散らかった部屋に帰宅した夫の一言
「また脱走してるー! ダメだぞ〜」。ベビーサークルから抜け出すのがブームになった娘たち。部屋の中はおもちゃと洗濯物でぐちゃぐちゃ。そこへ夫が帰宅しました。部屋を見渡してあからさまに不機嫌な表情。私が「最近ハイハイがじょうずになってきてさ〜」と話しても、「これじゃあ疲れて帰ってきても休まらない」と言われてしまいました。
夫は育児にも家事にも無関心で、何か頼むと「俺は外で仕事してるんだぞ。お前は1日家にいて何してるの? 専業主婦なんだから、子どもの世話だけで疲れたって言うなよ」と、まるで私がラクをしているかのような言い方をしてきます。
夫の言葉にショックを受ける暇もなく、声の大きさに驚いた娘たちが泣き始め、私は泣きたい気持ちをぐっとこらえて必死に寝かしつけました。夫はそのままゲーム部屋にこもりきり。
こんな生活が続くことに限界を感じながらも、経済的な不安やまだ少し残っている夫への気持ちから、「離婚」の二文字が頭をよぎっても踏み切れずにいました。
義母からの電話に追い詰められる
そんなある日、義母から突然の電話がありました。てっきり娘たちの様子についてかと思いきや、「息子に感謝しなさいよ? 子どもたちの面倒を手伝ってくれてるのに、あなたは何してるの? ぐうたらしていないで、家のことくらいやりなさい!」と一方的に責められたのです。
どうやら夫は、私が何もせずにだらけていると義母に伝えていたようです。電話を切ったあと、「ふざけんなーーーー!」という思いが爆発。悔しさがこみ上げてきて涙が止まりませんでした。
実母との会話で前向きに
その日の午後、母が突然訪ねてきました。最近、私が元気がないことを察して、心配して様子を見に来てくれたのです。
顔を見た瞬間、我慢していた気持ちがあふれ出し、私は泣きながらこれまでの出来事をすべて話しました。
すると母は怒りをあらわにしながら、「あなたはよく頑張ってるよ。でも、この状況はおかしい。あの人、父親失格だよ。子どもの世話を“手伝う”なんて言葉がおかしいの。自分の子なんだから、やって当然でしょ」と言い、最後には私をぎゅっと抱きしめてくれました。
「お父さんも私も、あなたの味方だからね。しっかりしなさい」と言われ、私はようやく腹をくくることができました。
両家を交えた話し合いで決着へ
数日後、私は両家の親を招いて夫と話し合いの場を設けることにしました。双子は母に任せ、夫の帰宅を待ちます。
帰ってきた夫は家が静かなことに気づくと、「なんだ、今日はいい日だな。やっぱりお前の要領が悪いから、普段はうるさくてしょうがないんだな」と言いながら、ゲーム部屋に向かおうとします。
私は静かに立ちふさがり、「ねぇ、私としては、家事も育児もろくにしないあなたがいないほうがよっぽど快適なんだけど。でも、育児は2人の責任でしょ」と伝えました。夫は「は? 稼いできてやってるんだぞ? 子どもだって、俺が産んだわけじゃないし」と言い返してきました。
そこで私は合図を送り、奥の部屋に待機していた私の父と義両親が登場。義母は夫の肩を持とうとしましたが、義父と私の父はあきれ果てて言葉を失っていました。
義父が夫をたしなめたあと、私に「今後、どうしたい?」と聞いてくれたので、私ははっきりと「離婚します」と答えました。
そのタイミングで、双子を抱いた私の母も登場。母が強い女性であることを知っている夫は一瞬うろたえましたが、母が「じゃあ、あなたはもう出てってくれる?」ときっぱり告げたことで、観念したように離婚に同意したのでした。
その後、私たちは正式に離婚。夫も義母も、義父にこっぴどく叱られたそうです。それ以来、義家族はすっかりバラバラになってしまったと聞きました。
私はというと、実家のサポートを受けながらパートを始め、双子と笑顔で過ごす毎日を送っています。
家族みんなが気持ちよく暮らしていくには、やはり思いやりと協力が大切なんだと実感しました。育児は「手伝う」ことじゃなくて、2人の子どもを2人で育てていくこと。その積み重ねの中で、少しずつ家族のあたたかさが生まれていくのだと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。