第2子を出産して3カ月。4歳の上の子の世話も重なり、私の毎日は数時間おきのミルクとおむつ替えで、まともな睡眠を取れていませんでした。慢性的な睡眠不足により、目の下にはどす黒いクマが張り付き、立ち上がるたびにひどい立ちくらみに襲われます。しかし、会社員である夫にとって、家の中は「自分がくつろぐための場所」でしかありませんでした。
「ちょっと本屋とカフェに行ってくる。1人になりたいんだよね」
休日の朝、当たり前のように告げられた言葉に、私は耳を疑いました。子どもが生まれる前には「俺、夜のお世話頑張るから!」と言っていたのに……。私が抗議しても、夫は「リフレッシュしないと、仕事のパフォーマンスが落ちる」「お前は働いてないじゃん。家にいるんだから俺より楽だろ」と取り合ってくれません。
私がキッチンで食事の支度をしている間、夫はリビングでスマホをいじるだけ。子どもが泣き叫び、おむつがパンパンになっていても絶対に抱き上げようとせず、ミルクの適量すら把握していません。
ただ「おーい、泣いてるぞー」と座ったまま報告してくる夫に対し、怒りを通り越して胃が雑巾のように絞り上げられるような不快感を覚えました。しかし、私は「子どもたちのためだ」と自分に言い聞かせて、ただ耐えるしかなかったのです。
終わりのないワンオペ
決定的な出来事は、それから1カ月後に起きました。
3日後は、上の子がずっと楽しみにしていた家族での動物園の日。「ぞうさん見る!」とリュックにおやつを詰めて大興奮の上の子をよそに、夫は信じられない言葉を口にしたのです。
「その日、釣り仲間からいいポイントに連れてってもらえることになったんだよ。俺、静かにじっくり釣りがしたいから、動物園はお前ら3人で行ってくれ」
あっさりと家族との約束を反故にする夫。私の指先は、怒りと悲しみで震え始めました。
しかし、それだけでは終わりませんでした。夫は「車にクーラーボックス積むのだけ手伝ってくれ」「あと、節約のために、焼き鮭と明太子と甘い卵焼きの入った弁当を作っておいて」と、自分の遊びのために私をこき使うのです。
私が反抗的な目をしているのに気がついたのでしょう。続けて夫の口から飛び出したのは、私の心を完全にへし折る言葉でした。
「お前は働かないで子どもの面倒見てるだけで生活できてるんだから。どうせ1日中、子どもとゴロゴロしてるんだろ? いいよなぁ、専業主婦はだらだらできて」
「働いていない」と言われたのは、今月だけでもう3回目でした。その言葉を聞いた瞬間、私の中で張り詰めていた糸が、プツリと鈍い音を立てて切れました。急激に心拍数が上がり、呼吸が浅くなるのがわかります。
ああ、この人は、私たちを家族だと思っていない。私の苦労も痛みも、一生理解することはない。そう確信した途端、私の心にある種の静けさが訪れました。
私はゆっくりと夫に向き直り、静かに笑顔を作りました。傍から見たら、たいそう不気味だったと思います。そして、私はそれ以上夫になにを言うでもなく、妻として、ただただ夫の言うことに従いました。
遊びから帰ってきた夫が見たもの
翌日の夜――。
釣りから帰ってきたらしい夫から、すさまじい勢いで何度も電話がかかってきました。
「お、おい! 家具がない! 服も、ベビーベッドも! お前たちはどこにいるんだ!? どういうことだよ!」
夫の前に広がっていたのは、がらんどうになった部屋。実は、私は数日前から準備を進めていたのです。夫がいない間、そして寝静まったあとに私が独身時代に買ったものや、子どもたちの衣服・生活用品を少しずつ段ボールに詰めていました。そして、夫が意気揚々と釣りに出た直後、集荷のお願いをしていた宅配業者にすべてを預け、子ども2人とともに自分の実家へ撤収したのです。
普段の家事育児に加えて準備を進めるのは大変でしたが、「これで解放される」という思いだけが私の手を動かし続けました。
もぬけの殻となった家で呆然とする夫に、私は冷たく、しかし最高に晴れやかな声で告げました。
「1人になりたいんでしょ?」
「お望み通り、家を出て行ったの」
「念願の1人だよ!」
「おめでとう!」
夫はぶつぶつと何かを小声でつぶやいていましたが、とあるものを見つけたらしく、悲鳴に近い声を上げました。
「り、離婚!? なんで!?」
夫が見つけたのは、私がリビングのテーブルの上に残していった、別居開始を知らせる1枚の紙と、離婚届。離婚届には、無料相談に行った弁護士事務所の連絡先を添えてあります。
「離婚届、記入したら郵送してくれる? こちらで出しておくから」
そう言うと、夫は「今日帰ったら、子どもたちと遊ぼうと思ってた」「今日で気持ち切り替えて、家事だって手伝うつもりだったんだ」「反省してるから帰ってきてくれ」と薄っぺらい言い訳を並べ立てました。
今までだって、夫はそう言ってきた。しかし、夫は行動に移してはくれなかった。数えきれないほどの裏切りが、私に覚悟を決めさせたのです。
「……イライラしながら暮らすくらいなら、ストレスの元凶であるあなたがいないほうがいい。私にも、子どもたちにとっても」と言い捨て、私は一方的に電話を切りました。
ワンオペ生活を経た先に得たもの
1週間後――。
夫から「帰ってきてほしい」と泣き言の電話がありました。たった1週間の間に、部屋は荒れ果て、食事はコンビニ弁当オンリーになってしまっていたようです。
「じゃあ、上司に頭を下げて、有休をかき集めて、1週間1人で家事と育児をやってみてよ。できるよね? 私はずっと1人でやってたけど?」
「急に1週間なんて絶対に無理だ!」と言っていた夫ですが、私が本気だとわかったのか、翌日には上司に相談したようです。ちょうどプロジェクトが終わったタイミングだったこともあり、週明けから1週間有休が通ったということでした。
夫のワンオペ育児が始まる前日、私は実家からベビーベッドや子どもたちの最低限の衣服、生活用品だけを自宅へ送り返しました。
さらに私は、家を出る前に私の実母だけでなく、義母にも夫の暴言メッセージのスクショやこれまでの記録をすべて送っていました。最初は「息子も疲れているのよ、あなたも少し我慢して……」と庇いかけた義母も、動かぬ証拠の数々に絶句し、最終的には「孫の安全が第一」という一点で協力せざるを得ない空気になったのです。
「子どもたちの安全確認のために、両家の母親がほぼ毎日交代で昼間に顔を出すし、夕方には近所の義姉夫婦が手伝いに入るから」と告げ、さらに「リビングに見守りカメラも設置してあるからね」と堂々と宣言しました。育児にまったく自信のない夫は、むしろカメラで見てもらえるのはありがたいと思ったのか、どこか安堵したようにも見えました。
数日が経過したころ、夫は完全に限界を迎えていました。夜泣きと上の子への対応で一睡もできず、「子どもの世話をしながら家事なんてできない、頭がおかしくなりそう」と泣き崩れる夫。そんな彼をよそに、私は実家で、両家の母親にあたたかい手料理を作ってもらい、これまで削られ続けてきた睡眠負債を返すように泥のように眠り続けていました。明日は実母と花見に行ってくると伝え、「ツナマヨと明太子のおにぎり作って車の中も片付けといてね」と夫の言葉を返しました。
過去に自分自身が放った理不尽な要求をそのまま突き返された夫は、「過去の自分を殴りたい……」とうめき声を上げ、無様に崩れ落ちるしかありませんでした。カメラ越しに見える、手も足も出ない状態に追い込まれた夫の姿に、私はこれまでの鬱憤がすべて洗い流されるような、圧倒的な爽快感に包まれていました。
その後――。
地獄の1週間を終え、ついに帰宅した私を出迎えたのは、ゲッソリとやつれ果てた夫でした。私の顔を見るなり、堰を切ったように号泣し、「俺が間違っていた」と何度も何度も土下座の勢いで謝罪する姿には、かつての傲慢な面影は微塵も残っていませんでした。
見守りカメラの映像や義母たちからの報告で、彼が不器用ながらも必死に子どもたちと向き合い、家事に奔走していたことは確認していました。部屋は散らかっていましたが、本人なりに必死に足掻いた形跡の残る惨状を見て、私は静かに離婚をいったん白紙に戻すことを決めました。
現在、職場に復帰した夫は人が変わったように、仕事と並行しながら家事と育児に奔走しています。私が「1人の時間」を過ごすために交代制のスケジュールが組まれ、かつて「1人になりたい」と逃げていた夫が、今では「週末は家族で過ごしたい」と笑うようになりました。過激ではありましたが、あの1週間は、夫を根本から変えるための劇薬だったのだと確信しています。
理不尽な扱いにただ耐え忍ぶだけの妻でいる必要など、最初からなかったのです。私自身も「夫は仕事をしてくれているから」「私はずっとに家にいるから」と、どこかで自分に言い訳していたのかもしれません。しっかりと協力できるように体制を整えていれば、もしかしたらここまでのことをする必要はなかったのかも、とも思います。
現在、休日のリビングで子どもたちと汗だくになって遊ぶ夫の姿を眺めるのが私の幸せです。「いなくなってほしい」とすら感じていた夫も、今では「いないと困る」存在です。
これからは、夫婦の時間、子どもたちとの時間、家族の時間、そしてそれぞれの1人の時間、すべてを大切にしながら、この穏やかな日々を守り抜いていこうと心に決めています。
【取材時期:2026年1月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。