義母「同居するなら家事は全部する」同居直後「全部やって!生活費10万ヨロシク」約束を破られた妻は

私は20代の会社員。結婚して2年目、義父が病気で亡くなり、夫が「俺、一人っ子で母さんのことが心配だから、今のうちに一緒に暮らしておきたい」と言い出しました。
けれど義母は、お葬式のときでさえ「難しいことは分からないから、嫁ちゃんヨロシク~」と丸投げするような人。同居なんて不安しかありません。そんな私に義母は、にこやかにこう言ったのです。
同居の提案、不安でいっぱい
「金銭面で迷惑はかけないわ。生活費は折半でどうかしら? それに、同居してくれるなら家事は私がぜ〜んぶやってあげるから♪」
仕事をしているので家事を全部やってくれるというのは、とても助かります。でもあまりにも私たちに好条件すぎて逆に不安を覚えました。結局、「生活費は折半」「家事は基本的に義母、週末は私たち夫婦でやること」を約束し、義実家で同居することになりました。
しかし、実際の義実家はというと、いつも家じゅう散らかり放題。義母は掃除も片づけも苦手なのだろうと、私は義実家に行くたびに思っていました。義母の手料理も一度も食べたことがなく、義実家では出来合いの食べ物ばかりでした。どう考えても家事が得意だとは思えません。
それでも夫は「母さんとまた一緒に暮らせるなんて最高だ!」と浮かれ顔。私は胸騒ぎを覚えつつ、新生活を始めました。
初めから騙すつもりだったと知って
私の嫌な予感は的中しました。
「疲れたからお茶いれて」「洗濯物の取り込みお願いね」と義母。仕事で遅く帰った日も「もう、遅すぎよ! おなか空いちゃったわよ! 今日は中華が食べたいの、早く作って?」と言うのです。
「平日の家事はお義母さんがしてくださる約束でしたよね?」と確認すると、義母は平然と「そんな約束、うそに決まってるじゃないの」と言い放ちます。さらに夫まで「だってお前、そう言わないと同居してくれなかっただろ?」と笑いながら加勢。
極めつけは、「今日から毎日あなたが掃除と洗濯、お料理もやってね。それから、生活費は毎月10万円よろしく」と告げられたこと……。
最初から約束なんて守るつもりもなかった義母と夫。騙されたことにショックを受けた私は、笑顔で「おまかせください」と返事をしつつ、自室に戻ってすぐに母へ電話をかけました。
実母の一喝!
私から事情を聞いた母は激怒! すぐに飛んで来てくれて、義母と夫に厳しい口調で言いました。
「仕事で忙しい娘の代わりにお母さまが家事をするって言うから、私も同居を許したのに……最初から娘を家政婦扱いするつもりだったんですか!? 約束したからには、きちんとそれを守るのが筋でしょ!?」
夫と義母は顔面蒼白になり、深く頭を下げました。
「私、見ての通り家事が全部苦手なの。だから家のことを嫁ちゃんにやってほしくて……もらった生活費は食費と光熱費に充てるつもりだったのよ! でも、騙すようなことをしてごめんなさいね」と義母。
夫は「俺は母さんと一緒に住みたかったんだ。俺は料理も洗濯も掃除も、なにもできないから、君がやってくれたらいいと思っていた」と理由を語りました。
結局、同居は一旦解消することとなり、私は実家に戻り、夫と義母の2人暮らしが始まりました。
変わった家族のかたち
数カ月後、「一通り家事ができるようになった。もう一度やり直したい」と迎えに来た夫は別人のようでした。義実家に行くと、部屋はピカピカで整理整頓されていて、夫はてきぱきと家事をこなします。義母も「きれいな家って落ち着くわ。やってみると意外と楽しいものね」と笑顔を見せました。
夫と義母からしっかり謝罪してもらい、「家事は家族みんなで分担し、支えあうこと」「生活費もそれぞれ分担し、負担が偏らないようにすること」「次に裏切りがあったら即離婚」などを条件に、私は再び同居する決意をしました。
同居再開後の家事は、平日は家事力が上がった義母が主に担当し、週末や仕事が早上がりできた日は私たちが担当するようになり、生活は格段に快適になりました。休日は、料理にハマった夫が手料理を振る舞ってくれることも。
その後、私の妊娠が判明。出産後、夫は積極的に家事や育児を担い、義母も孫のお世話をしてくれて助かっています。
不安しかなかった同居生活。何度も「離婚」の文字が頭をよぎりましたが、結果的に家族それぞれが成長するきっかけとなり、新しい絆を生む出来事となりました。同居は決して楽な道ではありませんでしたが、母がビシッとお灸をすえてくれたおかげで夫も義母も変わり、私自身も強くなれました。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
続いては、交通事故に遭い入院中の妻に、相談もなく義両親との同居を告げる夫のエピソードです。妻に寄り添うどころか、妻の死を前提に話を進める夫や義家族。そんな彼らに待ち受ける結末とは……?
「退院後は母さんたちと同居だ」勝手な義母と夫たちに私「もう帰れないかも」空気の読めない夫の末路

交通事故に遭い、入院することになった私。幸いにも命に別状はないとのことですが、右脚を複雑骨折していたため、しばらく入院しなければならなくなりました。職場にも連絡して、ようやく一息ついたところに、夫が私の荷物を持ってやってきたのです。
「けが、大丈夫か? うわぁ、すごい格好だな……」私の状態はひどいものでした。右足は吊られているし、腕も包帯でぐるぐる巻きにされています。でも、何もわざわざ口に出さなくたっていいのに……。
入院した妻と空気の読めない夫
「退院までは少しかかりそうだし、家のこともあるから両親に少し手伝ってもらおうかと思って」と続けた夫に、私はびっくり。まさか、義両親がこちらに来ているなんて思ってもいなかったのです。
「お前が事故に遭ったって話をしたら、2人とも心配してたよ。それで、しばらく家事とかを手伝ってほしいって頼んだら、それなら、しばらく一緒に住むのもありかもって話になって……実家も古くなって建て替えを考えていたみたいだし……これを機にきれいな新築に住めてうれしいって喜んでた」
「ちょっと待ってよ! 私が入院している間、手伝ってもらうだけじゃないの? このまま同居するみたいな話になってない?」と私が聞くと、「そうだけど? お前が退院したら、4人で楽しく暮らそうな!」とにこにこ話す夫。
胸の奥が冷たくなりました。私は、まだ自分のけがに向き合うことで精一杯なのに……。なのに、夫はもう「4人での生活」を始める準備をしていたのです。前から相談もなしにいろいろ夫が勝手に決めてくることはありましたが、それでも、こんな大変なときに、無断で同居を決めるなんて……信じられませんでした。
「親父も定年を迎えたばっかりだし、タイミング的にもちょうどよかったよ。退院後に俺の両親がいたら、お前も心強いだろ?」と夫は言ってきましたが、私にはまるで事故に遭ったタイミングがいいと言われているように聞こえました。
「俺、お前がいないと何もできなかったけど、父さんと母さんがいるんだ、安心だろ? こっちは気にせず、治療に専念しろよ。退院は焦らなくていいけどさ……母さんの料理、ちょっと味が濃くてな。やっぱりお前のごはんが一番落ち着くよ」
夫は気使いや励ましのつもりで言っているのかもしれませんが、勝手に話を進められ、私はイライラしていました。
「退院後は母さんたちと一緒に暮らすからな!」
「みんなでお前の退院を楽しみにしてるぞ」
「ごめん、もう帰れないかも……」
「え?」
驚いた夫を、私は「ごめん……今日は帰ってくれる? いろいろなことがありすぎて、冷静になる時間が必要みたい」と言って病室から追い出したのでした。
心配しているふりをして不謹慎なことを尋ねてきた義母
翌日、義母から数件の着信が。看護師さんに車椅子で電話OKなところまで運んでもらい、私は義母へ折り返しの電話をかけました。
「大変だったわね~。でも、私たちが来たからには安心よ! 息子のことは任せてちょうだいね」と義母。「ありがとうございます」とお礼を言って、「ところで、どうして電話を?」と義母に尋ねました。
すると義母は声をひそめて「あなた……『もう帰れないかもしれない』って息子に言ったそうじゃない。もしかして命にかかわるの? 念のため、保険やその手続き関連、どうなってるのか教えてくれないかしら」と。
夫は私の「もう帰れない」という言葉をそのまま義両親に伝えたようです。私はただ、義両親と同居する家には帰りたくないと思って、言っただけだったのですが……。
「生命保険には入っていますが、掛け捨てなのでそこまで高額ではないですよ?」と正直に答えると、「あとから内容の見直しってできるのかしら? 念のため、って話よ」と言ってきた義母。その言い方は、まるで私がこのまま亡くなると決めつけているようで、背筋にゾクリと冷たいものが走りました。
なぜか私がいなくなることを前提に、周りが“その後”の準備を始めている。そんな現実に気づいたとき、心の底から寒気がこみ上げました。
「でも、ここまで話せるなら、しばらくは大丈夫そうね。声を聞けて安心したわ。お仕事もお休みしてるんでしょう? 時間はあるだろうから、保険について調べてみてくれない?」とやけにやさしい声色で言ってきた義母。義母とはある程度良好な関係を保っていたと思っていたのですが、私は完全に義母を信じられなくなっていました。
「体調がもう少し安定したら、改めて確認してみます」と言って、私は電話を切り、その後すぐに夫に電話をかけました。
「お義母さんから聞いたけど……あなた、なにを勘違いしているの? 私がまるでもうすぐ亡くなるみたいに。そんなこと、ひと言も言っていないでしょう」と言うと、「はぁ? お前、言ってたじゃないか『もう家には帰れないかも』って」と沈んだトーンで言ってきた夫。
さらに「家のスペースがけっこうギリギリでさ、荷物の整理とか、少しずつ進めてもいいかなって思って、いろいろ整理したほうがいいよな? お前のものも、使う予定ないなら処分していいか?」と夫に言われ、私は言葉を失いました。まるで私がもう二度と家に戻らないことが決まっているかのように、当然のように話を進めるなんて……!
事故で心も体も弱っているなか、夫の言葉はまるで他人事のように冷たく響いて――私は、ただひたすら混乱していました。事故で弱っている私の気持ちを考えもせず、勝手に物事を進める夫と義両親。その姿に、この人たちとは一緒に暮らすのは無理だと、心の底から思ったのです。
夫と義両親の勘違いを逆手に取った妻
翌日――。
「なあ、ポストに……お前が書いた離婚届が入ってたんだけど、これ本気か? お前か? お前がやったのか!?」と電話をかけてきた夫。
「そうよ、ちょうど友だちがお見舞いに来てくれるって言ってたから、役所から離婚届を持ってきてもらったの。その友だちが帰りに家のポストに入れてくれたのよ」と淡々と答えた私。
「勝手に同居を決めたうえに、私がもうすぐ亡くなると思い込み、挙句に保険金の話なんて。不謹慎すぎてあきれたわ。そんな人たちとは暮らせないから離婚します」
「そ、それは……謝る! 謝るから! ただの勘違いだったんだよ、許してくれよ」と言ってきた夫。
「そもそも、その家のローンは私名義で組んだの、覚えてないの? 離婚手続きのなかできちんと財産分与について整理したいから、とりあえず出ていく方向で準備しておいてくれる?」と言うと、「あ……」とようやく夫は思い出したようでした。
夫は私に黙って車をローンで買っていたので、住宅ローンには通らなかったのです。当時住んでいたアパートからずいぶんと遠い駐車場を契約して、その車を隠していた徹底ぶり。あのときにも「何事もちゃんと相談する」って約束してくれたはずなのに……夫は勝手に義両親との同居を決めたのです。
「あらためて言うけど、あなたたちとはもう一緒に暮らせない。今後は弁護士さんを通じてやり取りするから、そのつもりでいてね。じゃあ、さようなら」と言って、私は電話を切りました。心なしか、昨日よりも傷跡が痛むような気がしました。
その後――。
私は事情を看護師さんたちに話し、面会制限をかけてもらいました。夫や義両親は何度か病院を訪ねてきたようですが、一切顔を合わせることはありませんでした。
私は父の知り合いの弁護士さんを頼り、入院中に離婚手続きを進めました。財産分与で新築のあの家は私のものになることに。元夫たちは出ていくことになり、だいぶガタが来ている実家に舞い戻ることになったようでした。
私は私なりに、元夫とうまくやっているつもりでした。でも事故に遭ってからは、元夫にとって私はなんだったんだろう……という気持ちが膨れ上がっていました。相思相愛で結婚したはずだったのに、どうしてうまくいかなかったんだろうという思いは今でもあります。
今、私は毎日リハビリ室に通い、少しでも早く社会復帰できるように頑張っています。完全回復まではまだまだ時間がかかりそうですが、体の傷と心の傷を同時に癒していきたいと思っています。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
パートナーの気持ちを無視して、自分の都合だけで物事を進めようとした結果、大切な家族を失うことになりましたね。信頼関係は、相手を思いやる気持ちや誠実なコミュニケーションの上に成り立つものです。
相手を尊重せず、自分の利益ばかりを気にしていては、関係が長続きしなくて当然なのではないでしょうか。違和感を覚えてすぐに声を上げ、自分自身の尊厳と未来を守るための行動を取った妻たちの姿には勇気をもらいました。つらいときこそ、悲観して現状に嘆くのではなく、冷静に未来を想像して、明るい未来にするための選択をしていきたいですね。