同居後、義両親の「孫プレッシャー」が加速
同居を始めた当初、私は「うまくやっていける」と本気で思っていました。 義両親は穏やかで、挨拶に行けば笑顔で迎えてくれたし、夫も長男として家族を大切にするタイプ。ところが、同居生活が始まると義両親の口から出る言葉は徐々にトーンが変わっていったのです。
優しかった義母は「本来、この部屋には孫がいる予定だったのにねぇ〜」と言うようになり、穏やかだった義父も「嫁の役割は跡取りを産むことだろ?」と言い始めたのです。最初は冗談のつもりだと思い流していたけれど、 次第に“圧”が強くなり、言葉もストレートに。私はフルタイムで働きながら、「認められたい一心」で義実家の家事を7〜8割を引き受けてきたのに……。
夫も最初はかばってくれたけれど、 同じ家で暮らすうちに義両親の意見に傾き始め、終いには「結婚して3年以上経つのに、妊娠しないなんてやっぱりおかしいよな。検査行ってきなよ」と言い放ったのです。味方でいてくれるはずの夫からの裏切りで、 胸の奥がギュッと縮むような苦しさを感じました。
“余命”を喜ぶ義家族
そんな中、実家の母から“愛犬の余命宣告”の知らせがありました。私は動揺しすぎて夫にうまく説明ができず、“私が余命宣告をされた”という勘違いが発生してしまったのです。しかし、その勘違いこそが義家族の本性を露わにする決定打となったのでした。
義家族は、私の心配は一切なく、“お金”に反応したのです。夫は「保険金は!? 保険はかけてるだろうな!」とひと言。義父は「病気の嫁は面倒だからいらない! これじゃ孫も産めないだろうし」と突き放し、義母は「最後の手切れ金になるんなら孫を産めなくても許してあげる♡」と、私の死を前提に話し始めたのです。私は頭が真っ白になるほどのショックを受けました。夫と義両親の本性が見えた瞬間、私は「この人たちは冷静じゃない」と自分に言い聞かせ、 涙をこらえながら部屋へ戻りました。
その夜、私は荷物をまとめ「この家にはもう戻らない」と決意し実家へ戻りました。両親にすべてを話すと、母は泣きながら抱きしめ、 父は険しい顔で「離婚を考えるべきだ」と呟きました。余命宣告をされた愛犬は私が帰ると不思議なことに少しずつ元気になっていったのです。私はただ穏やかに、愛犬と一緒の時間を過ごしました。その間、夫からは私の死を確認するようなメッセージだけが届くように。そしてついに、 夫と義両親が“なかなか私が死なないこと”に焦り、 私の実家へ乗り込んできたのです。
本性暴露と逆転劇
玄関を開けると、夫と義両親が立っていました。すると義母は「どうして元気なの? 余命宣告されたんじゃないの?」と顔面蒼白。義父も「危篤の連絡が来ないから来たんだぞ!」と言うのです。私は深く息を吸い「余命宣告されたのは私じゃなくて愛犬です」と真実を伝えました。
義両親は凍りつき、あ然とする夫。私の言葉に夫は「保険金は…!?」とひと言。私は冷静に 「ペット保険に入ってるわよ」と伝えました。その瞬間、義父母と夫の顔がスッと青ざめたのです。そして義母「どうするのよ! 保険金目当てでブランド品買っちゃたのよ!」と血相を変えひと言。追いつめられた夫は、 私の保険金を当てにして豪遊していたと白状。
私は静かに「あなたとは離婚します。人の命を何だと思ってるの?人の不幸を願い、それを利用しようとした代償です」と告げました。すると夫は肩を落とし「ごめん……。俺が悪かった」と呟いたのでした。
その後、無事に離婚が成立。愛犬は穏やかに最期を迎えました。私は、最期の時間を一緒に過ごせたことに感謝しています。
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人のやさしさは、言葉ではなく行動に表れます。見返りや損得で揺れる関係ではなく、相手を大切にできる関係を選ぶこと。それは“誰かを切り捨てる”決断ではなく、“自分を守る”最初の一歩です。境界線を引いていい。離れていい。あなたの暮らしと心に、健やかな居場所を作ることが大切です。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。