無職のままシングルマザーになりました
私は娘が1歳のときに離婚して、シングルマザーになりました。元夫からDV被害を受けていたので離婚準備がしっかりとできないまま離婚し、当時は無職。娘を出産したときに助産師という職業を初めて知り、女性でこんなに活躍できる仕事があるんだ!と強く憧れを持ちました。
しかし「まぁ子ども育てながら学校通って国家資格受験って無理だよね……その前に学校受験と学費と生活費って問題山積みだし」とすぐにあきらめ、何か資格をとらなくては!とワードやエクセル、医療事務の資格を取ってみましたが、就職活動はまったくうまくいきませんでした。
母からの提案「看護師になってみたら?」
そんなとき、母親から「助産師になるには看護師の資格も必要だし、看護師どう? このまま実家に住んでていいし、学費なんかのお金は出世払いでいいよ」と提案がありました。「いやいやそんなに簡単に言わないでよ」と思いましたが、看護師は国家資格。給料も高い。
もし娘が将来大きくなって、行きたい学校にお金の問題で通わせられなかったら……と心配になり、看護師の一般的な給料や働き方について調べてみるとどんどん興味がわいてきました。そして一大決心し、看護学校を受験することに。
しっかりと確保したい勉強時間
看護学校を受験するには独学では難しそうだったので、看護学校受験専門の予備校に通い始めました。朝、娘を保育園に送って予備校へ行き、夕方また保育園へ迎えに行くサイクル。家に帰ってからも、娘を寝かせたあとはまた勉強。
看護学校は滑り止めも含めて4校受験し、受験1カ月前は最後の追い込みでさらに勉強時間を増やしました。保育園のお迎えから寝かしつけまでの娘のお世話を両親にお願いし、私は予備校が終わった時間からそのままファミレスに行き日付が変わるまで勉強の日々。
受験最終日の子どもの様子
当時1歳10カ月だった娘は大のママっ子でしたが、看護学校受験前の追い込み時期で夜に私がいないことにまったくグズったりしなかったそうです。ですが4校目の受験を終えた日の夜、娘を寝かしつけるときに、娘があお向けになった私の体の上に乗ってシクシクと泣いていました。
娘が眠りについたので体から下ろそうとすると、泣きわめいて起きてしまうので娘を体の上に乗せたまま朝を迎える、ということが1週間続いたのです。「表に出さないだけでずっと寂しい思いをさせていたんだね、ごめんね」と何度も娘に謝りました。
娘の立場になって考えると、明らかに寂しいと感じる状況だったのに看護学校の受験のことに頭がいっぱいで、娘のことを十分に構ってあげられなかったことに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。その後は看護学校に合格して国家資格も無事取得し、現在は看護師として働いています。多忙な毎日ですが、あのときの後悔を忘れず娘との時間を大切にしていこうと思います。
著者:吉川 みきな
2008年生まれの女の子と2018年生まれ、2022年生まれの男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。