生後6カ月の娘を抱え、私の世界は家の中だけになっていました。かつては対等だったはずの夫との関係に、おかしさを感じ始めたのは、産休に入って本格的に専業主婦になってからのことです。
「仕事の付き合いも大事な仕事なんだよ」
深夜、お酒の匂いをさせて帰ってきた夫は、吐き捨てるように言いました。1日中、まだ言葉も通じない赤ちゃんと向き合い、細切れの睡眠でボロボロになっていた私には、その言葉がひどく刺さりました。「少しでいいから、お風呂の時だけでも手伝ってほしい」……。思い切って口にしたお願いは、夫の冷たい一言で終わりました。
「そんなに文句があるなら、離婚でもするか?」
胸がドキッとしました。夫の口から「離婚」という言葉が出たのは、それが初めてではありません。何か気に入らないことがあるたびに、彼はこの言葉を使うようになっていたのです。
「離婚」を繰り返す夫、少しずつ削られる自分
夫の態度は、日を追うごとにひどくなっていきました。私が家事や育児の大変さを訴えるたびに、彼は得意そうな顔をします。
「専業主婦が離婚されたら終わりだよな。無職で子どもを育てられるわけないし。親権だって俺にくるだろ? せっかく産んだ子と離れ離れになるのは、かわいそうだな」
その言葉を聞いた瞬間、胃がぐっと締め付けられるような気持ちになりました。手が小刻みに震えて、頭が真っ白になります。私はただ、夫の顔色をうかがいながら「ごめんなさい」と謝るしかありませんでした。
ただ、後日、市の相談窓口に電話すると、担当の方にこう言われました。「親権は収入だけで決まるわけじゃないですよ。実際に誰が育ててきたか、その記録がとても重要です」。その言葉で、夫が言っていたことは単なる脅しだったとわかりました。
夫は外では「完璧な父親」を演じていました。SNSには育児を手伝っているような投稿をして、周囲からは「いい旦那さんね」と言われる。そのギャップが、私をさらに孤独にしていきました。いつの間にか私は、「夫に捨てられたら生きていけない」という気持ちに自分を縛り付けていたのです。
どん底で見えた、裏切りの事実
ある日、予期しないことが起きました。義父が家を訪ねてきたのです。差し入れを持ってきてくれたのですが、家の中の様子や、私の疲れた顔を見て、少し表情が変わりました。「息子は普段、育児を手伝っているのか?」と義父に聞かれ、私は正直に答えました。義父はそれ以上何も言わずに帰っていきましたが、数日後、連絡がありました。
「気になって息子に話を聞いたんだが、君から聞いた話と全然違う。あいつ、平日は仕事で忙しい分、休みは全部自分がやってるって言っていたぞ。夜泣きもおむつ替えも完璧だって、母さんにも自慢していた」
「お義父さん……それは違います。夜泣きもおむつ替えも、全部私がやってきました。この半年、夫が育児を手伝ったことは一度もありません」
しばらく沈黙が続きました。義父は「……そうか」とだけ言いました。完全に信じてもらえたかどうかはわかりません。ただ、「何かあれば相談しなさい」とだけ言って、電話を切りました。
その夜、帰宅した夫は何も知らずにまた私を罵倒しました。「まずい弁当を作るな」「専業主婦のくせに態度がでかい」。そしていつものように「嫌なら離婚だ」と。
そのとき、私はようやく決意しました。我慢ばかりするのはもうやめようと。
崩れ落ちる夫
義父との電話から、約2カ月が経っていました。その間、私は水面下で静かに、そして着実に準備を続けていました。そして決行したのは、また夫が「離婚」を口にした、ある日曜日の朝でした。
「専業主婦が離婚されたら、困ることしかないよな~」「 困るのはお前だろ、無職で子持ちなんて誰も相手にしないぞ」
「俺はいつ離婚したっていいんだからな!」
いつもなら泣いていた私が、そのときは落ち着いた声で言いました。
「本当?ありがとう!」
「は? 何言ってんだよ」
私はテーブルの上に、数枚の書類を置きました。
「これまでの暴言、何度分か録音してあります。原本はクラウドと外部に保管済みです。それから、あなたがお義父さんに話していたうそのこと、お義父さんが相談に乗ってくれると言ってくれました」
夫の顔から血の気が引いていくのがわかりました。
「それから……これを見て」
私が見せたのは、結婚前に勤めていた会社からの再雇用の内示メールでした。
「私、業務委託での仕事が決まったの。来春、娘の保育園入園と同時に正社員に戻る内示ももらいました。経済的な準備は整えたから」
「え……? ちょ、待てよ! いつの間に?」
夫の足が目に見えて震え始めました。私は娘を抱き上げ、玄関へ向かいました。
「冗談なのは、あなたの父親ごっこよ。じゃあね」
後ろから「待ってくれ!」「悪かった!」という声と、床にへたり込む音が聞こえましたが、私はもう振り返りませんでした。
実は、私は決意した翌日から、夫が寝た後に暗いリビングでスマートフォンを操作する日々が続いていました。家計の口座の入出金履歴を写真に撮り、給与明細と源泉徴収票のコピーを取って、誰にも見つからない場所に保管していたのです。夫が暴言を吐くたびにアプリで録音し、すぐクラウドにバックアップ。同居の家族間の会話録音については、違法な盗聴には当たらないケースが多いと弁護士にも確認済みでした。
昼間は娘を連れて外出し、市の女性相談センターや弁護士事務所の無料相談へ。相談窓口に電話した週に元の職場へも連絡を取り、オンライン面談を経て、条件を確認しながら復職の話を進めていたのです。
夫には何も悟られないよう、表向きはいつも通りに過ごしていました。今朝、ようやく夫の前に書類と録音を並べることができたとき、そして夫がうろたえる姿を見たとき、私の心はかなりすっきりしていました。
手の中に残った「切り札」
その後、夫は義両親に泣きつきました。一人残された家で慣れない家事をこなせず、義両親へのうそも全部バレて、外での体裁が完全に崩れたようです。義父からは「叩き直す」と連絡がありました。
数週間後、夫は私の実家に謝罪しに来ました。私がいなくなったことで、自分がどれだけ何もしてこなかったかはわかったようでしたが、言い訳も混じっていました。私は弁護士を間に挟んで、条件を話し合いました。
戻る条件として私が求めたのは、口約束ではなく公正証書に残すことでした。再発した場合の別居の取り決め、養育費の枠組み、連絡は記録の残る手段を使うこと、定期的にカウンセリングを受けること。弁護士が文案を作り、後日、夫婦そろって公証役場へ出向いて手続きを終えました。
現在、私は正社員に戻り、共働きで生活しています。夫は今、家事と育児を分担しています。信頼が完全に戻ったかといえば、正直まだだと思っています。それでも、あの公正証書が手元にあることが、「いつでも自分で生きていける」という安心感を与えてくれているのです。
「専業主婦だから我慢しなきゃいけない」――かつての私は、その思い込みに縛られていました。でも、証拠と経済力を一つずつ整えていく中で、いつの間にか恐怖はなくなっていました。夫から脅しの道具として使われていた「離婚」という言葉が、最後には私が自由になるための出発点になったのは、皮肉な話かもしれません。
専業主婦だから弱い、ということはないはずです。ただ、この夫には経済力という言葉でしか伝わらなかった。それが悔しくもあります。ただ、実際に復職してみると、視野が広がって、社会とつながっている感覚が戻ってきました。あの準備が、結果的に自分を取り戻すきっかけになったのだと、今は前向きに思っています。
この経験で学んだのは、支え合うということの意味です。どちらかが優位に立つのではなく、お互いが自立した個人として向き合うこと。それが本当の意味での夫婦なのだと、今は思っています。信頼はまだ回復途上で、油断しないために取り決めを残しています。それくらいが、今の私にはちょうどいいのです。
手元にある公正証書は、もう二度と誰かに支配されないという、私自身への約束です。
【取材時期:2025年8月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。