義母曰く、「思った以上に生活費がかかった」そうで、相続したお金はすでに底をつき、やむなく戻ってきたとのことでした。
「遺産なんて全然たりなかったわよ。あの人がもっとしっかりしていれば……」と、義母は義父への不満をこぼしました。
信じられない義母の言動
義母が戻ってきてからの生活は、ストレスでいっぱいでした。義父が生きていたときは気にならなかった義母の行動は目に余るものばかり。
散らかしっぱなしはまだいいほうで、私に相談もなく友人を家に呼び、用意していた食材を勝手に使ってしまうこともありました。さらに、夜中でも「どうしても買ってきてほしいの!」と買い物を頼んでくるなど、遠慮のない振る舞いばかり……。
義母が急に変わったわけではなく、これまでは義父がさりげなく義母の行動を抑え、問題が表に出ないようにしてくれていたのだと気付いた私。義父の偉大さを再確認しました。
しかし一番困るのは、お財布からお金が抜かれていること。夫に注意してもらうと「ちょっと借りただけよ。お小遣いをもらえないんだから仕方ないでしょ」と開き直るように言い訳をします。
多少はお小遣いを渡してもいいと思うものの、義母の要求する頻度や金額が多いので、言われたままお金を渡していると私たちの生活が苦しくなってしまいます。夫がバッサリと断ると、私たち夫婦と義母は毎日衝突するようになっていきました。
そんなある日、夫の病気が発覚。余命3カ月と宣告されました。義母に伝えると、「残りの時間は、好きに過ごせばいいじゃない」と、どこか他人事のよう。頑なに小遣いを渡さなかったからでしょうか……。
息子の余命宣告をなぜそんなに簡単に受け止められるのか、理解に苦しみました。
他人は出ていけ…!?
闘病の末、夫は他界。葬儀が終わり、私がいまだ悲しみに暮れている中、義母は大きなため息をつき「はあ……本当に疲れたわ。お葬式って何回やっても面倒ね」とこぼしました。
夫を失ったばかりの私に寄り添ってくれる気配はまったくなく、義母はしれっと「で、いつ引っ越し?」と私に聞きます。
「息子が亡くなった以上、この家は私のもの。だって元々私の家だったんだから! あなたたちはもううちの家族ではないでしょ。この家からは出てもらうわ」と告げられました。
しかしこの家は夫が義父から相続したもの。次に相続するのは私と子どもたちです。まさか追い出されるとは思ってもみませんでした。
夫と暮らした大切な家です。私も子どもたちも出ていきたくはありません。一緒に暮らしたくないのなら、義母が出ていってほしいとお願いしても、聞く耳を持ちません。
追い出された疫病神
何を言われてもあきらめのつかない義母は、いつまでも抵抗し続けました。しかし、家の所有者が私と子どもたちである以上、義母が勝手に居座ることはできません。
それでも義母は荷物を広げ、あたかも自分の家かのように暮らし続けようとしたため、私は最終手段として弁護士に相談しました。
弁護士は「今の名義人の許可なく住み続ければ、問題になる可能性がある」と淡々と説明をしてくれました。義母は顔色を変え「そんなわけないでしょ。ここは息子の家だったのよ?」と必死に反論しましたが、弁護士から次のひと言がとどめになりました。
「すでに家は息子さんではなく、息子さんの相続人のものです。あなたに住む権利はありません」義母はその場で言葉を失いました。
これまで強気だった義母は、法律の前では何ひとつ反論できず、翌日には黙って荷物をまとめ始めました。
義母がいなくなった途端、家の中はようやく静けさを取り戻しました。散らかった部屋は元どおりに片づき、夜中に買い物を頼まれることもなくなり、財布の中身に神経をとがらせる必要もなくなりました。
私たちは、夫が遺してくれた家で、新しい生活を再スタートさせたのです。
◇ ◇ ◇
家族でも、無理な同居や理不尽な要求が続けば心身の負担は大きくなります。夫の家族だからと遠慮しすぎず、今いっしょに暮らす自分と子どもの生活を守るために、毅然とした姿勢を持つことの大切さを教えてくれる体験談でした。
そして困ったときは専門家の力を借りることも重要です。思いがけず早く問題が解決へ向かうこともあるのかもしれません。
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。