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「ウチの子になる?」妹夫婦が他界…残された10歳の娘を引き取った私達夫婦→戸惑いの生活…新しい家族の道は

大切な人を突然失う悲しみは、簡単に言葉にできるものではありません。深い喪失感の中で、何を支えに生きていけばいいのかわからなくなってしまうこともあります。

それでも、残された大切な存在を守ろうとしたり、亡き人の想いに触れて少しずつ心を動かされたりする中で、前を向くきっかけを見つけることもあるのです。

今回は、大切な人を失った悲しみと向き合いながら、それぞれの形で一歩を踏み出していく女性たちのエピソードをご紹介します。

 

他界した妹夫婦の娘を引き取った私達夫婦→本当に救われたのは…!

まとめ

 

私は夫と2人で、小さな飲食店を営んでいます。開店当初は順調だったものの、原材料の値上がりや節約志向の影響で外食を控える人が増え、次第に客足が減っていきました。閉店後、シャッターを下ろしながら夫が「この先、この店どうしようか……」と呟きました。この状況に頭を悩ませる毎日を過ごしていました。

 

そんなある日、私のスマホが鳴りました。妹夫婦が事故で亡くなり、10歳の娘が残された――突然の知らせでした。

 

 

残された10歳の娘

通夜の控え室。親戚たちの「あの子、どうするんだ?」「まだ10歳でしょ?うちは無理よ」「正直、余裕なんてないわよね」とヒソヒソと話す声が聞こえてきました。

 

誰も、“どう支えるか”の話はせず“誰が引き取らずに済むか”の話ばかりで心が痛みました。ある人は「もう少し大きければ、働き手にもなるんだろうけど」と言い、その言葉に「そうよねぇ。子どもじゃ役に立たないもんね」と言う心無い声が耳に入りました。私はその言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられました。さらに「施設って手もあるんじゃない? だって、うちだってギリギリなんだからさ」と聞こえ、 “現実的”という言葉で自分たちの冷たさを正当化しているように聞こえました。

 

私は気づいたら、妹の娘の前に立ち 「ねぇ……うちの子になる……?」と口が勝手に開きました。その場の空気が一瞬で凍る中、私の横にいた夫がそっと小さくうなずき「ラーメン、好き?」 と尋ねました。唐突な質問に妹の娘は少し驚いた顔をして小さくうなずきました。妹の娘は、疑っているようでも試しているようでもなく、 ただ静かにこちらを見ていました。 そして、ほんのわずかにうなずいたのです。こうして、私と夫、娘との三人暮らしが始まりました。

妹の娘の気遣いに胸が締め付けられ……

新しい生活は、思っていた以上にぎこちないものでした。朝起きる時間もテレビの音量も、どれも些細なことなのに娘は毎回こちらの顔色をうかがっていました。まるで、“ここにいていいかどうか”を確かめるように、口癖は「迷惑かけないようにするから……」と言うのです。私が「大丈夫だよ」と言えば言うほど、かえって距離を取られているような気がして胸がざわつきました。

 

ある日、夜中にトイレに立ったとき、娘の部屋からすすり泣きが聞こえたのです。声をかけるべきか、そっとしておくべきか迷った末、私は小さくノックしました。すると「大丈夫……!」と、 明らかに大丈夫ではない声で返事をする娘がいました。心配になり、私がドアを少し開けるとベッドの上で写真を握りしめたまま固まっている娘がいました。 すると娘が「ごめんなさい!」と言って、必死に涙を拭いました。そして、 「こんなに優しくしてくれてるのに、私がいつまでもパパとママのことで泣いてたら、ダメだよね?」とポツリ。その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと潰れそうになりました。私はできるだけやわらかく「パパとママを思い出すことに、遠慮なんかいらないのよ? 泣きたいなら泣いていいし、無理に笑わなくていいんだよ」と伝えました。すると娘は「だって……これからは、2人が私の新しいパパとママなんでしょ?」と言うのです。娘の言葉に私は「どんなに頑張っても、私たちはあなたのパパとママにはなれないの。私たちは、“代わり”になるんじゃなくて、あなたの味方でいたいだけ。だから無理に忘れようとしなくてもいいんだよ」と伝えました。

 

すると娘は「うわぁぁん!」と、妹夫婦が亡くなってから初めて声を出して泣いたのです。私は何も言わずに、ぎゅっと抱きしめ続けました。この夜を境に、娘は少しずつ「遠慮」よりも「安心」している姿を見せてくれるようになっていきました。

 

私が選んだ結末

ある平日の夕方、いつもなら真っすぐ家に帰って留守番をしている娘が「家で1人で待ってるのが怖くて……。お店にいたら安心するから一緒にいてもいい?」と言うのです。私と夫は「もちろん! 一緒にいよう!」と答えました。

 

その日から、娘はできることを手伝うようになりました。おしぼりを並べたりテーブルを拭いたりと一生懸命に手伝ってくれました。最初は緊張で声も小さかったのに今では「いらっしゃいませ!」と大きな声で挨拶までできるようになったのです。娘が手伝うようになってから、店の雰囲気が明るくなり少しずつ空席が埋まるようになっていったのです。

 

そんな中で迎えた妹夫婦の一周忌。 親戚が「この子を引き取って“得した”わねぇ! お店うまくいってるんでしょう!?」と言ったのです。私は思わず「私たちは、損得でこの子を迎えたんじゃありません!」と言い返しました。すると、その場は静まり返り、それ以上、誰も何も言いませんでした。帰り道、娘が私の顔を見上げ、不安そうな目をして「……私、役に立ってるかな?」と呟いたのです。私は娘の目をしっかり見て「役に立つかなんて考えなくていいの! 私たちはね、あなたに救われてるの。一緒にいられて、本当に幸せなんだよ」と伝えました。この子がここにいて、安心して笑ってくれるだけで、私たちは救われている。それが、私たちの家族の形なのです。

 

◇ ◇ ◇

 

そして家族の形は一つではありません。一人一人が“安心できる居場所”を一緒に作っていけるなら、それがその家の家族なのでしょう。

 

※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

 

 

1つ目のエピソードでは、妹夫婦を突然亡くし、残された10歳の姪を迎え入れることを決めた女性が登場します。周囲が「誰が引き取るのか」と距離を置こうとする中、女性と夫は姪の居場所になろうと決意。ぎこちない日々を重ねながら、少しずつ新しい家族の形を築いていくのでした。

 

続く2つ目のエピソードでは、結婚式を目前に婚約者を事故で亡くし、自分を責め続けていた女性が登場します。3年もの間、心が止まったままだった女性のもとに、亡き婚約者から届いた一通の手紙。その手紙が、女性の閉ざしていた心に思いもよらない変化をもたらしていくことに……。

 

 

結婚式直前に亡くなった婚約者→3年越しの“言葉”を受け取った私は…

まとめ

 

結婚式を数日後に控えた、ある夜のこと。私は実家の自室で、布団に入ってもなかなか眠れずにいました。婚約者の彼に連絡するとまだ起きていて、眠れないことを打ち明けると……。

 

結婚式直前の眠れない夜、彼とのドライブ

彼は「1時間だけドライブでもする?」と提案してくれたのです。私は驚きながらもうれしくなり、甘えることにしました。婚約者の運転する車の助手席は、不思議といつも安心できる場所でした。

 

それから3年。私は実家の自室に閉じこもり、ほとんど食事ものどを通らない日々を送っていました。

 

あの日、眠れない私のために婚約者が連れ出してくれた深夜のドライブ。その途中、ながら運転の車に追突され、数日後、病院で彼は帰らぬ人となったのです。私の心は、事故のあの日に取り残されたまま。

 

母は毎日のように部屋の外から声をかけてくれました。けれど私は、そんな母の気持ちにも応えられませんでした。食べることも、生きることも、私には意味のないもののように思えていたからです。
 

「私のせいで…」自分を責め続けた3年間

母が「そろそろ、一歩を踏み出してみない?」と静かに語りかけてきたとき、私は思わず感情を爆発させてしまいました。「眠れない」と私が言わなければ、彼はあの夜、車を出さなかった。ドライブに行かなければ、事故に遭うこともなかった。そう思うと、どうしても自分を責めずにはいられなかったのです。

 

みんな心の中では、彼が亡くなったのは私のせいだと思っているのではないか――。そう訴える私に、母は何度も「違う」と言ってくれました。悪いのは、ぶつかってきた相手なのだと。頭ではわかっていても、心はまったく追いつきませんでした。

 

亡くなったはずの婚約者から届いた手紙

そんなある日、母が信じられないことを言いました。婚約者の彼から「手紙が届いた」というのです。

 

 

最初は何を言っているのかわかりませんでした。もうこの世にいない人から手紙が届くはずがありません。けれど母は、それが嘘ではないと真剣な声で続けました。

 

差出人は彼の名前。宛名は私。しかも、消印の日付は事故の前日だったのです。どうやら「タイムカプセル郵便」のような形で、過去の彼が未来の私に宛てて送っていた手紙でした。

 

私は戸惑いながらも、その封筒を開きました。
 

彼の手紙が、止まっていた私の心を動かした

手紙には、結婚3年目の私たちが仲良くやっているだろうか、倦怠期になっていないだろうかと心配する彼の言葉がつづられていました。喧嘩したときにはこの手紙を思い出してほしいこと、私と出会えて本当に幸せだったこと、世界でいちばん私を愛していること――。そこには、事故のことなど何も知らない、未来を信じて疑わない彼のまっすぐな想いが詰まっていました。

 

読み進めるうちに、涙が止まらなくなりました。苦しくて、切なくて、でも同時に、あまりにも彼らしい内容に少しだけ笑ってしまったのです。こんなときなのに笑ってしまう自分に戸惑いながらも、私はようやく、止まっていた感情が少しだけ動き出すのを感じていました。

 

その日の夕方、私は母と少しだけ話をしました。彼が、私の前向きで明るいところが好きだと書いていたこと。私は泣きながら、それでもどこかうれしそうに話していたと思います。

 

母はそんな私を見て、「本当にあなたのことを一番に考えてくれていたのね」と静かに言いました。3年間、見守り続けてくれた家族でさえ開けなかった心の扉を、こんなにもあっさり開けてしまうなんて、ずるいなと思いました。もういないのに、今でもこんなふうに私の心を動かしてしまうなんて。

 

苦しんでいたのは私だけじゃなかった―その後

私は母に、これまでたくさん迷惑をかけたことを謝りました。すると母は、迷惑なんかじゃない、ひとりで抱え込んでしまうことのほうがつらかったのだと話してくれました。その言葉に、私はようやく前を向いてみようと思えたのです。

 

少し笑顔になった私が母と話している姿を見た父は、その場で声を上げて泣きました。普段は不器用で感情を表に出さない父が、何も言わずに強く抱きしめてくれたのです。そのとき、苦しんでいたのは自分だけではなかったのだと、ようやく気づくことができました。

 

今は少しずつ生活を立て直し、週に何度かアルバイトもしながら、これからの人生について考えています。

 

私は彼と出会えて、本当に幸せでした。
そして今もこれからも、世界でいちばん愛しています。

 

◇ ◇ ◇


大切な人を突然失ったとき、「あのときこうしていれば」と自分を責めてしまうこともありますよね。頭では仕方のない出来事だとわかっていても、気持ちが追いつかず、立ち止まってしまうこともあるかもしれません。

 

そんな中で、言葉や思い出、そばで支えてくれる人の存在が心を動かしてくれることもあります。大切な人への想いを胸に抱きながら、これからの時間をどう過ごしていくか。自分の気持ちを大切にしながら、少しずつ前を向いていきたいですね。

 

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

 

 

いかがでしたか?

 

今回は、大切な人を失った悲しみと向き合いながら、それぞれの形で一歩を踏み出していく女性たちのエピソードをご紹介しました。

 

大切な人を失った悲しみは、簡単に消えるものではありません。それでも、その悲しみを無理に押し込めるのではなく、大切な人への想いを胸に、少しずつ歩き出すこともできるのだと思います。

 

亡くなった人への想いを大切にしながら、これからの時間をどう生きていくのか。深い悲しみの中にも、あたたかな希望を感じるエピソードでした。

 

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ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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