義両親との同居を始めて、もう5年が経ちます。事故で最愛の夫を失った後、私がこの家に残ったのは、認知症が進み始めた義父のことが心配だったから。そして何より、夫が愛したご両親を放っておけなかったからです。
しかし、そんな私の思いを踏みにじるかのように、義母は私を便利な家政婦くらいにしか思っていないようで……?
家政婦同然に扱われる嫁
その日も、仕事帰りに買い出しを済ませ、私は家路を急いでいました。レジが混んでいて、予定よりも帰宅が遅れているのです。
義父のデイサービスのお迎えに間に合いそうにない……そう判断した私は、家にいる義母に電話をかけました。すると、電話の向こうで義母はあからさまに嫌そうな、そして面倒くさそうな声を出しました。
「あなたがやった方が早いんじゃないかしら? 私、最近ちょっと膝がねぇ〜」「諦めないで、頑張って帰ってきてちょうだい!」
まただ、と心の中でため息が漏れました。
「……そうですか。ちょっと抜け道を通って……どうにか間に合うようにします」
そう言いながら、私はあまり治安のよくない通りに進みました。こんな雰囲気の悪い場所、できれば通りたくないのに……。
「あ! そうそう! 最近、お義父さんのためにヘルシーなものが多いでしょ? でも私、今日は揚げ物が食べたくて……。私にだけ唐揚げとか作ってくれるかしら?」
どこまでも自分本位な義母に、私の苛立ちは募っていきます。挙句の果てには、遠方に住む長男夫婦の悪口まで始まりました。
「ああ、長男のところとは大違い! あの2人は私のことなんて全然気にかけてくれないし……」
義兄夫婦は仕事が忙しく、この家からは飛行機が必要な距離に住んでいます。簡単に帰ってこられないのは仕方ないことなのに、義母の口からは不満しか出てきません。
「それに比べてあなたは、やさしいわ〜。天国の息子も、きっと喜んでるわね!」
亡くなった夫の名前を出されると、何も言い返せなくなってしまう。それが私の弱点でした。それでも、私は必死の思いで、か細い声でお願いをしてみました。
「私も仕事があって結構忙しいですし……。ちょっとでいいので、お義母さんもお義父さんの様子を見てもらえると、助かるんですけど……」
「ええ〜!? 私、最近腰も痛くて、屈むのも大変なのよぉ。若いんだから、そのへんお願いね!」
結局、私のささやかな願いは一蹴されました。電話を切ってすぐ、私は大きなため息をつくしかありませんでした。
義母の豹変と義兄の反撃計画
数カ月後――。
あれだけ長男夫婦の悪口を言っていた義母の態度は、手のひらを返したように変わりました。
「この間のお父さんの夕食だけど、味付け濃かったんじゃない?」「私が若いころは、義父母の体調に合わせて毎日、塩加減も変えてたものよ。もう少し気を遣ってちょうだい」
急に始まった私へのダメ出し。そして、いつもは悪口の対象だった義姉の名前まで出して、私を責めるのです。
あまりの変貌ぶりに「あの、急にどうしたんですか? お義兄さん夫婦のこと、薄情だとか言っていたのに……」と尋ねると、義母はケラケラ笑いながら、衝撃の事実を話し始めました。
「私はむしろ2人に感謝してるのよ! 忙しいけどちゃんと親のこと考えてくれてるの! ついさっきなんて、結構な額を振り込んでくれたのよ〜!」
なんと、義兄夫婦は会社で成功し、かなりの高収入を得ているというのです。そして、その2人から多額の送金があったと。
これからの援助も約束してくれた、と大喜びの義母。その姿を見て、私は「今しかない」と、ある提案をしました。
「あの、お義母さん。今のうちにお義父さんの施設への入所、考えませんか?」「今までは金銭的に難しかったですけど、援助があるなら……」
しかし、義母は私の提案に猛反対。
「あのお金は私宛! つまり、私のものってこと! 使い道も管理も、全部私が決めるの!」
結局、義父の介護費用として送られてきたお金を、自分の贅沢のために独り占めするつもりのようです。その浅ましさに、私は心底あきれてしまいました。
義母が意気揚々と銀行へ行った後、私のスマホが鳴りました。表示されたのは、義兄の名前。
「突然ごめんね、ちょっと話したいことがあって……今、大丈夫かな?」
義兄から語られたのは、驚くべき内容でした。なんと義母は、義兄たちに「基本的な介護は私がやっている」「でも次男嫁が同居も介護もやりたいって言うから、同居させて介護は少し手伝わせてるだけ」と言っていたというのです。
実情とは全く違います。義母は嘘をついているのです。私は義兄に本当のことを話しました。すると、
「本当にすまない! 仕事を言い訳にしながらも、薄々気づいてはいたんだ……。でも、君に電話しようにも、母さんが『彼女は疲れてるから』とか言って、巧みに邪魔されていて……。全部、俺の責任だ」
私は堰を切ったように、これまでのつらかった日々、そして先ほどの援助の話も、すべて義兄に打ち明けました。もう限界だと泣きながら訴える私に、義兄は力強く言ってくれました。
「これ以上君につらい思いをさせたくない。だから、その家を出て、君の人生を取り戻してほしい」「母さんには黙って進めていこう。君はこっそりと荷物をまとめておいてくれないかな?」
その日から私は、義母に気づかれないよう、少しずつ自分の荷物を段ボールに詰め、来るべき日に備えたのです。
地獄からの脱出
そして約1カ月後――。
脱出計画実行の日は突然やってきました。義母が勝ち誇った顔で私にこう告げたのです。
「悪いけど今すぐ荷物をまとめて出て行ってちょうだい! 実はね、長男夫婦が帰ってくることになったのよ〜!」
長男夫婦が同居してくれる、プロのヘルパーも24時間雇える、だからもう私は不要だと言い放った義母。この5年間、私が尽くしてきたことは、義母の中では何もなかったことになっているのです。
「長男夫婦と暮らすから早く出てって! 用済みの嫁は邪魔なの!」
「あの子たちは介護だけじゃなくて、お金も援助してくれるのよ♪」
私は義母に伝えました。
「すぐに出ていくのでご安心ください!」
「え?」と驚く義母。
「実は今朝のうちに、家を出る準備はすべて終えています。お義兄さんたちに言われて、私の身の回りのものはすでに運び出してあるんですよ。昨夜のうちにGOサインが出ましたので」と続けると、「なによそれ!? どういうこと!?」とあわてる義母を横目に、私は追い打ちをかけるようにスマホを耳に当てて、義兄から電話がかかってきたフリをしました。
「お義兄さん、『仕事で大きなトラブルがあって、当面戻れそうにない』ですって! こちらに戻ってくるの、やめたそうです。ということは、お義母さんとの同居も白紙ですね!」
「……え? 何それ!?」と絶望に顔を歪める義母。
「お義母さんが1人でお義父さんの介護ですか。でも仕方ないですよね! もう用済みの私はいないですし。頑張ってくださいね!」
私はそう言い残し、義実家を後にしました。背後で義母が何か騒いでいる声が聞こえましたが、私は振り返りませんでした。
義実家を出たとメッセージを送ると、すぐに義兄から折り返しの電話がかかってきました。もちろん、仕事のトラブルなどは嘘。すべては、私を無事に脱出させるための作戦だったのです。
「本当に……ここまで、父さんのこと、家のこと、ごめんね。全部君だけに背負わせてしまって……」と謝ってくれた義兄に、「もう終わったことです。おかげでやっと肩の荷が下りました」と明るく答えた私。
義兄夫婦は、夫が亡くなっても私のことを「妹だと思ってる」と言ってくれました。その温かい言葉だけで、私の5年間は報われた気がしました。
数日後――。
案の定、義母から泣きそうな声で電話がかかってきました。
「お願い、戻ってきてちょうだい! 今までのことは謝るから!」
援助金の話も白紙になり、1人では介護も生活もできないと泣きついてきます。しかし、私の心はもう微動だにしませんでした。
「今さら謝られても、もう遅いです。私は、お義母さんの都合のいい便利な嫁じゃありませんから」「私がどれだけ我慢してきたと思ってるんですか? それに、あなたが自分で、私を突き放したんです。ご自身で招いた結果ですよ」
私はきっぱりと縁を切ることを宣言し、電話を切りました。もう二度と、この人に私の人生を振り回させない。
その後――。
義父は義兄たちが手続きして無事に施設に入所しました。その費用も義兄夫婦が負担することになったそうです。ですが、義母への援助は一切打ち切られ、今では広い家に1人きり。誰からも相手にされず、寂しく暮らしていると義兄から聞きました。
私は今、新しい生活を始めています。朝、誰にも気を遣わずにゆっくりとコーヒーを淹れる。そんな些細なことが、涙が出るほど幸せです。
つらいこともたくさんあったけど、義兄夫婦のやさしさに触れて、私は1人じゃないということに気づくことができました。天国で見守ってくれている夫のためにも、これからは自分の人生を大切に歩んでいこうと思います。
【取材時期:2025年5月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。