2週間ほど前から、新築のわが家に入り浸るようになった義母。入り浸るというか、一向に帰る気配を見せず、泊まり込んでいるのです……。
消えた今晩のおかず
共働きのわが家。食費の節約も兼ねて、私はいつも晩ごはんやお弁当のために、おかずを作り置きしていました。
しかし、義母は何のことわりもなく、そのおかずを義母の友人との集まりに持って行ってしまったのです。「とってもおいしかったわよ~!」とほめてくれるのはうれしいのですが、今晩のおかずがありません。
「なら、私が夕食を作るわよ!」と張り切り出す義母。家のものを他人に触られるのが嫌な私は断りましたが、義母は聞く耳を持たず。わが家の食材を勝手に使って夫の大好物の餃子を作り始めました。ああ……キッチンが油にまみれていく……と、私は悲しい気持ちになりました。
義母の同居宣言
2週間後、つまり義母がわが家に居座り始めて1カ月――。
その日も友人との集まりがあったようで、義母はにこにこ。「今日もあなたが作ったおかず、大好評だったわよ~!」「安心して、今回は半分しか持って行かなかったから!」と言われましたが、問題は量ではありません……。
私がため息をつくと、義母はさらに続けました。
「本当に素敵な義娘ができて私は幸せだわ~w」
「料理上手だし、家事だって何でもしてくれるし!」
「これじゃ同居ですよね」
「え?同居じゃないの?」
お互いの言葉にびっくりした私たち。
もともと、義母は義父と大喧嘩して家を飛び出してきていたのです。私は夫に「仲直りするまでの間だけ、我慢してくれ」と言われて我慢を続けていたのですが……。
義母によると、夫から「無理しないで、いっそ同居してもいいんだぞ」と言われていたそう。
「私もお父さんのいる家には戻りたくないの」「だから、これからも末永くよろしくね」と義母はにっこり。私は頭を抱えたのでした。
この母にしてこの子あり
義母から同居宣言された私は、そのまま夫に連絡。すると、夫は「母さんが毎月同居費用をくれるし、ローンの返済も手伝ってくれるっていうからいいだろ?」と開き直ったのです。
「勝手に同居を決めたのは悪いと思ってるけど、相談してもどうせ反対しただろ?」「これくらいのことでそんなに怒るなよ」という夫に、私の堪忍袋の緒がプツン。私がどれだけ我慢してきたか、夫はまったく知らないのです……!
「一緒に暮らしていけば、そのうち慣れるって」と軽々しく言う夫に、「私、あなたと離婚するわ」と離婚を突き付けました。そしてその足で、私はとある人物のもとへ向かいました。
1時間後――。
夫からの鬼電を無視していると、今度は義母から連絡が。「同居くらいでそんなに怒らなくたっていいじゃない!」「こんなことで離婚を言い出すなんて……」と義母。
やっと手に入れたマイホームでの暮らし。新居に引っ越して早々、義母にめちゃくちゃにされたのです。
「正式に同居になったら、その分の生活費も出すし、家事ももちろん手伝うわ!」「あなたにもメリットがあるんだから、いいじゃない!」と義母。
「それ、お義父さんのお金ですよね?」「お義父さんと喧嘩しておいて、お義父さんのお金で私たちに恩を売って、新築の家で暮らそうだなんて……」「そもそも喧嘩の原因も、お義母さんがお金を使い込んで貯金をすっからかんにしたからなんでしょう?」
そう、私が会いに行ったのは義父。今までの事情を話すと、「どこかのホテルに泊まってるんだろうと思っていたら……まさか嫁の了解も得ず、新築の息子の家に居候とは……」と義父も頭を抱えてしまったのです。
私に代わって義母へ「私の通帳とクレジットカードを返しなさい」「息子の妻である女性に、こんな思いをさせるなんて……」と返した義父。「息子夫婦に世話になるなら、生活費は自分で払ってくれ」と突き放していました。
その後――。
時間はかかりましたが、私たち夫婦も義両親も離婚成立。元夫はそのタイミングでリストラになったそうで、収入の多い私を頼りたかったみたいですが、もちろん断りました。
夫は転職し、あの家で義母を養っているとのこと。ローンを返せるだけの手取りはギリギリあると聞きましたが、義母の散財で生活が苦しいと何度も泣きついてきました。
私は単身向けのマンションの一室を購入。今度こそ、自分の思い描いた理想の生活をするぞ、と期待に胸を膨らませています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。