すると、母が立ち上がってくれたのです――。
義実家でひどい目にあっていることを実母に打ち明けると…
結婚してからずっと同居の義母に意地悪をされてきた私。両親に心配をかけたくなかったので、ずっと言わないでいました。
しかし、なかなか帰省しないことを気にした母から「全然帰ってこないわね。元気にしてるの?」と連絡があったことを機に、母にすべてを打ち明けることにしました。心配してくれている母のやさしさが身に染みたのと、義母の仕打ちに我慢の限界が来ていたからです……!
経済的な自由がないうえ、義母が家事をおろそかにするなと言うので実はこれまで帰省できなかったこと、夫も義母の味方であることなどを話すと、母はひどく驚いていました。私はさらに先日起こったBBQでの出来事を話しました。
先日親戚一同で集まっておこなったBBQでは、私はひたすら食事の用意をし、焼くだけの役割。何も食べられなかったのです。
親戚が私を気遣ってくれて何度か代ろうかと声をかけてくれましたが、その度に義母が「気にしないでいいのよ~」「長男の嫁はもてなすのが好きだから~」と割って入ってきました。
この話に「そ、そんな……」とうろたえる母。
「あなたは昔から責任感が強くて、我慢強い子だったわ。私たちに心配をかけまいと、電話やメッセージでは大丈夫なフリをしていたのね」と目に涙を浮かべているようでした。
そして、「親としてこのまま黙って見てることなんてできない」「今からお父さんと緊急家族会議をするから待ってなさい!」と言って、電話を終えました。
探りを入れる母に義母の返答は…
翌日――。
母からさっそく義母に電話がかかってきていました。義母はスピーカーフォンで話すため「いつも娘がお世話になっております~!」と愛想よく挨拶をする母の声が聞こえてきました。
「うちの娘、無理していませんか?がんばりすぎてしまう子なので気になってしまって……」「結婚後、全然会えていないものですから……」と母。
すると義母は、「いつも笑顔で明るくて元気そうよ!家事も上手ですごく助かっているの」「たまには実家に帰るように言ってるんだけどね。『嫁としてなるべく家にいたいので』って言うものだから」と返していました。私はまったくそんなことは言っていないのですが……。
「お盆も年末年始も帰省は難しそうですね……」「そうだわ!そういうことなら今度お中元を贈ってもよろしいでしょうか?日頃からお世話になってるみなさんへのお礼も兼ねて」とあたかも母は今思いついたかのように義母に提案していました。
「あらやだ!いいんですか~?」とワントーン高くなった義母の声。「おいしいメロンをお贈りしようかと……」と母が言うと、「あの子、フルーツの中でもとくにメロンが大好きですものね!わが家で買ってきても、誰よりも先に食べてしまうんですよ」と義母。
母は「あら、食い意地の張った娘ですみません」「それじゃあ奮発して高級メロンをお贈りしますので、ぜひ楽しみにしててください」と努めて愛想よく言って電話を切りました。きっと、携帯電話を持っていない方の拳を強く握りしめていたことでしょう。
高級メロンを家族みんなで食べたと嘘をつく義母
2カ月後――。
私は買い物を終え、重い荷物を持って義実家のもとに歩いて帰っているときでした。一台の車が私の横に停まったのです。車の中には私の父と母が! 父と母に車に乗るように促され、重い荷物と一緒にそのまま車に乗ると、両親は私を実家に連れて帰ったのです。母はすぐに義母に連絡を入れました。
「お中元に頂いた高級メロン家族で美味しく食べました」
「娘さんも大好物だからってガツガツ食べてたわよw」
「娘は食べてないそうですが?」
「え?」
実は、私はメロンアレルギー。食べると体中がかゆくなってしまうので、見るのも嫌だと言っているくらい、メロンが大の苦手なのです。そんな私がメロンをがっつくわけがないことを、母はわかっていました。
母は「ごはんはいつもみなさんが食べたあと、娘には余ったものを食べるように言っているそうですね……?」「帰省したくっても『嫁の仕事を放棄するな!』って言われて帰らせてもらえないとか」「そもそも娘は働くことも許されず、かといって自由に使えるお金ももらえないと聞いていますが?」「娘は離婚したいと言っています、もうそちらには戻りたくないと」
母の話を聞きながら私の目にはぽろぽろと涙がこぼれ落ちました。いままでのつらかったことが蘇ってきただけでなく、母が私を大事に想い、義母と徹底的に戦おうと腹をくくってくれていることが伝わってきたからです。
その後――。
ひどい扱いをされながらも、離婚の証拠集めだけは欠かしてはいなかった私。両親の協力のもと、離婚に強い弁護士にお願いして、離婚の手続きと慰謝料請求を進めていました。
最初のうちは「今までのことは謝るから帰ってきなさい」「嫁教育が厳しすぎたのかもしれないわ」と言っていた義母。夫もまた「帰ってこい」と言うばかり。しかし、私たちが裁判も辞さない構えを見せたことと、ご近所中に嫁が出て行ったことが広まるにつれて、義母も夫も「わが家が全面的に悪かったわ」「どうか離婚だけは勘弁してほしいです。これ以上は世間体が……」と言い出しました。
この期に及んで世間体が気になるのかと、両親は一蹴。
心身共にひどく傷ついていた私ですが、義母と夫と縁が切れたおかげで、最近では笑えることが増えてきました。助けてくれた父と母に感謝しながら、しばらくは家族3人で暮らそうと思っています。
【取材時期:2024年8月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。