義母の「迎えに来て」を断ったら…
そのころ、私は余命宣告をされた実母のお見舞いへ毎日のように行っていました。母は私をひとりで育ててくれた人。残された時間が長くないとわかっていても、できるだけそばにいたかったのです。
ある日、母の見舞いで病院にいると、義母から連絡が入りました。買い物が終わったから迎えに来い、駅前の喫茶店にいる——いつもの調子です。私は病院にいること、すぐには動けないことを伝えました。今日は医師から話を聞く予定になっており、あと1時間はかかると説明したのです。
ところが義母は、私の事情より自分の荷物を優先しました。タクシー代がもったいない、荷物が多くて帰れない、寒いから早く来い。さらに、専業主婦で収入がないことや、母の看病に通っていることまで引き合いに出し、「役に立たない嫁」「夫の実家に尽くすのが普通」と、言葉を重ねて責め立ててきました。
母の病状を“もう助からない”と決めつけるような言い方までされ、私は胸が締め付けられました。反論したい気持ちはありましたが、医師の話を逃すわけにはいきません。私は謝って電話を切り、義母の連絡はそのままにしました。
義母の発言から…夫の隠し事が判明
それから数週間後の夜。義母から「あなたが家にいなくて夕飯の用意もないと、息子が怒っていた」と言われました。
そのとき、母は危篤でした。私は慌てて病院へ向かい、家のことまで手が回らなかったのです。それなのに義母は、「わかっていたことでしょ」「今生きている夫を優先しなさい」と言い放ちました。
さらに追い打ちをかけるように、「だから息子に不倫されるのよ」と、笑うように口にしたのです。しまった、とばかりに誤魔化す義母。けれど私は、そのひと言で確信しました。最近の夫の態度が変わった理由、生活費が減っていった理由、帰宅が遅くなった理由。点が線でつながってしまったのです。
母の命が揺らいでいるその場で、夫婦としての信頼までも崩れ落ちました。
「同居する」と言い出した義母に私は
母を見送って数日後。葬儀を終えたばかりの私に、義母は悪びれもせず連絡してきました。「今日から同居する。嫁は姑の言うことを聞くもの。無職なんだから奴隷として働け」——そういう趣旨の言葉を、軽い調子で投げてきたのです。
私は、淡々と受け答えをしました。「元々今日が最後なのでいいですよ」義母は意味がわからないようでしたが、私は続けます。明日には家を出ること、離婚すること。義母は「三十半ばの無職が離婚なんてできない」「誰も相手にしない」と見下してきました。
けれど私は、もう“何もない”わけではありませんでした。以前から独身時代に働いていた会社から在宅の仕事をもらっていたこと。夫がこの1年ほとんど生活費をくれなかったので、私は自分の稼ぎと貯金で暮らしていたこと。つまり、夫に依存していなかったこと。
そして何より、義母の失言をきっかけに、私は興信所に調査を依頼し、証拠を掴んでいました。慰謝料を払わせる準備も整っていたのです。義母は「私の老後の面倒は誰が見るのよ」と慌てましたが、私の答えは変わりませんでした。
離婚成立後、義母の“要求”にあ然
離婚して少し経ったころ、義母からまた連絡がありました。私が元夫と不倫相手に慰謝料を請求すると、2人は関係がギクシャクし別れたとのこと。その後、元夫は会社へ行かなくなり、引きこもっているというのです。義母は自分の年金だけでは生活が苦しい、遺産が入ったのなら援助してほしい——そう言ってきました。
だから私ははっきり伝えました。あなたたちに渡すお金は一銭もないこと。助ける気もないこと。そして、連絡先はブロックすること。義母は怒鳴り、泣き、最後には呪いのような言葉まで吐きました。でもその声は、もう私の心に届きませんでした。
その後、義母からの連絡は途絶えました。親戚から聞いたのは、義母と元夫が揉めているという噂だけ。誰が働くかで喧嘩が絶えないそうです。
私は今、誰もいなくなった実家に戻り、再就職の準備をしながら母の遺品整理をしています。寂しさがないと言えば嘘になります。それでも、あの親子と離れた今のほうが、ずっと心が落ち着いています。
母の看病をしながら、私はずっと怖かったのだと思います。母がいなくなったあと、ひとりになることが。だから無関心な夫にも、義母のいびりにも、耐えてしまった。でももう大丈夫です。母に大事に育てられた記憶がある私は、これからの人生もきっと乗り越えていける。そう信じられるようになりました。天国の母が安心できるように自分を大切にする生き方を選んでいきます。
◇ ◇ ◇
「家族だから」「嫁だから」という言葉は、命令や暴言を正当化する免罪符にはなりません。家族であり続けるために必要なのは、“従わせること”ではなく“思いやること”。相手の事情に耳を傾け、できる範囲で助け合い、感謝を言葉にする——そんな小さな積み重ねを大切にしていきたいですね。
【取材時期:2026年1月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。