今、問われているのは、教育にどれだけお金をかけられるかではありません。お金をかけなくても、誰もが質の高い学びを受けられる公立教育を、社会としてどう整えるかです。
幼少期、厳しい経済状況の中でも「教育」を受けられたことで人生が変わったと語る、前衆議院議員である吉田はるみ氏に、学びと社会、そして政治が果たすべき役割について伺いました。
教育は「人」への投資。社会と経済の土台をつくるもの
――学びの格差が社会課題となる中で、吉田さんは政策の柱に「教育」を掲げてこられました。なぜ今、教育が最も重要だと考えているのでしょうか?
吉田はるみ(以下吉田):私が一番大事だと考えているのは、教育は「経済」や「社会」と切り離せるものではないという点です。経済の土台にあるのは、やはり「人」だと思っています。景気を良くするのも、社会に新しい価値を生み出すのも、最終的には人の力です。
どれだけ能力や可能性を持っていても、「学び」がなければ、その力を十分に発揮することはできません。教育の水準が下がれば、社会全体の力も弱くなってしまいます。
何かに挑戦したり、夢を実現しようとしたりするとき、その土台になるのが学びです。だからこそ私は、社会を良くしていくために一番大事なのは教育だと考えています。

――教育は社会づくりの「土台」だとお話しされましたが、そう考えるようになった背景には、吉田さんご自身の幼少期の経験も大きく関係しているのでしょうか?
吉田:はい、私は山形県で小さな八百屋を営む家庭に育ちました。父は最終学歴が中学、母は高校で、大学進学とは縁のない家庭です。高校を卒業したら家の仕事を手伝うのが当たり前、という環境でした。それでも両親は、「子どもには教育を受けさせたい」という思いを持ってくれていました。
4人きょうだいの中で、大学院まで進学させてもらったのは私だけです。今の自分があるのは、間違いなく両親が教育を受けさせてくれたおかげだと感じています。学びを通じて社会の仕組みや課題を知ったことが、政策に向き合う原点になりました。
一方で、長女だった私が進学したことで、きょうだいに負担をかけてしまったのではないか、という思いもずっと心にあります。家計に余裕があるわけではない中で、迷惑をかけながら行かせてもらったという葛藤も抱えてきました。
だからといって、大学に行くことだけが教育の正解だとは思っていません。大切なのはどんな進路であっても、その土台となる「学び」を誰もが等しく得られることです。経済的な理由で学ぶ機会を失ったり、選択肢を狭められたりすることがあってはならない。子どもたち一人ひとりが、自分の可能性を信じて次の一歩を選べる社会にしたい。そのためにも家庭環境に左右されず、質の高い学びを受けられる公教育の充実が欠かせないと考えています。
自分自身が、進学をめぐる感謝と葛藤の両方を抱えて育ったからこそ、こうした思いを強く持つようになりました。
教員がたりない。その影響を、子どもたちが受けている
――「その子自身が望む進路を選べる社会」を実現するために、その土台となる「学び」の環境について、日本の教育現場や家庭、地域には、どのような課題があると感じていらっしゃいますか?
吉田:「その子自身が望む進路を選べる社会」を実現するための「学び」の環境について考えたとき、教育現場だけでなく、家庭や地域を含めて教育を支える環境全体に課題があると感じています。
家庭の経済状況によって、通える学校や受けられる学び、進路の選択肢に差が生まれてしまっている現実があります。また、教育を学校だけに任せきりにしている今の構造にも限界が出てきています。
本来であれば、どの子どもも環境に左右されることなく、学びを通して可能性を広げられる社会であるべきです。だからこそ学校だけに負担を集中させるのではなく、社会全体で教育を支える仕組みを整え、その中核として公立学校をしっかりと充実させていくことが重要だと考えています。
――では、公立の教育を充実させていくために、何が必要なのでしょうか?
吉田:まず解決すべきなのは、教員不足です。公教育は今、危機的な状況にあると感じています。
教員がたりず、十分な人手を確保できない状況では、公立学校が本来担うべき学びを十分に提供することが難しくなります。その結果として、早い段階から私立学校を選ばざるを得ない家庭が増え、家庭の経済状況によって進路や学習環境に差が生まれてしまいます。
本来は公立学校の中で、最後まで選択肢のある学びを保障したい。しかし現状では、それを支えるだけの人手がたりていません。
教員不足の背景には、業務の多さがあります。こうした負担は公立・私立を問わず教員全体に共通する課題ですが、特に制度として改善を求められるのが公立学校です。授業準備に加え、保護者対応、報告書類、部活動など、多くの業務が教員一人に集中しています。
こうした状況が続けば、心身の不調を抱える教員が増え、結果として現場を離れざるを得ない人も出てきます。
一方で、こうした働き方を目の当たりにし、「最初から教員を選ばない」若者が増えていることも見逃せません。教員採用倍率が1倍を切る状況が続いているのは、決して「なり手の問題」だけではなく、働き続けられる環境が整っていないことが、最大の要因だと考えています。
――新しく教員を目指す人が減っていることに加え、すでに現場で働いていた教員が職場を離れ、その後戻れなくなってしまうケースもあるようです。こうした状況の背景には、どのような要因があるのでしょうか?

吉田:教員不足の背景には、現在現場を離れている、いわゆる休職中の教員の存在もあります。精神的な不調などで一度現場を離れたあと、そのまま戻れなくなってしまっているケースは少なくありません。
本来であればそうした方々が安心して現場に戻れる環境を整えることができれば、教員不足の改善につながるはずです。新しく人を採用することだけでなく、今、現場を支えている人材をどう守り、どう支えていくかという視点も欠かせないと考えています。
そのためには、教員一人に業務が集中しすぎない仕組みをつくることが重要です。多くの業務を抱えている現状を見直し、外部人材やアシスタントを活用して役割を分担していく必要があります。具体的には副担任制や25人の少数学級の実現などが必要です。
そうした環境が整えば、教員に心の余裕が生まれ、子ども一人ひとりと向き合う時間も増えていきます。教員が安心して働き続けられる現場をつくることは、結果として、子どもたちの学びの質を守り、学びの格差が固定化していくことを防ぐことにもつながる。私はそう考えています。
「受験」がゴールになった教育で、子どもは育つのか?
――教員不足によって教育現場に余裕がなくなる中で、教員数が確保されれば、望む学びの質が守られるようになるのでしょうか?
吉田:正直に言うと、教員不足が解消されたとしても、今のままでは「子どもたちが本当に望む学び」になっているとは言い切れないと感じています。現在の日本の教育は、どうしても「大学に入ること」をゴールに据え、そこから逆算された学びになっているからです。
私は文化芸術がとても好きです。先日知り合いが子どもたちに舞台やオペラ、歌舞伎などに触れる機会をつくってもらおうとイベントを企画し、参加者を募集したそうです。
しかし、無料であるにもかかわらず、定員にはまったく届きませんでした。保護者や子どもたちに参加しなかった理由を聞くと「受験に関係ないから」という声が多かったそうです。
その反応を見て、教育現場や家庭が、どれだけ余裕を失っているのかを強く感じました。
――そのお話を通して、今の教育現場や家庭のあり方について、どのような課題が見えてきたと感じていますか?
吉田:文化芸術は高校生くらいまでの、感受性が最も高い時期にこそ触れる意味があります。文化芸術に限った話ではありませんが、勉強とは直接関係がないからと切り捨てられてしまう現状は、とても悲しいことだと思います。芸術には、数値では測れない力があり、人の心や思考の幅を広げてくれるものだからです。
だからこそ大学合格から逆算された今の教育のあり方そのものを、見直していかなければならないと考えています。
こうした価値観は学校や家庭の中だけで自然に生まれたものではありません。受験を最優先にせざるを得ない教育制度や評価の仕組みが背景にあります。
これは、教育現場や家庭の努力だけでは変えられません。文部科学省が教育のプランを描く中で、政治がどの方向性を示すのかによって、教育の姿は大きく変わります。だからこそ、政治が果たす役割は非常に大きいと考えています。
「財源がない」は本当? 教育予算をめぐる政治の判断
――ここまで、教員不足や教育のあり方について伺ってきました。こうした課題を解決するには、やはり財源の問題を避けて通れないのではないでしょうか?
吉田:そうですね。教育を変えていくためには、財源の問題は避けて通れません。ただし、単に「財源を増やす」だけでなく、「限られた予算をどう振り分けるか」という両方の視点が必要だと考えています。
予算を編成する際、どこにお金を使うのかを最終的に決めるのは政治家です。教育をどこまで重視するのかは、政治の判断によって大きく変わります。その意味で、教育政策は政治の責任が強く問われる分野だと考えています。
――よく「教育にお金をかけたいが、財源がない」という声も聞かれます。本当に、日本には教育に予算を回す余裕はないのでしょうか?
吉田:残念ながら、日本の教育予算は年々減ってきています。ただ、それは「財源に余裕がないから」ではなく、教育への優先順位が高く置かれてこなかった結果だと考えています。
東京などでは、公立学校に十分な予算が行き届かない中で、教育の内容を理由に、私立を選ばざるを得ない家庭が増えています。その結果、公立学校の教育環境はさらに厳しくなり、私立学校との教育格差が広がってしまうのです。
近年では、補正予算は3カ月で18兆円以上が使われる規模です。そういった金額の規模から比較して考えると「子どもたちの学びや食」を優先することは、決して非現実的な話ではありません。
国立大学の無償化に必要な追加予算も約2,500億円とされており、国家予算全体から見れば、決して極端に大きな金額ではないのです。何にどれだけの優先順位をつけるのか、そこに政治の意思が問われていると思います。
また、学びの前提となる生活面の負担を軽減することも、教育格差を広げないためには欠かせません。給食費や奨学金の無償化といった施策は、とても重要だと思っています。
例えば、子ども1人あたり2万円の給付や、電気・ガス代、おこめ券などを含む自治体への交付金は約3兆円、給食費の無償化には約4,000億円が必要だと言われています。
――給食費などの無償化は子育て世代にとって大きな支えになりますが、一方で「質が下がってしまうのではないか」という不安の声もあります。この点については、どのようにお考えでしょうか?
吉田:例えば、給食費の無償化ひとつを取っても、「給食の内容が以前より簡素になったのではないか」といった声が聞かれます。無償化が進むこと自体は、とても大切な取り組みだと思っています。
ただ同時に、「本当に子どもたちに必要な質が守られているのか」という視点を忘れてはいけません。教育は、無償化そのものがゴールではありません。子どもたちの学びの質をどう守り、どう高めていくのか。そこまで含めて考えてこそ、意味のある無償化だと思っています。無償化と質の確保は、どちらか一方ではなく、必ずセットで考えるべきものです。

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教育のあり方は、子ども一人ひとりの将来だけでなく、社会全体の力にも直結しています。教育を「負担」と捉えるのか、それとも「人への投資」と考えるのか。その考え方によって、教育にどれだけ目を向けるのか、社会の姿勢そのものが変わってくるでしょう。
教育を家庭任せにせず、社会全体で支える仕組みをつくること。その積み重ねこそが、子どもを育てやすい社会をつくり、次の世代へと希望をつないでいくはずです。