しばらくして帰宅した義母を問い詰めると、あっさりと、「そんなにかわいそうだと思うなら、あなたがやればいいじゃない」と返してきました。義母は最低限はやっていると主張しましたが、現実はとてもそう呼べるものではありません。
さらに義母は、医師から余命半年と告げられていることを引き合いに出し、今さら手厚く世話をしても仕方がないと言い放ちます。施設への入居も、費用を惜しんで義母自身が反対していたことを後から義父本人に聞かされ、驚きました。
結局義母は、介護は最低限しかやらない、お金も出さないと宣言し、私が義実家に通って介護を引き受けることになったのです。
介護の日々
それからの日々は、想像以上に過酷なものでした。食事の用意や入浴介助、さらには通院の付き添い……。自分の生活と遠距離介護を両立させる毎日は、心身ともに限界を迎えそうになります。
一方の義母は、友人とのコンサートや旅行を楽しみ、家にいても義父の部屋には近寄ろうともしません。
ある日、義父の体調が目に見えて悪化しました。医師からも覚悟をするようにと言われている状況を義母に伝えると、返ってきたのはまるで他人事のような反応でした。せめて少しでもそばにいてほしいと頼んでも、「介護独特のにおいが臭くて嫌なの。具合が悪くなるわ」と取り合ってくれません。
それどころか、義母は翌々日から1週間の旅行に出かけると言い出しました。
それでも義父は「意識があるうちに話したいことがある」と言っています。それを私が伝えても、義母は話すことなど何もないと一蹴し、電話の電源を切ってしまったのです。
義父の死
義父の容体が急変したのは、義母が旅行に出て数日後のことでした。何度も電話をかけましたが、義母が出ることはありません。義父は、義母以外の家族に見守られながら、静かに息を引き取りました。
ようやく連絡がついた義母は、旅行中、危篤の連絡だとわかっていて意図的に電話に出なかったことを悪びれる様子もなく認めます。
葬儀の話になっても義母は「一番安いプランにしろ」「もういない人間にお金は使いたくない」と言い、参列すらしないと宣言します。夫や親族が、葬儀に出ないなら縁を切ると伝えても、遺産があれば暮らしていけるからと意に介しません。
私はこみ上げる怒りを抑え、冷静な声でこう告げました。「お義父さんの最後のお願いを無視したのはお義母さんです。後で後悔しても、私は知りませんから」と。
10年前の約束
葬儀を終えて数日後、義母から激昂した連絡が入りました。弁護士に遺産は受け取れないと言われ、しかも家族ではないから詳しいことは話せないと電話を切られたというのです。
実は、義父はすでに義母との離婚届を提出していました。10年前、義母の不貞が発覚した際、義父は一度離婚を決意しています。義母が泣いて再構築を懇願し、その場は収まりましたが、そのとき義母自身が離婚届にサインし、次に何かあれば夫の意思でいつでも届を出してよいという誓約書も交わしていたのです。
義父は最期の日々が近づく中で、私にこの経緯を打ち明けてくれました。あれほど話したいと伝えたのに、会おうともしなかった義母——。義父が残された時間の中で下した判断が、離婚届の提出でした。
私は、義父から「もしもの時はすぐにこれを出してくれ」と託されていた離婚届を、本人の意識がはっきりしているうちに代理人として提出しました。義父の意思が確認されたことで無事に受理され、義母との法的な縁は切れていたのです。
義母は狼狽していましたが、対話の機会を拒んだのは義母自身でした。「離婚のことだとは思わなかった」と声を震わせていましたが、それは私の知ったことではありません。
崩れ落ちる義母の計算
離婚が成立している以上、義母に相続の権利はありません。本来なら請求できる離婚時の財産分与も、義母自身の不貞と長年の浪費による使い込みが考慮され、手元に残るものはほとんどありませんでした。
さらに、義母が住んでいた自宅は夫が相続したため、売却の手続きに入ることを伝えました。退去の期限を聞いた義母は初めて声を震わせ、これでは暮らしていけないと訴えました。しかしそれは義母自身が招いた結果です。
義母は夫に連絡を取ろうとしましたが、その着信が届くことはありません。夫はすでに連絡先をブロックしていたからです。葬儀すら放棄した義母に対し、夫も親族も、絶縁の意思を固めていました。
困ったときだけ家族として頼られても、もう応じる理由はありませんでした。今後の手続きはすべて弁護士を通すことを伝え、私は義母との会話を終えました。
義父が遺してくれたもの
その後、義実家の片付けや退去手続きはすべて弁護士と業者に依頼し、私たちが直接関わることはありませんでした。義母は小さなアパートに移ったようですが、詳しいことはわかりません。
私たち夫婦は新しい住まいに移り、義実家から仏壇を引き取って、義父やご先祖さまの供養を続けています。義父はいつも穏やかで優しい人でした。最後の時間を一緒に過ごせたことは、私にとってかけがえのない宝物です。
◇ ◇ ◇
長年連れ添った家族であっても、支え合う気持ちがなければ、その関係はいつか限界を迎えます。介護や看取りという場面は、日頃の関係性がもっとも色濃く表れる瞬間かもしれません。
大切な人との時間は有限です。後悔のない関わり方を、今のうちから考えておきたいものですね。
【取材時期:2026年2月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。