「私は介護要員じゃない」と感じた瞬間
義父が在宅療養に入ってからの10年、私はできる範囲で介護を続けていました。もちろん皆に事情があることは理解していましたが、どうしても私に負担が集中してしまいがちでした。
ある日、義父の部屋に少しにおいがこもってしまい、義姉のA子さんが「早くおむつ替えたほうがいいんじゃない?」と声を上げました。私はエアコンの掃除をしていたところだったため、「今は手が離せないので、よければ代わっていただけませんか」とお願いすると、A子さんは「それはお嫁さんの役目でしょ」と、当然のように返してきました。
私は静かに、「誰かひとりに負担が集中するのはよくないと思うんです」と伝えましたが、温度差を感じ、胸が締めつけられるような気持ちになりました。
義父の他界と、義姉からの言葉
義父が亡くなった後、葬儀関係の手続きは私が中心となり、無事に初七日を迎えました。そのタイミングで、A子さんから予想もしなかった言葉を耳にしました。
「お父さんも旅立ったし……そろそろ出ていって自分の生活を考えれば?」
正直、胸の奥が冷たくなるような感覚がありました。これまでの関係性から、介護後の生活について何か話し合いがあるのだろうと思っていたので、意外な言葉でした。
私は落ち着いて、「わかりました。これからの生活については私も考えます」とだけ答え、義実家を出る決心をしました。
離婚後に起きた誤解
その後、夫との関係も整理し離婚。新しい住まいも決め、少しずつ生活を立て直し始めていたころです。義母から慌てた様子で電話がありました。
「夫(=義父)の口座がほとんど残ってないのだけど……あなた、何か知ってる?」
突然のことで驚きましたが、事実を淡々と伝えました。
「義父の福祉用具や医療費、在宅介護で必要だった自費のサービス費用、さらに生活費の立て替えなどで、義父の口座残高はほとんど残っていませんでした。支払いの記録や領収書も保管してあります」
すると義母は、「じゃあ、どうしてあなたがそんなに早く生活を立て直せたの?」と不思議そうに尋ねました。私は、義父から以前教わっていた家計管理や資産運用の考え方を続けていたことを話しました。
「義父から学んだ方法で、少しずつ積み立てていました。義実家の生活費の一部を負担していた時期もありますが、離婚後はその必要がなくなったので、今後は自分の生活に使わせていただきます」
電話口では、義母とA子さんが混乱している様子でしたが、すべては誤解から起きたもので、落ち着いて説明することで少しずつ理解してもらえました。
義父の介護は決してラクではありませんでしたが、その過程で義父と深く関わり、多くのことを学びました。特に「知識は一生の財産になる」という義父の言葉は、離婚後の私を支える大きな力になりました。
今、私は新しい生活を歩き始めています。「義父から教わった知恵を大切に、これからは自分の人生をよりよくしていこう」と、心の中で義父に語りかけています。
--------------
夫や義姉、義母との関係には複雑な思いもありましたが、義父との信頼関係が支えとなり、長い介護生活を乗り切ることができたのですね。義父から学んだ「知識という遺産」は、これからの人生を前向きに生きる力になります。今後は自分の幸せを大切にしながら、新しい道を歩んでいってほしいですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※AI生成画像を使用しています
ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように!