まるで自分の家!? 遠慮のない義母を迎え入れた結果…
「今日から親子水入らずで暮らせるのね~!」
いよいよ同居がスタート。開口一番に息子と暮らせることを喜ぶ義母に、夫もまんざらではありません。義母は私に何のあいさつもないまま、図々しくくつろぎ始めます。
その後、毎日私に命令してばかりの義母。
「嫁は義母の気持ちを察して動くものでしょ! こんな物わかりの悪い嫁じゃ息子が不憫だわ~。これからは私が指導するから覚悟しなさい!」と高圧的な態度をとります。
義母は住む家がなく、夫が大歓迎している以上、そう簡単に出ていってもらうわけにもいきません。しかし、何をしても文句を言われる毎日に、ストレスがたまる一方です。
我慢の限界に達した私は、夫に相談することにしました。
「母さんの理想とする嫁になってくれれば、それで済む話」
夫は味方してくれるに違いないと思っていた私でしたが、
「母さんはお前が立派な嫁になるために、あえて言いづらいことを言ってくれているんだよ!」と、まったくの見当違いのことを言われてしまいます。
どんなに訴えかけても理解を示さず、
「お前が嫁として未熟だってことでしょ? 母さんの教育をイビリだと勘違いするなんて失礼だ」と反論される始末。
しかし私は我慢の限界です。
「文句を言うなら自分でやってください! 私は仕事をしてるんです。働かずに家にいるだけのお義母さんが全部やってくれればいいじゃないですか!」と爆発! 実家に帰ると宣言しました。
「なんて生意気な嫁! 嫁の仕事を放棄するっていうわけね?」激怒する義母に対し、「しばらく実家に帰ってのんびりすれば、この家が恋しくなって戻ってくるだろう」と悠長な夫。
私はその日のうちに荷物をまとめ、家を出て行きました。
「昔のことは水に流して助けてやれよ」
義母と夫の振る舞いに愛想を尽かした私。マザコンすぎる夫のもとに帰るつもりはさらさらありません。実家に帰っている間に離婚を決意し、準備を進めていました。
家を出て1カ月ほど経ったある日、夫から1本の電話が入ります。
「そろそろ帰ってきてくれないか? 実は……」
話を聞くと、義母が倒れ要介護になってしまったのだそう。歩くことも話すこともできなくなったと言います。
「もう帰って来いって! 今なら母さんも許してくれるだろうから」
「何言ってんの?」と私。
夫はこの期に及んで私が悪いと思っているようです。
「だからぁ~、お前が帰って来て、母さんをみるんだよ! 介護は嫁の役目だろ! 過去は水に流せよ!」
もうため息しか出ませんでした。
マザコン夫とそれを育てた義母の転落
義母に甘やかされて育った夫は、家事が一切できません。義母が倒れてからというもの、家の中はぐちゃぐちゃ。夫は外食ばかりしていたようで、あっという間に太っていました。
お金の管理もできない夫は貯蓄もなかったので、義母の介護もすべて自分でしなければならず、お手上げ状態!
私のほかに頼れる人もいない中で、夫と義母の生活は徐々に立ち行かなくなっていったようです。
それでも、これまでの仕打ちを思うと、私は手を差し伸べる気持ちにはなれませんでした。
義母のことは、正直気の毒だとも思います。
それでも、心がすっかり離れてしまった私は、予定通り離婚を切り出しました。
義母や夫にも言い分はあるのでしょう。でも、もう私は、自分を犠牲にしてまで関わり続けることはやめようと決めたのです。
夫は最初こそ反発しましたが、私の気持ちが変わらないことを知ると、最後には静かに離婚を受け入れたのでした。
離婚後、私は実家で穏やかな日々を取り戻しつつあります。義母や夫がどうしているのか、気にならないわけではありませんが、もう戻ることはありません。
自分の都合が悪くなったときにだけ頼ってくる関係は、きっとどこかで限界が来るのだと思います。
大切なのは、普段から互いを思いやること。助け合い、寄り添い合える関係でなければ、家族とは呼べない――今はそんなふうに感じています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。