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「生理痛のほうが痛かった」5年で3度の手術。子宮全摘と両卵巣摘出、母を襲った病の正体

ある日、母がふいに口にしたのは、自分の生理の話でした。いつもの調子で明るく、薬が効かないほどの痛みや手術のことまでさらりと語る母。その笑顔を見ながら、母の「大丈夫」の中に、私は何を見落としてきたのだろうと胸がざわつきました。

この記事の監修者
監修者プロファイル

医師沢岻美奈子先生
沢岻美奈子 女性医療クリニック院長

医療法人社団 沢岻美奈子女性医療クリニック理事長。産婦人科医。 2013年神戸で婦人科クリニックを開業。女性検診や、更年期を中心としたヘルスケア領域が専門。心身の不調が特徴的な更年期の揺らぎ世代の女性を統合医療による全人的なサポートをおこなっている。
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重い生理に苦しんできた母

母は私を産む前から、重い生理と向き合ってきました。通院もしていて、医師から子宮内膜症(子宮内膜に似た組織が子宮の外にでき、炎症や癒着を起こして強い生理痛や不妊の原因になることがある病気)だと診断されていました。

 

生理が起こりにくい状態を作る薬を処方され、その間に病状を落ち着かせる治療をしていたそうです。けれど、医師の指示で薬を中断して生理が再開すると、すぐにまた重い生理痛に戻ってしまったと言います。医師から「子どもを産めば治るよ。それまでの辛抱だからね」と言われたこともあったそうです。

 

母が35歳のとき、私が生まれました。当時の母はじんましんが出やすい体質で、出産後まもなく薬を飲む必要があり、授乳期間はほとんどなかったと聞いています。そのせいか、出産から2カ月ほどで生理が再開したそうです。そこからまた重い生理が始まり、レバーのような出血と、薬も効かないほどの強い生理痛に悩まされたと母は話していました。

 

子宮全摘を決意

私が幼稚園へ入園する時期を迎え、母は「生理中に私を幼稚園まで送迎することは難しいだろう」と考えました。そこで、バス停までの送り迎えで済むように、当時としてはまだめずらしかったスクールバスつきの幼稚園に通わせることにしたそうです。これなら大丈夫だと思っていたのに、私が年長になるころには、その「バス停まで」の送り迎えさえ生理中はつらくなっていったそうです。

 

翌年に小学校入学を控えた私を見ながら、母は「このままでは、成長していく娘にどんどん対応できなくなる」と強く思ったそうです。そして40歳のとき、医師のすすめもあり、子宮全摘手術を決意しました。

 

手術は無事に終わりました。術後の痛みは本来かなりのものらしいのですが、母は鎮痛剤を「大丈夫です」と断ったそうです。理由を聞くと、母は笑いながら「毎月の生理痛のほうが痛かったのよ」と言いました。いったいどれほどの痛みに毎月襲われていたのだろうと思うと、胸が痛くなりました。

 

 

がんかもしれない

その後、母は穏やかに過ごしていました。ところが子宮全摘から3年後、定期検診で医師に「右の卵巣が腫れている」「取ってみなければ良性か悪性かわからない」と告げられたそうです。

 

がんかもしれない。小学校3年生だった私を残して死んでしまうかもしれない。母はそんな恐怖で、居ても立ってもいられない気持ちになったと話していました。

 

そして43歳のとき、右の卵巣を摘出し、チョコレート嚢腫(卵巣に子宮内膜症の病変ができ、月経のたびに出血した古い血液がたまって茶色い内容物になることで腫れが生じる嚢胞)だったことがわかりました。医師からは「子宮内膜症で子宮全摘した人には、よくあること」と説明されたそうです。

 

母は当時を振り返りながら、「卵巣摘出の術後の痛みは、子宮全摘に比べたらの話だけど、一般的にはラクだと言われているの。でも私は、術後に鎮痛剤を2本打ってもらった。人間の痛みや感覚の慣れって、恐ろしいね」と語っていました。

 

同時に、私が「ママの言うことをきかなかったから、病院に連れて行かれてしまう」と泣いていたことも話してくれました。「あのころはかわいかったんだけどね」と言う母の目は、懐かしさとやさしさが混ざっているように見えました。

 

その2年後、今度は左の卵巣も同じように腫れ、摘出したところ、同じくチョコレート嚢腫だったといいます。

 

40歳から45歳までの5年の間に、母は3回の手術を受け、子宮と両方の卵巣を摘出しました。あまりにも大変な経験だと思い、私が「手術をしたことによるデメリットはあった?」と聞くと、母は「ないね」と即答しました。

 

まとめ

私も当時の母と同じくらいの年齢になり、この先の人生でどんな病気と向き合うことになるのだろう、と考える機会が増えています。健康的な生活を意識していても、それでも病気を避けられない日が来るかもしれない。そのとき、私は母のように腹をくくって立ち向かえるのだろうかと、不安になることもあります。

 

それでも、痛みの中で生活を回し、必要な決断を重ねながら私を育てた母の姿を知った今、心細さの中に支えが一つ増えました。病は単なる苦難ではなく、大切なものを守るための「強さ」を育む時間でもあったのだと、母の笑顔が教えてくれた気がします。

 

もし自分が同じ場所に立たされたら、母の言葉を思い出して、一歩でも前に進みたいです。

 

 

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。

 

監修:沢岻美奈子先生(沢岻美奈子 女性医療クリニック院長)

著者:磯辺みなほ/30代女性。ゲーマー。発達障害持ちの夫と2人暮らし。大変なことも多い中、それ以上にネタと笑顔にあふれる毎日を送っている

イラスト:sawawa

 

※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年2月)

 

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