健診のたびに増えた口出し
結婚して2年、私は夫の実家で同居していました。
妊娠がわかったとき、義母はとても喜びました。初孫だから当然だと思いましたし、私も最初はありがたく受け止めていたのです。けれど、義母の関心は少しずつ私の外側へ向かっていきました。
「次の健診はいつ?」
「先生に何を言われたの?」
「薬は本当に飲んで大丈夫なの?」
ひとつひとつは心配のように聞こえます。けれど、そこにはいつも私を見張るような響きがあったのです。
つわりで食べられるものが限られていたときも、義母は私が口にするものを細かく見ていました。冷たい麺を少し食べているだけで、「そんなものばかり食べて、おなかの子に何かあったらどうするの」と責められました。私は、ただ吐かずに食べられるものを口にしていただけでした。理由を話しても、義母は納得しませんでした。
義母は、おなかの子の性別にも強くこだわっていました。夫は長男で、義母は何度も「跡取り」という言葉を使うのです。
「うちは長男の家なんだから、最初は絶対に男の子よ」
その言葉に反論する気力もなく、私は曖昧にうなずくことが増えていきました。
母親になるはずの私が、外されていく
健診で男の子だとわかると、義母は明らかにほっとした顔をしました。その日から、干渉はさらに強くなったのです。名前の候補を夫婦で考えていると伝えると、義母はすぐに口を出してきました。
「跡取りなんだから、ちゃんとした名前じゃないと」
「あなたたちは若いからわからないでしょう。こっちでも考えておくから」
その「こっち」という言い方に、胸がざわつきました。義母の中で、赤ちゃんのことを決める側に私は入っていないのだと感じたのです。
そのうち、赤ちゃん用品にまで口を出されるようになりました。まだ私が迷っているものまで、義母は当然のように決めようとしました。
「この家で育てるんだから、こっちにそろえておかないと」
さらに義母は、夫の実家の一室を片づけ、ここを赤ちゃんの部屋にすると言い始めました。
私が産後は少し実家に帰りたいと伝えると、義母の表情が変わりました。「赤ちゃんを連れて行くのか」、「何日帰るつもりなのか」、「産後はこの家で過ごすのが当然でしょう」と、同じことを何度も言われたのです。
その言葉で、私ははっきりわかりました。義母は私の体を気遣って引き止めているのではありません。赤ちゃんを、自分の目の届かない場所に連れていかれる。それが嫌だったのでしょう。
夜、夫にそのことを打ち明けました。産後くらい実家で休みたい。義母が赤ちゃんのことを全部決めようとしていて怖い。けれど夫の反応は、拍子抜けするほど軽いものでした。
「母さんも初孫で張り切ってるだけだよ」
「悪気はないんだから、あまり大げさに受け取るなよ」
私が伝えたかったのは、悪気の有無ではありません。つらい、怖い、助けてほしい。ただそれだけでした。義母から届いたメッセージも、何度も夫に見せました。健診の結果はまず義母に知らせること。勝手に実家へ相談しないこと。この子はうちの跡取りだということ。
夫は画面を見ても、ため息をつくだけ。
「俺から言うと余計こじれるんだよ」
その一言で、夫が私の味方として動くつもりはないのだと悟りました。夫は、私が傷ついていることを知らなかったのではありません。知っていて、母親と向き合う面倒を避けていただけだったのです。
それでも私は、生まれたら何かが変わると信じたかったのだと思います。赤ちゃんを抱けば、義母も私を母親として見てくれる。夫も少しは向き合ってくれる。そう考えなければ、毎日をやり過ごせませんでした。
産後翌日、届いた離婚届
出産は、想像していたよりずっと大変でした。体力を使い切り、ようやく眠れたのは朝方。産後の痛みもあり、体を起こすだけでも息が詰まりそうでした。それでも、隣で眠る赤ちゃんを見ると涙が出てきます。
やっと会えた。
この子を守らなければ。
そう思っていた産後翌日の昼、病棟の看護師さんが封筒を持ってきました。差出人は、夫の実家名義。中を見て、手が止まりました。
離婚届でした。
夫の署名欄は空白でした。けれど、証人欄には義母の名前が書かれていました。夫婦で話し合ったわけでもないのに、義母が離婚届を用意して、私に署名させようとしている。その異様さに、しばらく頭が追いつきませんでした。産んだばかりの病室で、まだまともに歩くこともできない状態で、隣には生まれたばかりの子が眠っている。その状況で、私の手元に離婚届があるのです。
しばらくして、義母から電話がかかってきました。
「届いたでしょう」
電話の向こうで、義母は落ち着いた声でそう言いました。
「あなたはもう、この家ではやっていけないでしょう。だから離婚届にサインして、実家に戻りなさい」
義母は当然のことのように続けました。
「でも、子どもはこの家で育てます。うちの孫なんだから」
頭の中が、一瞬真っ白になりました。
「この子の母親は私です」
やっとそれだけ言うと、義母はため息をつきました。
「わかっていないわね。この子はうちの跡取りなの」
「あなた一人で抱え込むより、この家で育てたほうがいいのよ」
まるで私を気遣っているような言い方でした。
でも違います。義母は私を助けようとしているのではありません。母親である私を、子どものそばから外そうとしているだけでした。
それ以上は声が出ず、私はいったん電話を切りました。
するとすぐに、義母からメッセージが届きました。
「離婚届にサインしなさい!そしてあなたは実家に帰ってちょうだい!」
「跡取りの孫はこの家で育てるから、置いていくのよ」
画面を見た瞬間、胸の奥が冷たくなりました。今までの私なら、ここで謝っていたかもしれません。「考えます」「夫と相談します」そう言って、また義母の機嫌を取ろうとしていたかもしれません。でも、隣には小さな寝息を立てるわが子がいました。この子まで、誰かの機嫌で居場所を決められる生活に入れるわけにはいかない。そう思った瞬間、腹が決まりました。
私は離婚届を封筒に戻し、震える指で返信しました。
「ありがとうございます!」
送信すると、すぐに「え?」と返信がありました。続けて、義母から着信がありました。
「ありがとうございます!」と返した理由
義母は、私が従ったと思ったのでしょう。けれど、私の返事はそういう意味ではありませんでした。私は電話に出て、静かに伝えました。
「では遠慮なく、子どもを連れて実家に帰ります。離婚についても、こちらで正式に進めます」
電話の向こうの空気が変わりました。でも義母は笑いながら言ったのです。
「子どもはうちの孫よ。あなた一人の判断で連れて行けると思わないで」
でも、もう以前のように体が縮こまることはありませんでした。私は深呼吸して、必要なことだけを伝えました。記録は残していること。義母からのメッセージも、今日届いた封筒も残すこと。今後の連絡は第三者を通してほしいこと。
義母は一瞬黙りました。けれどすぐに、「それなら息子に親権を取らせる」と言い出しました。私は、なるべく感情を入れずに返しました。
「親権は、親同士で話し合うものです。祖母が一方的に決められる話ではありません」
そこから義母の言い方は変わりました。大げさにすることではない。初めての育児で大変だろうから、こちらで見ようと思っただけ。私のためでもある。そんな言葉が続きました。でも、もう通りませんでした。
あなたのため。赤ちゃんのため。この家のため。そう言いながら、義母は私から選ぶ権利を奪ってきたのです。
私は、離婚の話は夫と第三者を通して進めること、今後は義母と直接やり取りしないこと、退院後は子どもを連れて実家に戻ることだけを伝え、電話を切りました。
切った瞬間、手が震えました。怖くなかったわけではありません。でも、赤ちゃんの寝息を聞いていると、泣いている場合ではないと思いました。
この子の母親は私だ。
それだけは、誰にも渡してはいけないと思いました。
遅れて現実を知った夫
その日のうちに、夫から連絡が来ました。夫は、離婚届のことを事前には知らされていなかった様子でした。けれど、最初に出てきた言葉はこうでした。
「母さんも悪気があったわけじゃないと思う」
その一言で、気持ちがすっと冷めていきました。知っていたかどうかではありません。ここでも夫は、私ではなく義母をかばったのです。夫は落ち着いて話そうと言いました。でも私は、もう何度も話してきました。つらいと伝え、怖いと伝え、義母の言葉も見せました。そのたびに夫は、私ではなく義母の機嫌を優先してきたのです。
退院後、私は子どもを連れて実家に戻りました。そこから、記録とやり取りを整理し、順番に手続きを進めました。
相談先では、義母の行為がすぐに犯罪になるとは限らないものの、出産直後の母親に離婚届を送り、子どもだけを引き渡すよう迫った経緯は、十分に記録しておくべきだと言われました。
夫は、すぐに離婚を受け入れたわけではありません。そこまですることではない、義母も反省している、子どものためにもう一度考えてほしい。そう言われました。でも私には、もう戻る理由がありませんでした。
子どものためと言うなら、なぜ妊娠中の私を守らなかったのか。子どものためと言うなら、なぜあの離婚届を見ても、最初に義母をかばったのか。
夫は答えられませんでした。
義母のメッセージ、離婚届が届いた経緯、私が残していた記録。それらを第三者の前で確認するうちに、夫も自分が何を放置してきたのかを否定できなくなったのだと思います。
最終的には、親権を争わないこと、養育費を支払うことに応じました。義母とは、その後も直接話していません。連絡はすべて第三者を通す形になりました。少なくとも、私に直接命令できる立場ではなくなりました。
戻ったのは、母親でいられる場所でした
実家に戻ってからの生活は、ラクではありませんでした。夜中の授乳で眠れない日も、赤ちゃんが泣き止まず一緒に泣きたくなる日もありました。それでも、義母の足音に身構えることはなくなりました。健診の結果を急いで報告する必要も、子どもの服を選ぶたびに義母の顔色を思い浮かべる必要もありません。
母は黙って温かいお茶を置いてくれ、父は泣きやまない赤ちゃんをぎこちなく抱いてくれました。何かを完璧にしなくても責められない場所にいるだけで、少しずつ息ができるようになっていきました。
迷うことや失敗することもありますが、この子のことを考えて決めるのは私です。誰かに許可をもらわなくても、私がこの子の母親でいられる。そう思える場所で過ごせることが、私にとっては何より大きな救いでした。
あの病室で離婚届を見たときの感覚は、今でも覚えています。産んだばかりの子どもの隣で、自分だけが家から切り離されようとしている。その事実に、声も出ませんでした。でも今は、誰かの顔色をうかがわずに子どもを抱けています。大変なことはありますが、ただそれだけで、あのとき動いてよかったと思っています。
【取材時期:2026年1月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。