善意で始めた送迎
私は趣味の集まりに参加するため、月に数回、車で少し離れた会場へ通っていました。あるとき、近所に住む友人も同じ集まりに参加することになりました。
友人は車を持っておらず、バスを乗り継いで行くには時間がかかるとのことでした。ちょうど私の家からも近かったため、「よかったら一緒に乗っていく?」と声をかけました。
最初のころ、友人は「助かるわ」「本当にありがとう」と何度も感謝してくれました。私も、どうせ同じ場所へ行くのだから少し遠回りするくらいなら問題ないと思っていました。ひとりで行くより話し相手がいるのも楽しく、特に負担には感じていませんでした。
予定まで決められるように
ところが、回数を重ねるうちに、友人の言い方が少しずつ変わっていきました。私の都合を聞く前に、「次は何時に迎えに来てくれる?」と言うようになったのです。
そのうち、「帰りにスーパーへ寄ってほしい」「少し早めに出たいから、この時間でお願い」と頼まれることも増えました。私にも集まりの前後に用事がある日や、早く帰りたい日がありましたが、友人はあまり気にしていないようでした。
ガソリン代や駐車場代の話が出ることもありませんでした。お金が欲しかったわけではありません。ただ、こちらの時間や手間を当然のものとして扱われているように感じると、だんだん気持ちが重くなっていきました。
できないと伝えて距離を置く
ある日、友人からいつものように「今度は何時に迎えに来て」と連絡がありました。その日は、私は集まりの前に別の用事があり、友人を迎えに行くとかなり遠回りになってしまう日でした。
私はしばらく迷いましたが、思い切って「ごめんね。毎回の送迎は少し負担になってきたから、これからは必要なときだけにさせてほしい」と伝えました。すると友人は、少し不満そうに「今まで乗せてくれていたのに?」と言いました。その言葉に胸がチクリとしましたが、ここで曖昧にしてはいけないと思いました。私は「私にも予定があるし、毎回は難しいの」とだけ伝えました。
その後、友人はバスや電車を使って集まりに来るようになりました。最初は少し気まずさもありましたが、顔を合わせれば普通にあいさつをする関係に戻っていきました。私も送迎の時間を気にせず行動できるようになり、気持ちが軽くなりました。
まとめ
親切は、最初は気持ちよくできるものでも、相手にとって当然になってしまうと苦しくなることがあります。相手を責める前に、自分がどこまでならできるのかを伝えることも大切だと感じました。人間関係を長く続けるためにも、無理を抱え込まず、できることとできないことの線引きをする勇気が必要なのだと思います。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:大和田 香/60代女性・パート
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年6月)
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