家は取り壊して手続きを進めていますので」
義姉は目を丸くして「えっ……?」と絶句していました。
兄の決断と家族の変化
実は母の遺産や実家については、兄が権利を放棄しており、私が管理を任されていました。母が大切にしていた家は取り壊し、売却する方向で準備を進めていたのです。
さらに兄は、義姉との生活に限界を感じていました。義姉は「お義母さんの介護で忙しいから」と言い訳をしながら外泊を繰り返しており、実際には介護にほとんど関わらなかったこともわかっていました。兄はこれ以上の結婚生活は難しいと判断し、最終的に離婚を決断しました。
義姉は「夫が私を見限るはずがない」と最初は強気でしたが、正式な手続きが進むと焦り始め、泣いて謝ってきました。しかし兄の気持ちは変わらず、私もその様子を静かに見守るしかありませんでした。
「もう関わることはありません。お互い別々の人生を歩みましょう」
それが兄から義姉への最後の言葉でした。
因果応報を感じた瞬間
離婚成立後、義姉は実家にも戻れず、生活の基盤を失い、大変な思いをしていると後から聞きました。母の遺品や家を自分のものにしようとした上、私を傷つける発言を繰り返していた義姉。そんな彼女が、周囲からも距離を置かれる結果になったことは、私にとっては因果応報のようにも思えました。
一方で、兄は少しずつ前を向き始めています。私自身も母の最期をしっかりと見送ることができたことで気持ちの整理がつき、今は母が残してくれた思い出を胸に、自分自身の人生を歩んでいこうと考えています。
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義姉の言動には、人としての思いやりや情がまったく感じられませんでしたね。結局、夫や家族から距離を置かれることになったのも無理はありません。人は支え合ってこそ生きていけるもの。日々の中で、互いにやさしさを伝え合っていきたいですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※AI生成画像を使用しています
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