夫の様子がおかしくなったのは、義母が亡くなったころでした。義母は若くして夫を産んで、未婚の母になる道を選びました。もともと責任感がなく、金遣いが荒かった義母は夫を育てるのには相当苦労したとのこと。
夫も幼少期にいい思い出はなかったものの、女手ひとつで育ててもらったことには恩を感じているようで、義母には逆らえずにいました。
義母が急逝
「お前のせいで私は不幸になった! だからお前は私の倍不幸になれ!」が口癖の義母。子どもの不幸を願う母親がいるなんて、いたって普通の家庭で育った私には衝撃的でした。しかしそんな義母は、ある日突然交通事故で亡くなったのです。
びっくりしたけれど、これで夫に酷いことを言う人がいなくなったと思うと、私は心の底でホッとしました。それでも夫はショックだったようで、毎日顔色が悪く、食もどんどん細くなってしまったのです。
夫は義母を亡くした悲しさを打ち消すかのように仕事に打ち込み始め、あまり家に帰ってこなくなりました。週末も行き先を告げずに出かけることが増え、たまに帰ってきても私と顔を合わせないようにしています。
不倫を疑い始めた私は、週末に出かける夫をこっそり尾行することにしました。
奇妙なディナー
夫の後をつけると、早々に知らない女性の肩を抱いて歩いているところにバッタリ。このままモヤモヤし続けるのは嫌だったので、写真を撮って夫に突きつけました。
私は「何か事情があるなら話してほしい。離婚は考えていない」と言ったのですが、夫は「離婚しようか」とポツリ。「離婚は嫌だ」と夫の手を握ろうとしましたが、その手は振り払われてしまいました。もう私に気持ちはないのかもしれません。私は離婚を受け入れることにしました。
しかし、意外にも夫は夫婦最後の日は一緒に食事をしたいと言い、離婚届を提出する前日、思い出のレストランでディナーをすることになりました。
その帰り道、夫は義母が亡くなってから一緒に過ごす時間が作れなくて悪かったと言い「久しぶりに手、つなぐ?」と、手を差し出してきたのです。
離婚を控えているのに何を言っているんだろう? と状況が飲み込めず……。私はもてあそばれているような気がして、夫の手を振り払いました。そして、私たちは予定どおり離婚。私は実家に戻り、新たな生活を始めました。
しかしその数カ月後、なんと妊娠が発覚したのです。
連絡がつかない夫
私は妊娠の報告をするために元夫に電話をかけましたが、電話は繋がりません。メールもSNSも音沙汰なし。両親の支えもあり、私はかわいい女の子を出産しました。
元夫のことなど考えなくなったある日、元夫と共通の友人から電話があり、元夫が亡くなったと知らされました。なんと、末期のガンを患っていたのだそう。義母が亡くなったころに顔色が悪かったのは、ガンで体調が悪かったに違いありません。
私は友人に葬儀の日程を聞き、娘と一緒に参列しました。
焼香を終えて親族に席に目をやると、見覚えのある女性を見つけました。尾行したときに夫が肩を抱いていた女性です。私と離婚後に再婚したのだと思ったのですが、よく見るとご主人と思われる男性と一緒に座っています。私の視線に気付いた女性は、突然立ち上がり、私に声をかけてきました。
夫の手紙
話を聞くと、その女性は不倫相手ではなく元夫の従兄弟でした。肩を抱いているように見えたのは、体調が悪く歩くのもままならない夫を支えていたとのこと。夫は義母が親族から借りていた借金を放棄できずに背負っていたようで、それを自分の亡き後私に負わせないように離婚を決めたと、涙ながらに話してくれました。
私はその話を聞き、最後の夜、元夫の手を振り払ったことを深く深く後悔しました。涙が止まらない私に、女性は夫が最後に力を振り絞って書いたものだと言い、一通の手紙を差し出してきたのです。
そこには感謝の言葉と「本当に幸せな結婚生活で、自分の倍不幸になれと言い続けた母親に最高の復讐ができた!」と書いてありました。彼が遺してくれた娘を、2人分愛して生きていくと決めました。
夫が離婚を言い渡したのは、気持ちが離れていたからではなく、深い愛があったからだったのですね。彼のためにも、これからもっと幸せになってほしいと願います。