最初は本当に具合が悪いのだと思っていました。しかしいつも私たちが何かを予定しているときに合わせて、体調不良の連絡がきます。それが続き、私は義母の体調不良を信じられなくなっていました。
それでも、「夫にとってはたった1人の母親だし」と自分に言い聞かせ、見て見ぬふりを続けてきました。しかし、結婚記念日の旅行を前日にキャンセルされたことをきっかけに、私の中の何かがプツンと切れてしまったのです――。
結婚記念日旅行の中止
結婚記念日には「今年こそは」と少し奮発して高級な温泉旅館を予約しました。露天風呂付き客室に地元の旬の食材を使った豪華なお料理……ようやく夫婦でゆっくりできる――そんな「特別な結婚記念日旅行」のはずだったのです。
前日の夜、荷造りも終えてひと息ついていると、夫からメッセージが届きました。「ごめん。明日の旅行、行けそうにないんだ。中止にしてほしい」さすがに今回はないと思っていたので、びっくりです。
理由を聞くと、「母さんが風邪をひいて、咳がひどい」「電話でも息苦しそうで、肺炎が心配」とのこと。
そんなにひどいなら病院に行ったほうが良いと伝えても「そこまでではない」と言って拒否。明日は旅行だから義姉に頼んでは? と提案すると「姉さんは忙しい」と言います。結局、「今日は実家に泊まるから」と、夫はあっさり旅行より義母を選びました。「自分も残念に思っている」という態度を見せますが、結局のところ、彼は自分で看病したいだけなのです。
私は、旅行を楽しみにしていた気持ちを押し殺しながら、こう伝えました。「どうしてもキャンセルするなら、キャンセル料は全部あなたが払ってね。それと、お義母さんが原因のドタキャンは今日で最後。次はもうないから」
「本当にごめん。キャンセル料は全部払うから」「体調管理するよう母さんにも言っておくから」と、夫は繰り返し謝りました。
本音がポロリ
翌日、夫からは「母さん、だいぶ落ち着いてきたよ」と連絡があり、夕方には義母本人からもメッセージが届きました。
「今日はごめんなさいね〜。記念日旅行だったのに、私のせいでキャンセルになってしまって。でも息子が看病してくれたおかげですっかり元気になったわ〜」
その文面を見た瞬間、私の中の違和感が怒りに変わりました。
「記念日旅行だってこと、知っていたんですね。それに結局、一晩寝たら治る程度だったってことですもんね」と返すと、「え?怒ってるの? 昨日は本当に苦しかったのよ?」と、軽い調子で返します。
そこで私は、初めて自分の思いをぶつけました。ここでまた受け流したら、きっと私は一生義母に振り回されると思ったのです。
「毎回、私たち夫婦の予定に合わせて具合が悪くなるなんて、もう偶然とは思えません」
義母は「そんな言い方ないんじゃない?」「普通は心配してくれるものじゃない?」と逆に責めてきましたが、私は譲りませんでした。
「お義父さんが亡くなって寂しいのはわかります。でも、その寂しさの穴を埋めるために、息子夫婦の予定を潰すのは違うんじゃないですか?」「板挟みにされて謝り続けているのは、いつも夫です。自分の気分次第で呼びつけて、断れずに苦しんでいる彼の気持ちも、少しは考えてください」
私の言葉に、義母は「あなたとの予定よりも私の看病を選んでいるのは息子だ」と言います。それだけ言って、電話は切れてしまいました。
私の胸にグサリと刺さりました。義母の言うことももっともなのです。
同居話の始まり
記念日旅行のキャンセルから1週間ほど経ったころ、夫から同居話を持ちかけられました。どうやら私が仮病を疑ったことを根に持っているよう。「嫁としての自覚を持たせたい」と息巻いていたようです。
私たち夫婦が住んでいる家は、将来介護が必要になったときのために、ひと部屋多めの間取りで建てた新築戸建てです。ただ、これはあくまで「本当に介護が必要になったとき」の話。息子にベッタリの義母との同居は、喜ばしいことではないのです。
「今の段階での同居は無理。生活リズムも価値観も合わないし、私にとってはストレスでしかない」そう伝えると、夫は真剣な表情でうなずきました。
「お前の言う通りだと思う。今回は俺がちゃんと断るよ。同居はしないって、はっきり言ってくる」
その言葉に、私は少しだけ救われた気持ちになりました。「ようやく夫が私の方を向いてくれたのかもしれない」と思ったのです。
同居を断れない理由
しかし、その2時間後「……ごめん。母さんとの同居、することになっちゃった」と夫からのメッセージが。理由を聞くと「母さんに泣かれて断りきれなかったんだ。長男だし、放っておけない」とのこと。私に相談もせず、その場の勢いで勝手に同居を承諾してきたのです。
「お前は俺の大事な奥さんだけど、母さんも大事なんだよ。一緒に暮らしたら意外と仲良くなれるかもしれないし、家事も手伝うって言ってるしさ。お前も楽になるかもよ?」
その能天気な言葉を聞いた瞬間、夫への信頼は音を立てて崩れ落ちました。
「じゃあもし私が泣いてお願いしたら、私の気持ちを優先してくれるの? 予定をキャンセルするのもそう。結局、お義母さんが一番なんだね」ずっと我慢していた言葉をついに発してしまった私。
同居か離婚かの二択を夫に突きつけると、夫は無言に……。それすら即決できないことがすべての答えのように感じました。このとき、私は離婚を決めたのです。
義母が知らなかった「30万円」
1カ月、義母からも「あなた、ついに家を出たんですって? 私があの家に住むことになったから、あの子のことは私に任せてね!」とメッセージが届きました。義母は私がいなくなることに何の抵抗もないようです。
私は最後にひとつだけ、義母が知らないであろう事実を伝えることにしました。「月30万円の住宅ローンは、親子で頑張って返してくださいね」
途端に義母の声の調子が変わりました。「ちょっと待って。30万って何の話?」
わが家の住宅ローンの支払いは月30万円です。あの家は、義母の部屋も含めて少し大きめに建てています。さらに夫は「母さんが喜ぶから」と床暖房を入れたりスピーカーを壁に埋め込んだりとオプションを次々と追加し、大幅に予算オーバーとなりました。
何度も話し合ったものの夫は譲らず、組める限り最大限のローンを組んだのです。
財産分与の話し合いで家とローンは夫名義にすることになり、これからは夫ひとりで払うことになります。しかし、2人で働いていてもギリギリだった月30万円の支払い。家計をやりくりをしていたのは私で、夫は興味すら示さなかったので、どれだけローンが生活を圧迫していたかは知らないのでしょう。
義母は私たちの家を"そこそこ高い家"くらいにしか思っていなかったようです。ローンについても、具体的な金額までは夫から教えてもらっていなかったのでしょう。
「これまでは夫婦ふたりで払っていたけれど、これからはお義母さんの年金や貯金からも生活費のやりくりが必要になると思いますよ」というと、あからさまにうろたえています。
「そんなはずはない!」とわめく義母の声を聞きながら、電話を切りました。
家の前を通ってみると…
しばらくして、元住んでいた家の近くを通りかかることがあったので、家の前の道を通ってみることにしました。予想していたことですが、表札は知らない名前に変わっています。ローンが払えず手放したのでしょう。地価の高い場所ではないので、売却したとしてもローンの残債が大きく残っていてもおかしくありません。
これでもう元夫と義母の現在を知る手掛かりはなくなりました。きっと2人で寄り添いながら暮らしているのではないかと思います。
家の前を通りながら、あの家に込めた思いややりくりの努力を思い返しました。それでも不思議と、後悔よりも静かな納得の気持ちが勝っていました。
あのまま結婚生活を続けていたとしても「いざ介護」となったときに苦労していたでしょう。これでよかったのだ、と心底思っています。
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家族を思う気持ちは大切ですが、行きすぎてしまうと夫婦のバランスは簡単に崩れてしまいます。大切なのは、誰かを優先するときにもう一方が我慢していないか気を配ること。
小さな配慮の積み重ねが、家族全体の穏やかな関係を作れるのかもしれませんね。
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。