夫・守の言葉で退職し、息子のいる専業主婦となった沙織。しかし「家族のため」という守の言動に次第に息苦しさを感じ、元同僚から守が「妻は産後うつだ」と嘘をついていたことを聞かされ、その違和感は疑念へと変わります。
しかし、そのことを守に問い詰めると、「同僚の嘘だ」「俺を信じるよな?」と迫られ、沙織はどちらを信じるべきかわからなくなってしまいます。
隣人の大山さんの助言もあり、沙織は現状を変えようと再就職を決意。しかし、面接の前日にはスーツが守によって処分されていました。さらに、伝えていない面接日を知っており、沙織は面接をキャンセルせざるを得ない状況に……。
いつも寄り添ってくれる義母や大山さんが守に話したのだろうかと気にし出した矢先、沙織は守とその大山さんが親しげに話す姿を目撃し、動揺します。
守から逃げることを決意したものの、隠していたタンス預金も消えてしまい、沙織は守が全部知っているのだと悟ります。さらに保育園の申し込みもキャンセルされていて、沙織の行動はすべて守に先回りされてしまいました。
「なぜ私の計画が筒抜けなの……?」
相談していたのは、いつも優しい義母と大山さん。その義母か、それとも守と密会していた大山さんなのか……。誰を信じればいいかわからず絶望する沙織でしたが、思い切って大山さんにすべてを打ち明けました。すると、計画が筒抜けな理由を確かめるために、そして家から出るために一つの提案してきた大山さん。沙織は葛藤しつつも実行することを決意します。
脱出計画当日、沙織が家を出ようとした瞬間、誰かがやってきて、玄関のドアが開きました。声を聞いた沙織は、ぞくっとします。それは守の声でした。思わず後ずさりする沙織に、守は本心を明かしてきて――!?
夫のありえない本心
背後から聞こえた声の主は、夫の守でした。
「沙織……ダメな妻だね……」「本当に、悪い母親だ……」
守は沙織を見下ろしながら、じりじりと追い詰めます。後ずさりながらも、沙織は必死に反論しました。妻であり母親である前に、自分は一人の人間なのだと。守の思い通りにだけは生きられないのだと。
しかし、その叫びは守の逆鱗に触れるだけでした。
「そんなこと、許さない!!」
怒りに震える守の口から、これまで隠されてきた本音が溢れ出します。
母子家庭で、部屋はいつも散らかり、温かい手料理の代わりに食卓に並ぶのは惣菜や弁当ばかり。そんな幼少期を過ごした守が憧れていたのは、完璧に整えられた家で、純白の服をまとった聖母のように微笑む母親の姿でした。
「やっと手に入れたんだ……!」
「逃すわけないだろう……!」
その歪んだ執着に、沙織は確信します。「あなたは、私自身を見てなんていない。ただ、あなたの理想の母親が欲しいだけなのよ」と。
その言葉を聞いた瞬間、守の激情がすっと消え、冷たい光が瞳に宿りました。
「……そうか。晴人がいるから、いけないんだな?」
「あの子さえいなければ、お前は今まで通り、俺の理想の妻でいてくれるんじゃないか?」
その狂気に満ちた言葉に、沙織の全身を恐怖が貫きます。
(晴人を……晴人を守らなきゃ……!)
沙織は「そこをどいて」と守を突き放し、この場から脱出しようと駆け出します。
その、まさにその時でした。
「何を揉めてるのかしら?」
凛とした声と共に現れた一人の人物。その顔を見た沙織は、「うそ……」と呟いたまま、まるで時間が止まったかのように固まってしまうのでした。
◇ ◇ ◇
「やっと手に入れたんだ」という夫の言葉は、彼の感情が妻への「愛」ではなく、自らの理想を満たすための「所有欲」であったことを象徴しているかのようです。夫が抱いた理想は極端なもので、彼の言動は決し決して許されるものではありません。「ひとりの人間でもある」という沙織の叫びは、夫の本音を知った彼女の絶望を思うと、あまりに痛切です。
しかし、程度の差こそあれ、パートナーに対して無意識に「理想の夫像」「理想の妻像」を抱くことは誰しもあるのではないでしょうか。夫婦といえども、もとは他人同士。価値観や育った環境が違うのは当たり前だからこそ、その理想や期待のズレを、日々の何気ない会話を通じてすり合わせていくことが大切なのかもしれません。
もし夫が、自分の生い立ちや抱える理想を、もっと早く妻に打ち明けていたら。もし妻が、感じる息苦しさをもっと早く言葉にして対話しようと試みていたら。二人の未来は違っていたのかもしれません。
身近な関係であるほど「言わなくてもわかるはず」という思い込みに陥りがちですが、日々の小さな違和感を放置しないこと――その積み重ねこそが、本当の信頼を築く唯一の道なのかもしれませんね。私たちも、日々の大切な人との関係を良くするために、心に刻んでおきたいですね。