お互い好きなことをして生活していた日々
入籍したあと、夫は転勤先の富山、私は東京で自分の好きなことをして月末だけ会うという月末婚を楽しんでいました。私は昔のドラマの「週末婚」が大好きで、小さいころから憧れていました。
しかし、急に新型コロナウイルスが流行りだし、月末に会うこともできなくなりそうだったため、すぐに夫の転勤先の富山に引っ越すことを決めました。そのことをきっかけに、私たちの妊活が始まったのです。元々、基礎体温を測ってはいませんでしたが、セックスの回数を多くすれば妊娠するものだと考えていました。
不妊治療のクリニックに行こうとするも…
しかし、妊活はそんな甘いものではなく、半年たっても妊娠せず、35歳という年齢にもなったので検査のために「不妊治療のクリニックに行こう!」と夫に伝えました。
夫は検査結果を知るのが怖かったのか、なかなか重い腰を上げず、私はせめて基礎体温を測り、タイミングを取ろうとしました。そのため、今までは夫がしたいタイミングですればよかったものが、「この週で2日に1回お願い!」と強制してしまったがために義務的になってしまい、回数がだんだんと減っていってしまいました。
やっと不妊治療のクリニックを受診することができ、タイミング法(医師から妊娠しやすい日時・タイミングを教えてもらい、性交をすること)をおこないながら検査を進めていきましたが、義務的なことに変わりはなく、次第に行為自体ができなくなっていきました。
人工授精を試したが、うまくいかず…
検査では不妊の原因も特に見つからず、タイミング法を2回挑戦しても授からなかったので、人工授精をすることにしました。これなら夫は当日の朝だけ頑張れば良いので、そこまで苦痛ではなかったと思います。私も人工授精でできるだろうと甘い考えでした。
しかし、人工授精を3回しても授からず、いよいよ最後の手段だと思っていた体外受精にステップアップしました。私は注射が嫌いです。元々血管が細いのか血液検査で何度もやり直しになりますし、特に針が皮膚に入る瞬間を見るのが怖かったのです。しかし、採卵するために夫に手伝ってもらい、泣きながら自己注射を頑張りました。人工授精とは比べ物にならない金額を支払うので、より効果を高めようと漢方内科にも通いました。その結果、無事に採卵もでき、凍結胚移植(受精卵を凍結して移植する方法)で妊娠することができました。
自分の好きなことをしてここまで生きてきたので後悔はしていません。しかし、若いころにもっと不妊について自分にも可能性があることを認識しておくべきだったと思いました。コロナ禍がなければ私は月末婚を続けていて、さらに年齢も重ねて、不妊治療が1年では済まなかったかもしれません。
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監修/助産師REIKO
著者:井上 あかり
2022年出産予定のママ。