退院から数カ月が経ったころ、夫の様子が明らかに変わり始めました。最初は買い物や家事を手伝ってくれていたのに、次第に「家にいるんだから自分でやれ」という態度に変わったのです。
雨の日に醤油を1本買ってきてほしいと頼んだだけで、「在庫を切らせたのはそっちだろ」と言って外食して帰ると言い出す始末でした。
何よりつらかったのは、車椅子の私を「邪魔」と表現したことです。「車椅子が家にあると圧迫感がすごいんだよ」「いつまで乗ってるんだ? 歩けるようになるって話は嘘だったのかよ」と、まるで私が怠慢で車椅子に乗っているかのような言い方をされました。
リハビリを続けていることも、家事をこなす努力も、夫の目には何も映っていないようでした。それどころか、「けがのおかげで優遇されていいよな」「養ってやっているんだから黙っていろ」と、私の人格を否定するような言葉を日常的に投げつけてくるようになったのです。
話し合いを持ちかけても「お前と話すことはない」と遮られ、それ以上反論すれば「離婚するぞ」と脅されます。私は次第に、夫に何も言えなくなっていきました。
募る違和感
夫の帰りはどんどん遅くなり、外泊も増えていきました。仕事が忙しいと言い張りますが、私も以前は同じ業界で働いていたので、そこまでの残業が続かないことを知っています。
ただ、車椅子の身ではたしかめようもなく、疑念を抱えたまま日々をやり過ごすしかありませんでした。
そんなある日、夫のスーツのポケットから、女性のものと思われる手書きのメモが出てきました。そこには、バレンタインのお礼とともに「次はどこのホテルに泊まりたい」という具体的な要望が記されていたのです。
けれど、私はすぐに動くことはしませんでした。感情のままに問い詰めても、証拠が不十分なら言い逃れされるでしょう。それに、ちょうどこのころ、私の体には大きな変化が起きていたのです。
夫には秘密
不倫の証拠を見つけたころ、リハビリの成果がようやく形になり始めていました。立ち上がれるようになり、補助があれば歩行もできるまでに回復していたのです。医師も驚くほどでした。
しかし私は、この回復を夫に知らせませんでした。歩けるようになったとわかれば、夫は態度を一変させるかもしれません。不倫の証拠を集めている最中に、警戒されたり証拠を隠滅されては困ります。
また、急に家に頻繁に帰ってこられても、かえって都合が悪いのです。だから私は車椅子に座り続け、夫を泳がせることにしました。その間に、不倫の証拠をできる限り集めたのです。
すべてを突きつけた日
十分な準備が整った日、私はLINEで夫に切り出しました。「不倫してるでしょ」と。夫は最初こそ「証拠があるのか」ととぼけましたが、手紙のことを指摘すると態度が揺らぎ始めます。
それでも夫は「車椅子のお前にひとりで生きていけるわけないだろ」と、私の足元を見るような言葉を返してきました。「嫌なら出ていけ。車椅子の不自由な体で、どこへ行けるか試してみるか?」そう言い放つ夫に、私は「もう歩けるんだよね」と伝えました。
夫は絶句していました。半年以上車椅子だった人間が突然歩けるようになるはずがない、と信じられない様子。
私は続けました。歩けることを隠していたのは、不倫の証拠を集めるためだったこと。手紙以外にも証拠があること。そしてこのLINEのやり取りを、義父母と私の両親が、私のすぐ横でこのやり取りを見ていること——。
「なんで親を巻き込むんだよ!」と取り乱す夫に、私は冷ややかに答えました。「絶対に離婚したいと思ったからだよ。ここまでしたら、もう逃げられないでしょう」
夫との別れ
数日後、夫は必死な様子で復縁を求めてきました。「不倫相手とは別れた」「リハビリも手伝うからやり直したい」そんな言葉を並べてきましたが、私の心はすでに決まっています。
夫は「自分もずっとつらかった」「罪悪感に追い詰められていた」と弁解しましたが、私が最も苦しかった時期に暴言を吐き、不倫に走り、話し合いすら拒んできた事実は変わりません。
私が車椅子のままでも夫婦として向き合いたいと願っていた時間は、もう戻ってはこないのです。
「離婚届にサインして。今週中に対応してくれないなら、証拠をそろえて調停に進むから」と告げると、夫は「親戚に顔向けできない」「見捨てないでくれ」と、保身のためにすがってきました。
けれど私は、もう何も感じませんでした。「私が傷ついたのは足だけじゃない。心は今も傷ついたままだから。少しでも申し訳ないと思うなら、もう何も言わないで」——それが、私から夫への最後の言葉でした。
その後、弁護士を介して作成した離婚届を提出し、無事に受理されました。慰謝料や財産分与についても公正証書で厳密に取り決めたため、今後の経済的な不安はありません。
私は現在、以前の勤務先などからフリーランスとして仕事を請け負い、自立した生活を送っています。歩行にはまだ杖が必要で、リハビリも続けています。元のように歩けるようになるかはわかりませんが、諦めるつもりはありません。
可能性が低くても、努力を続ければできることは少しずつ増えていく。それはこの数年で身をもって学んだことです。
◇ ◇ ◇
けがや病気は、誰の身にも突然降りかかります。けがをしたのがたまたま相手だっただけで、明日は自分かもしれません。そんなとき、家族は補い、支え合いたいもの。
私たちはいつ、支える側から支えられる側に回るかわかりません。「やってあげている」という傲慢さは、いつか自分に返ってきます。苦しいときこそ「明日は我が身」と想像力を働かせ、互いの弱さを許容し合うやさしさを持ちたいものです。
【取材時期:2026年3月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。