母が要介護に
先日、母が交通事故で骨折し、長い入院生活を経て退院しました。しかし歩行は難しくなり、車椅子での生活を余儀なくされることに。退院前の家族会議で、父は「この家では介護は難しい。施設にお願いしたほうがいい」と強く主張しました。
妹も「在宅介護は私たちでは無理だと思う」と賛同し、母を施設に入れる方向で話を進めようとしました。
しかし母は認知機能はしっかりしており、意思の疎通も問題ありません。私は「母さんが望むなら、自宅での生活をサポートしてあげたい」と伝え、実家を出て母と一緒に暮らすことを決めました。
母は「迷惑をかけてしまってごめんね。でも、そばにいてくれてうれしい」と涙ぐみ、私も胸がいっぱいになりました。こうして、私と母の新しい生活が始まりました。
数年後、葬儀で再会
それから数年後、母は静かに息を引き取りました。葬儀の日、母のことをずっと支えてくれていた幼なじみで介護職の資格を持つA子が、「おばさん、最期は穏やかな表情だったね」と声をかけてくれました。私は「A子がいてくれたおかげで、母も安心して過ごせたよ」と感謝を伝えました。
すると、母を引き取ってから連絡もなかった父と妹が突然現れました。
「母さんの遺産はどうなるんだ?」
「保険金もあるんでしょ?」
開口一番、そんな言葉を投げかけられ、私は胸が痛みました。
私は冷静に、「母が大切にしていた気持ちを尊重したい。遺産は、最低限の法的な取り分は渡すけれど、それ以外は福祉団体へ寄付するつもりだよ」と伝えました。
妹は「そんなの納得できない!」と声を荒げ、父も「お前ひとりで勝手に決めるな!」と食い下がってきました。
A子も思わず、「突然来て、まずはお母さんを偲ぶ言葉が先ではないですか?」と強い口調で言いましたが、2人は耳を貸そうとしませんでした。
私の仕事と父・妹の思惑
実は私は、母の介護経験からヒントを得て、見守り用のセンサーを開発し、小さな事業を始めていました。少しずつ利用者も増え、ようやく軌道に乗り始めたところでした。
父と妹はそれを聞きつけ、「もっと安く大量に作って全国展開すれば、莫大な利益になるはずだ!」と持ちかけてきたのです。しかし私は、「コストよりも安全性を優先する製品だから、大量生産は難しい」と説明し、提案を断りました。
2人は「結局お前が独り占めしたいんだな!」と怒鳴り、葬儀の場を後にしました。
数カ月後に起きたこと
それから数カ月後、父と妹が関わったらしい似た製品が市場に出回りました。私の製品と見た目は似ていましたが、機能面はまったく別物。
ほどなくして、その製品に不具合が相次ぎ、購入した施設や家庭から多くの返品や苦情が出たと耳にしました。製造コストや返金で、大きな赤字になったともウワサで聞きました。
さらに、父と妹が多額の借金を抱えていたことも後に判明。遺産にこだわっていた理由がそこにあったのだと知り、私は深いため息をつきました。
まとめ
私はこの一連の出来事をきっかけに、父と妹と完全に連絡を絶つ決意をしました。
その後、A子にすべてを打ち明けて感謝を伝えました。A子は涙を浮かべながら「おばさんもきっと喜んでくれるよ」と答えてくれました。
母が残してくれた思いを胸に、私は新たな未来に向かって歩み出しました。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
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