そんな折、年の離れた妹から連絡がありました。結婚した、しかも妊娠もしている、という事後報告です。相手はフリーになったばかりのコンサルタント。「両親に報告しておいて」という用件でした。
妹は昔から両親に溺愛されて育った、自由奔放な性格です。私の実家暮らしをいつもバカにし、容姿や未婚であることについて無神経な言葉を投げかけてくるのも珍しいことではありません。
言い返す気力もなく適当に受け流していたのですが、だんだんと妹の言葉を受け入れることができなくなっていたときの出来事でした。
1カ月で破綻した結婚
妹の結婚生活は、驚くほど短命でした。わずか1カ月で離婚を決め、実家に戻ると言い出したのです。
理由を聞けば、夫が食生活や家計について口うるさい、事業は一向に軌道にのる気配がない、生活が苦しい——自分の見通しの甘さを棚に上げた不満ばかりでした。しかも妊婦健診でおなかの赤ちゃんが双子であることが判明し、不安がさらに膨らんだようです。
実家に戻った妹は、出産準備を私に押し付けるようになりました。届いたベビーベッドの組み立てを当然のように命じ、日常的に私を見下す発言を繰り返します。
この家にいること自体への疲弊が、限界に近づいていると感じていました。
追い出された私
出産予定日が近づいたころ、妹はついに決定的なことを口にしました。「悪いけど、赤ちゃんが生まれたらここ私の部屋にするから、お姉ちゃん出て行ってくれない? 大人が4人もいたら正直邪魔なのよね」
妹は、まるで不用品を処分するかのような軽い口調でそう言い放ちました。私は少し考えてから「いいよ」と答えたのです。
妹は拍子抜けした様子で笑いました。あっさり受け入れたことが意外だったのでしょう。両親の了承は得たのかと尋ねましたが、妹はそんなものは必要ないと一蹴し、1週間以内に出て行くよう急かしてきます。
両親は自分のことを溺愛しているのだから、私がいなくなっても自分さえ言えば問題ないと本気で信じていたのです。
ところが翌日、妹から慌てた連絡が入ります。私を追い出したことを両親に話したところ、これまで見たことがないほど猛烈に叱られたというのです。妹は何が起きているのか、まったく理解できていない様子でした。
私は覚悟を決め、これまで隠してきた事実を妹に突きつけました。私の収入があったからこそ、破綻した実家の家計が首の皮一枚でつながっていたのです。
妹は絶句しました。しばらく沈黙が続いた後、怯えた声で今後はどうなるのか? と問う妹に、私は言いました。「今度はあなたが両親を支える番よ」と。
泣きつく妹
妹は謝って泣きつきましたが、私の気持ちはもう変わりませんでした。感謝もされずお金だけを要求される日々……。それでも家族だからと自分に言い聞かせ、耐え続けてきたのです。
妹に追い出されたことは、皮肉にも、長年縛られてきた鎖を自分で断ち切るきっかけになりました。頼られると断れない性格だった私が、初めて「もう振り回されるのはやめよう」と心に決めたのです。
私はすぐに引っ越し先を探し、一人暮らしの準備を進めました。実家を出ることへの不安よりも、ようやく自分のために生きられるという安堵の方が大きかったのを覚えています。
妹の末路
実家を出てからも、妹や両親から何度も連絡がありました。戻ってきてほしい、お金を送ってほしい——内容はいつも同じです。私は家族からの連絡を見ないようにしました。
当然のように、妹のわずかな収入ではまかないきれなかったよう。固定資産税やローンの支払いが滞り、やがて実家を維持することすら難しくなったと後から人づてに聞きました。
崩壊していく実家の惨状を聞くにつれ、私の脳裏をよぎったのは罪のない双子の赤ちゃんでした。あの両親と妹に育児ができるはずがありません。私は葛藤の末、子どもたちの安全を守るため、妹の元夫への連絡を試みたのです。
幸い、元夫はとても誠実な方でした。妹との短い結婚生活では振り回されて苦労が絶えなかったそうですが、子どもたちのことを聞くと、すぐに引き取る意思を示してくれたのです。
生活を安定させるため、彼はフリーのコンサルタントを辞め、一般企業に再就職。現在は法的な手続きを進めているようです。
妹の振る舞いには愕然としましたが、子どもたちを安全な環境で育てられることになった点だけが、唯一の救いでした。
◇ ◇ ◇
初めての育児は不安も多く、誰だって手助けが欲しいもの。もし妹がプライドを捨てて素直に協力を求めていたら、結末は違っていたかもしれませんね。
家族は助け合うものであって、依存するものではありません。互いへの敬意と感謝があって初めて、助け合いが成立するのではないでしょうか。
【取材時期:2026年3月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。