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夫「余命宣告されるかも…一緒に闘病頑張ろう」→私「そう、頑張ってね!」妻の冷たい返事に隠されていたのは…

最近、「なんとなく夫とうまくいっていない」と感じることが増えていました。仕事を理由に夜遅くまで帰ってこず、休日もスマホばかり。お出かけや外食に誘っても、面倒くさいと言って断られてしまいます。

それでも、私なりに折り合いをつけながら日々を過ごしていました。そんなある日、思いもよらない連絡が届いたのです……。

夫とのメッセージのやり取りは、「今日遅くなる」「夕飯はいらない」・「了解」「気をつけてね」など、いつも同じ内容ばかりでした。

 

そんなある日「検査で気になる結果が出たんだ。医師からも精密検査が必要と言われていて……長くは生きられないかもしれない」と、久しぶりに長いメッセージが届いたのです。しばらく言葉が出ませんでした。

闘病は夫婦二人三脚で

後日、病院で医師の話を聞くと、夫の病気は今すぐ余命宣告をするようなものではないものの、入院治療に加えて、かなり気を使って日常生活を送る必要があるとのこと。どうやら夫は、病状を重く考えていたようでした

 

夫は「一緒に俺と闘病生活を乗り越えよう!」と前向きな姿勢を見せますが、私は「そうなんだ。頑張ってね。私は、支える気にはなれない」と言いました。

 

夫は驚いたように固まり、「え……? 2人で乗り越えようって話じゃなかったのか?」と戸惑いを隠せない声で言いました。その言葉を聞いて、くすぶっていた記憶が鮮明によみがえってきたのです。


5年前、高熱で私は救急搬送され、そのまま緊急入院になりました。突然の入院で気持ちの整理が追いつかず、誰かにそばにいてほしいという思いから、夫に何度も電話をしたのです。


けれど、返ってきたのは冷たい言葉でした。「俺を頼られても困るよ」「自分の体調くらい自分で管理してくれよ」


結局、夫は一度もお見舞いに来ませんでした。子どももママ友に頼み込んで数日預かってもらい、なんとか入院期間を乗り切ったのです。


退院して家に戻ると、家の中は足の踏み場もないほど荒れ放題。ゴミ袋と空き缶の山、その中からは夜のお店の名刺やレシートがいくつも出てきました。

 

その光景を見て、「夫とは終わったんだ」とはっきり自覚したのです。夫とは子どもを一緒に育てる共同体。子どものためにも収入源は多い方が良い……そう割り切りました。

 

「私が倒れたときのこと、覚えてる?」と、当時のことを持ちかけた私。「だからね、あなたの闘病を支えるつもりは、もうないの。闘病生活、頑張ってね」そう伝えた私に、夫はうろたえるばかりでした。

 

義母の身勝手な言い分

翌日、義母から電話がありました。「どういうつもりなの? 息子がこんな状況なのに……。嫁として支えてあげたいと思うのが普通じゃないの?」電話口の声は強い怒りに震えていました。

 

「私たちの夫婦関係はもうずっと前に終わっているんです」そう言うと、義母はますますヒートアップ。 「籍があるうちは家族なのよ! 夫が闘病で大変になるときに突き放すなんて、ありえない!」

 

そこで私は、あえて一歩踏み込むことにしました。「それを言うなら、私が重い病気で入院していたときのこと、覚えてますか?」

 

義母は一瞬、言葉に詰まったようでした。私は続けます。「あのとき、夫は一度もお見舞いに来てくれませんでした。お義母さんも『病気なんて気分の問題でしょ?』『夫に迷惑をかける妻なんて、離婚されても文句言えないわよ』って、はっきり言いましたよね」

 

痛いところを突かれたのか、義母は焦った様子……。しかし覚えていないとシラを切ります。

 

ですが、私は義母とのそのやり取りをスクリーンショットで記録しています。「あのときのメッセージは、きちんと保存してあります」あわてて言い訳を始めた義母の言葉を制し、私は淡々と続けました。

 

「病気の妻を突き放すなんてありえないですよね? 今、お義母さんが言っていることと同じことを息子さんはしていたんですよ?」

 

しかし何を言っても義母は折れず、私が「それならお義母さんが支えてあげたらいいのでは?」と言うと、義母は、ようやく本音を漏らしました。

 

「私も歳で、病院の付き添いや手続きは正直きついのよ……。だからあなたにお願いしたいの」――結局、“家族だから”という言葉は、ただ私に負担を押し付けるためのただの枕詞。それが、はっきりと浮き彫りになったのです。

 

介護と遺産をめぐる二重の裏切り

義母と夫、そして私の話し合いは平行線のまま数日。夫は意を決したように言いました。 「貯金も、父さんの遺産の残りも渡すから……離婚だけは考え直してくれないか?」

 

私は耳を疑いました。義父が亡くなったとき、遺産は残らなかったと私に言ったはず……。葬儀やお墓に必要なお金は、すべて家計で賄っています。

 

私が険しい顔を向けると、夫はハッとした顔を見せました。そんな様子から、遺産について嘘をつかれていたことは明らかです。私が問い詰めると、夫はうろたえながらこう白状しました。 「母さんが言い出したんだ。『嫁には内緒にしておこう』って……。俺も断れなくて……」

 

義母も夫も、本当は十分な遺産があることを知りながら、「ほとんど残っていない」と嘘をつき、自分たちだけで分け合っていたのです。娘にも我慢をさせながら必要なお金を捻出したのに……怒りよりも先に、深い虚しさがこみ上げてきました。

 

私の中で「夫と離婚したい」という気持ちが、「絶対に夫と離婚する」に強まったのです。

都合の良い嫁からの卒業

その日のうちに弁護士に相談し離婚の準備を進めることにした私。夫は何度も「離婚だけは勘弁してくれ」「一度だけでも会って話し合いたい」と連絡してきましたが、私は必要最低限の事務的なやり取りしかしませんでした。

 

義母は「こんなタイミングで離婚するなんて、人として冷たい」と非難しますが、病気がなくても離婚は時間の問題だったと思います。これまで私をないがしろに扱っていたのに、自分が困ったときだけ頼ろうとするのは虫の良い話です。

 

最終的に夫は離婚に応じ、財産分与や慰謝料についても合意が成立しました。もともと隠されていた預貯金も含めて整理されたことで、思っていた以上の金額がこちらに回ってきたのは、皮肉な結果だったと言えるかもしれません。

 

離婚からしばらくして、共通の知人を通じて、元夫たちの近況が耳に入ってきました。 元夫は治療を続けており、仕事は就業制限に……。相当なストレスを溜めているようで、周りの友だちに当たっていたのだとか。今ではみんなから距離を置かれているようです。

 

離婚後の生活は決して楽なことばかりではありませんでしたが、「自分の人生を自分で選び直した」というたしかな実感がありました。誰かに振り回されず、傷つけられず、静かな日常を積み重ねていけるだけで、心がどれほど軽くなるのかを知ったのでした。

 

♢♢♢♢♢♢

 

どちらか一方だけが我慢を重ね続ける関係は、いつか限界を迎えてしまうもの。夫婦のかたちはそれぞれですが、相手を思いやる姿勢が失われたとき、心はすり減ってしまいます。

 

本来「家族」とは支え合うための存在であり、重荷を背負わせる理由にはなりません。だからこそ、日々の小さな思いやりや、相手を尊重する気持ちを大切にしていきたいものですね。

 

【取材時期:2025年11月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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    ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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