「出来損ない」と罵られ家を追われる
物心ついた時から、母の愛情はすべて兄に注がれていました。兄は成績優秀で、母の自慢の息子。一方の僕は、常に兄と比較され、「それに比べてあなたは……」とため息をつかれる毎日でした。
大学を卒業し、まだ進路が決まっていなかった僕に、母は軽蔑の眼差しで言い放ちます。
「まったく、就職もせずにニートだなんて恥ずかしい。お兄ちゃんはなんでもできるのに、あんたは勉強もスポーツも三流。どうして兄弟なのに、弟はこんなに出来損ないになっちゃったのかしら」
隣で兄は、僕を見下すように笑って「これ以上家族に恥をかかせるな。今すぐ出ていけよ」と追い打ちをかけました。
家族だと思っていた人たちの仕打ちに、僕は完全に心が折れました。そして、なけなしの貯金と荷物を持って家を飛び出し、二度と連絡は取らないと誓ったのです。
社長となった僕の前に現れたのは…
家を追い出されてから8年。僕は「いつか必ず見返してやる」という悔しさだけをバネに、がむしゃらに働きました。昼夜問わず働き、必死に勉強を重ね、仲間にも恵まれて、ついに自分の会社を立ち上げるに至りました。
今では僕も「社長」と呼ばれる立場です。
そんなある日の午後、秘書から「お客さまがお見えです」と内線が入りました。通されたのは、見覚えのある母と兄。僕の成功をどこかで聞きつけたのでしょう。
母は僕の顔を見るなり、昔のことは全てなかったかのように、にこやかに言いました。
「まあ、立派になって!さすがは私の息子だわ!」
手のひらを返したような賞賛のすぐ後、母は本題を切り出しました。
「少しでいいの、援助してくれない?」
兄も「昔のことは水に流そうぜ」と情けない顔で隣に立っています。そのあまりの身勝手さに、僕は怒りを通り越して、ただただ呆れるしかありませんでした。
冷たい一言「赤の他人です」
怪訝な顔をする秘書が、僕にそっと尋ねます。
「社長、お知り合いの方ですか?」
僕は静かに、そしてはっきりとこう告げました。
「いいえ。赤の他人です」
「なっ……!ひどいわ!実の親と兄に向かって!」
騒ぎ立てる母と兄でしたが、僕は一切取り合わず、秘書に「警備を呼んで、お引き取り願ってください」と伝えました。
呆然と立ち尽くす二人。その顔は、驚きと羞恥でみるみる赤く染まっていきます。やがて駆けつけた警備員によって連れ出されていく二人を、僕は静かに見送りました。
その後、地元の知人づてに聞いた話では、兄も数年前に会社を立ち上げ、母もその事業を手伝っていたようです。しかし事業はすぐに立ち行かなくなり、親戚や友人に借金を重ねた末、実家も売却したとのこと。金銭トラブルから多くの人が離れていって、頼る人もいなくなったのだろうとのこと。
今回の件で、長年僕の心を縛り付けていた「出来損ないの弟」という呪いから、ようやく解放された気がします。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。