シンママ社長も参加するキャンプで起きた“想定外”
社長は若くして会社を立ち上げた仕事の鬼。ミスには容赦がなく、会議では淡々と数字と事実だけを突きつけてきます。笑顔は見たことがないし、声を荒げないぶん余計に怖い。そんな社長が双子の娘さんを連れて参加すると聞いて、現場の空気はさらにピリつきました。「社長の前でヘマしたら終わりだぞ」と、先輩たちは冗談めかしながらも本気の目をしていました。
キャンプ場に着くと、テント設営も火起こしも“計画通り”で進んでいきました。社長は娘さんたちを安全な場所に座らせ、「焚き火の距離、近い。風向き見て。あと、娘たちは人見知りだから、あまり近づかないで」と仕事のように指示を飛ばします。正しい。指摘は正しいのですが、レクリエーションとは言えない空気に息が詰まり……。
そして夜。私は同僚のAに「お前、社長になにかあったときの見張り番な」と軽く言われ、なぜか社長の近くのテントでひとり寝ることに。寝袋に潜り込み、「明日まで何事も起きませんように」と祈った、そのときでした。
「え、誰?」テントに侵入してきたのは…
カサ……カサ……。誰かがテントの入口を触っている気配がします。私は一気に目が覚めました。キャンプ場の夜は暗く、懐中電灯をつけようとしても手が震えます。まさか、動物……? それとも悪ふざけ……?
次の瞬間、テントがこじ開けられ、何かがするりと中に滑り込んできました。驚きとともに入ってきたのは――小さな子どもが2人。ぎゅっと私の腕にしがみつき、「……おじさん、こわい……」「さむい……」とつぶやきました。聞き覚えのある幼い声。社長の双子の娘さんでした。ですが、この状況。社長に見つかったら、人生が終わるかもしれないと思いつつも「大丈夫、大丈夫。ここは安全だよ」声を潜めて言うと、ふたりは震えた手で私の服をつかみました。どうやら、テントから抜け出してきたらしい。風の音が強く、森がざわざわ鳴っているので、子どもなら怖いはずです。
私はそっと起き上がり、外を確認しました。社長のテントは少し離れた場所にあります。社長はぐっすり眠っていて起きなかったのかな、と考えながら、どうやってふたりを社長のテントに戻そうかと思い巡らせました。何よりふたりは泣きそうで、すぐに外へ出るのはやめたほうがいいかもしれない……。「戻る? それとも、ここで落ち着くまで一緒にいる?」そう聞くと、ふたりは同時に「ここにいる」と言い、私は覚悟を決めました。
寝袋の中で、私は両腕を“壁”みたいにしてふたりを包みつつ、なるべく動かないようにしました。そして怖い話ではなく、今日の焚き火で焼いたマシュマロの話、星の形の話、明日帰ったら食べたいものの話。ふたりは少しずつ息が整い、いつの間にか小さないびきを立て始め――気づくと朝になっていました。テントの布が薄く明るくなり、鳥の声が聞こえたとき、嫌な予感しかしませんでした。寝袋の中には、左右にぴったりくっついた双子。身動きがとれない状態で、テントのファスナーが開く音。「……何をしているの」低い声。社長でした。
社長の背後にスマホを構えた同僚の姿が…!
終わった。完全に終わった。とっさに起き上がろうとしましたが、双子が「ん……」と寝返りを打ってさらにくっついてきます。逃げられない。言い訳もできない。社長の表情はいつもの無表情で、怒りすら読み取れないのが逆に怖く……。「す、すみません! 勝手に……いや、あの、ふたりが夜に……」と必死に言葉をつなぐと、社長は一歩近づき、寝袋の中のふたりの顔を見ました。眠そうに目をこする娘さんたちが社長の姿に気づき、「ママ、ここ、あったかい」「おじさん、こわくない」とぽそっと言いました。
社長は私を見下ろし、「あなた、昨夜、起こしに来なかったのね」と言いました。たしかに社長を起こしませんでした。暗闇を歩かせて娘さんが泣いたら……泣き声が響いて何かしたと思われたら……。そう考えた自分が、今さらながら情けなくなりました。「……すみません。怖がってたので、暗い中で動かすのが危ないと思って。落ち着くまでここで……」と言いながら、私は覚悟しました。正論で殴られて終わり。社内で噂に。
しかし社長は、意外な方向に視線を向けました。テントの外。そこにはニヤニヤした顔の同僚・Aが立っており、スマホを構えています。「やっぱりな〜。これ、社内共有したらヤバいっすよね。社長、やっぱクビっすか?」同僚は軽い口調で言いました。昨夜、私が端のテントに回されたのも、たぶんこいつの仕業。社長の“スキャンダル”を作って、何か得でもあるのか。
すると社長はAにゆっくり近づき、「あなた、今、何を撮っているの?」と言いました。Aが「え? 証拠ですよ、証拠。社長の娘さんと社員が――」と答えると、社長の声はいつも通り淡々としたまま。「それは“証拠”じゃない。“脅し”よね」。続けて、「社内規定、読んでる? 私的な撮影、本人の同意なしの拡散。コンプライアンス研修、受けたよね」と告げると、Aの顔色が変わります。「冗談っすよ」と笑いながらも指が震え、画像を削除する音がやけに大きく聞こえました。社長はそれを確認すると、こちらに向き直り、「あなた。あとで、話がある」――やっぱりだ。終わったと思いました。
クビ覚悟の私に向けられた、思いもよらない視線
朝食のあと、社長に呼ばれたのは管理棟のベンチでした。双子の娘さんは別の社員と遊んでいて、社長は缶コーヒーを1本、無言で差し出してきました。受け取った瞬間、胃がねじれるように緊張します。叱責か、処分か――そう身構えたとき、社長は静かに切り出しました。「昨夜のことだけど、あなたは娘たちを危険な暗闇の中で移動させず、落ち着かせて、安全を優先してくれた。……ありがとう。昨日は疲れていたのか、ぐっすり眠ってしまっていて……娘がいなくなったことにも気づかず、反省しています」社長らしからぬ言葉に、返す言葉が思いつきませんでした。
社長は続けて言いました。「シングルで、仕事も育児も、全部“段取り”にしないと崩れてしまう。崩れたら……怖い。だから私は、いつも硬い顔をしていると思う。社員にも、娘にも」「娘は甘えたくて、あなたのところに行ったのかもしれない」その言葉に胸が詰まりました。崩れることを恐れ、必死で踏ん張っているからこそ、あの硬さが生まれていたのだと、ようやくわかりました。
さらに社長は、娘さんたちの様子と私の仕事ぶりを重ねるように言いました。「昨夜、娘たちがあなたに甘えたのは、あなたが“安全な人”だったから。仕事でも同じ。あなたは周りをよく見て、先に手を打つ。……私はあなたのことを評価しています」。そして、「クビになると思っているかもしれないけれど、あなたの人柄の部分を今まで見落としていたのが悔しい」と。さらにその場で、来月から新規案件のリーダーを任せたい、と提案してきたのです。ずっと希望していたポジションだったので、驚きのあまり「え、俺ですか?」と間の抜けた声が出てしまいました。
キャンプの帰り道、双子の娘さんが「おじさん、またね!」と言い、その隣で社長が小さく会釈しました。相変わらず表情は硬いのに、目だけは前よりずっと柔らかく見えました。その後、同僚のAは撮影の件で厳重注意を受け、新規案件を一緒に担当することはありませんでした。私は社長直轄のチームに抜擢され、周囲はざわつきましたが、社長は一切ぶれませんでした。怖いと思っていた人ほど、本当は誰より必死で、誰より筋を通す人なのかもしれない。胸の奥がスッと軽くなるのを感じながら、新たな仕事の段取りを頭の中で組み立て始めていました。
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人にはさまざまな一面があります。だからこそ、相手を理解しようとする視点が、思いがけない信頼やチャンスにつながることもあるのだと、改めて感じさせられますね。
【取材時期:2026年1月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。