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「さっさと施設に…」弱っていく祖父。介護の終わりが見えたとき、私の心に去来した思いとは【体験談】

20代のころ、自身の病気で会社を辞めました。時間はかかりましたが幸いにも回復し、何か役に立ちたいと実家近くの祖父母の家で庭仕事や車の送り迎えなどを手伝っていました。

残された祖父を全面サポート

ちょうどそのころ、祖母が脳梗塞(のうこうそく)で倒れました。幸い命に別状はありませんでしたが、右半身まひと発話障害が残ってしまいました。祖父母には蓄えがあったので、祖母は病院を経て老人ホームに入居することになりました。

 

残されたのは、生活力ほぼゼロの昭和の男、祖父です。そこで、資格試験の勉強をしていた私が祖父の面倒を見ることになりました。時間にも体力にも生活にも余裕があったので、まさに打ってつけでした。

 

祖父は前立腺がんを患っていて、定期的に大きな病院への通院が必要でした。しかし、食欲は旺盛で「一病息災」といった感じで、見た目にはそれほど衰えているようには見えませんでした。

 

祖父の介護が過酷に

それでもやはり、年齢には抗えないものです。数年が経つうちに徐々に体力が衰え、トイレへ行くのもやっとの状態になっていきました。このころが一番大変で、頻繁にトイレ掃除をする日々。祖父自身も「さっさと施設に入りたい」と口にするようになっていました。

 

幸い、家から近いサービス付き高齢者住宅(高齢者の居住の安定を確保することを目的とした賃貸住宅の一種)が見つかり、祖父は入居することができました。私は生活物資を届けたり、ホームやケアマネジャーさんと連絡を取り合ったりと、引き続き祖父をサポートしました。

 

 

悔いはないと思える

サービス付き高齢者住宅での生活も長くは続きませんでした。1年ほどで病院に移り、母が言うには「植物が枯れるように」穏やかに息を引き取りました。

 

若いころから長期にわたって介護を経験したことで、「やれることは全部やった」と心から思えるほど、悔いはありません。

 

まとめ

若い人が不慮の事故で亡くなるのとは違い、高齢者の死は自然な流れです。もちろん悲しい気持ちはありますが、やれるだけのことをしておけば「もっとああしてあげればよかった」という後悔の念にさいなまれることはないのだと、身をもって知ることができました。これは、若くして介護に携わったからこそ得られた貴重な経験だったと思っています。

 

 

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

 

著者:菊池正宗/40代男性・会社員。

 

※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2024年11月)

 

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