あれは忘れもしない、1年前のこと――。
私の人生を揺るがす大きな裏切りは、1本の電話から始まりました。上司である部長から、後輩が急に寿退職することになったと聞かされたのです……。
幸せの絶頂から突き落とされた日
あまりに突然のことで驚いた私は、急いで後輩を問い詰めました。
「ちょっと、いきなり退職するってどういうこと!? 部長から聞いたけど、寿退職って……」
結婚はおめでたいことですが、引き継ぎのこともあり、急な退職には引っかかるものがありました。ところが、彼女はまるで悪びれる様子もなく、軽い調子で答えたのです。
「先輩よりも先に結婚しちゃって、すみませ~ん! でも、結婚に順番は関係ないですよね!」
仕事の引き継ぎもまったく考えていない無責任な態度にあきれていると、彼女はさらに信じられないことを言い放ちました。
「実は昨日、彼と入籍してきたんですよ〜。結婚したら、なんだか働く気がなくなっちゃって! 朝起きてすぐに退職するって部長にメールしちゃいました!」
その軽薄さに言葉を失ってしまいました。しかし、私には彼女に聞かなければならないことがありました。
部長からの報告の後、後輩の同期が見せてくれたSNSの写真。そこに写っていた彼女の旦那さまが、私の婚約者にあまりにもそっくりだったのです。
「……その写真に写ってた人が私の婚約者にそっくりなのよ」
すると後輩は、勝ち誇ったように笑いました。
「あ! ついにバレちゃった~! もうちょっと隠せると思ったんだけどなぁ」「経営者の彼は先輩を捨てて、私を選んでくれたんです! 私にばっかり嫌がらせするから、こうなるんですよ? 先輩の自業自得ですよね!」
その言葉に、私の頭は真っ白になりました。怒りで体の震えが止まりません。
私が仕事で彼女を指導していたのは、決して嫌がらせなどではなく、ろくに仕事をしない彼女をなんとか一人前にしたかったから。その一心だったのに、彼女はそれを「若くてかわいい自分への嫉妬」だと思い込み、私から婚約者を奪うという卑劣な嫌がらせを計画したのです。……もしかしたら、私が仕事で評価されていたことへの、嫉妬心もあったのかもしれません。
信じられない気持ちのまま、私はすぐに婚約者に連絡を取りました。しかし、彼もまた、私を裏切ったことに何の罪悪感も抱いていませんでした。
「いやぁ〜、いろいろとごめんな? でも彼女の実家は結構な資産家でさ、俺の会社の援助もしてくれるって言うんだよ」
大学時代から付き合い、彼が会社を立ち上げたときからずっと隣で支えてきた私の存在は、彼にとってはその程度のものだったのです。生活費を支え、お金だって貸してきました。それなのに、彼は「金だって全部返したろ」と開き直るばかり。
さらに私に追い打ちをかけていたのは、プロポーズのときに言われた彼のこんな言葉でした。
「結婚したら家庭に入って支えてほしい」
その言葉を信じて、私は会社に退職届まで提出していたのです。そのことを伝えても、彼は「あれ? そんなこと俺言ってたっけ」と笑うだけ。
婚約を心から喜んでくれた両親や友人たちの顔が次々と浮かび、どう説明すればいいのか、目の前が真っ暗になりました。キャリアも、長年愛した人も、未来も、すべてを一度に失い、私はどん底に突き落とされたのです。
彼らとこれ以上関わることで心をすり減らしたくなくて、慰謝料を請求する気力さえ起きませんでした。今はただ、この悔しさをバネにがむしゃらに頑張ることだけを考えよう……と心に決めたのでした。
結婚式での運命の再会
それから、1年後――。
部長は、その後ご両親の介護で長期休暇を取っていましたが、復帰した際に「結婚することにした」と報告があり、結婚式の案内を受け取りました。部長は「両親が生きている間に花嫁姿を見せたい」と、このタイミングでの式を決めたそうです。
その結婚式に出席した私は……そこで、信じられない人物たちと再会してしまったのです。
その2人を見つけたとき、一瞬、時間が止まったかのように感じました。私の人生をめちゃくちゃにした張本人である元後輩と、私の元婚約者が、楽しそうに談笑していたのです。
私の視線に気づいた元後輩が近づいてきて、侮辱的な言葉を浴びせてきました。
「彼から話は聞いていますよぉ~。キャリアも男も失って、パートとして再雇用された惨めなおばさんですよね?」
どうやら彼が、自分の都合のいいように私との過去を話していたようで、新郎側の招待客たちは私のことを知っていたのです。そして彼は経営者として新郎の会社と取引があり、新郎側の招待客として式に参加していたのです。
1年前の私なら、悔し涙を流していたかもしれません。でも、今の私は違います。
「パートのババァが部長の結婚式に何の用なの?」
「場違いだから今すぐ帰れよ」
そう言ってあざ笑う彼女に、私は静かに言いました。
「パートって誰のこと?」
間髪入れて再び「は?」と笑う彼女。
私は、嘲笑う彼女の目を見据えて、はっきりと告げたのです。
「私、いま『働き方改革推進室』の室長だから。役職は違えど、同じ管理職の同僚なの」
「え?」
言葉の意味が理解できず、目を丸くして固まる彼女。
そう、あの絶望から1年。私は全てをバネにして、前だけを向いて走り続けたのです。藁にもすがる思いで部長に全てを話すと、事情を汲んでくれた部長が上層部にかけ合ってくださり、私の退職は奇跡的に撤回されました。
後輩が突然辞めたことで空いた穴を、私の退職用に補充した人員で埋めることになったのです。これを機に、私はすべてを仕事にぶつけました。ちょうど部長がご両親の介護で長期休暇に入られたこともあり、恩返しをしたい一心で、以前から温めていた社内の働き方改革案を役員会に提出。それが高く評価され、プロジェクトリーダーに抜擢されたのです。
そこからの1年は、まさに戦いの日々でした。ですが、私の改革は会社の業績を大きく向上させ、その功績が認められ、新設された「働き方改革推進室」の室長に就任。――かつての上司だった部長と、今では同格の管理職として、会社を支える立場になっていた。
私は呆然とする元後輩に、とどめのひと言を告げました。
「帰るわけにはいかないわ。それに、今は部長の大事な同僚として、今日の結婚式のあいさつだって頼まれているし」
私がこの1年で成し遂げたという事実を突きつけられ、彼女の顔はみるみるうちに青ざめていきました。
そして式の途中でお手洗いに立ったとき――。
私のスマートフォンが震え、画面には元婚約者の名前が表示されていました。電話に出ると、彼の焦りきった声が聞こえました。
式の途中、視線に耐えられなくなったのは元婚約者の彼でした。なんと2人がいると知った新婦から「帰ってもらえないか」とやんわり伝えられたのです。
「まずいんだよ!頼む! なんとか新郎と新婦を説得してくれ!俺、会社の今後を今日の結婚式に賭けてて……。新郎にほかの招待客を紹介してもらおうと思ってたんだ!」
聞けば、彼の会社は経営が傾き、この結婚式で新たなコネを作らなければ倒産寸前とのこと。彼の会社は、かつて私も夢を乗せた船でした。それが沈みかけている。ですが、そこに手を差し伸べる義理も気持ちも、今の私にはありませんでした。
「主役の2人が望んでいることなら、私にはどうすることもできないわ。お祝いの席の空気を悪くする前に、静かに席を立った方がいいんじゃない?」
私は冷たく言って電話を切り、2人のことは気にせず、心から部長夫妻の幸せを祝福しました。
その後――。
結婚式の数日後、今度は元後輩から「彼の会社と取引してほしい」と連絡がきました。会社の負債が1億円近くに膨れ上がっていることを知り、私に泣きついてきたのです。しかし、私は冷静に、きっぱりと断りました。
「会社の利益を第一に考える立場として、今のあなたの会社の経営状況や信頼性を考えると、残念ながら取引は承認できません。これは私個人の感情ではなく、会社としての判断です。私は助けてあげられないけど、2人で力を合わせて頑張ってね」
それから間もなく、元婚約者の会社は倒産したそうです。日頃の行いが悪かったのか、誰も彼らに手を差し伸べる人はいませんでした。
今、2人は多額の借金を返すため、昼夜を問わず働き、1日わずか4時間の睡眠で過酷な日々を送っていると聞いています。人を貶めて手に入れた幸せが、本物であるはずがなかったのです。
あのつらい出来事は、確かに私の心に大きな傷を残しました。でも、あの経験があったからこそ、人のあたたかさや、本当に自分を大切にしてくれる人の存在に気づけたのだと思います。
幸せは誰かに与えてもらうものではなく、自分の足で立ち上がってつかみ取るものだ――今、心からそう思える自分がいます。
【取材時期:2025年5月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。