「ちょっと!」
受話器の向こうから響く、義母の鋭い声に肩が跳ねました。平日の昼休み、鳴り響いた電話に出た途端、矢継ぎ早に怒声が飛んできます。
「昨日のお父さんの誕生日会、どういうつもり? 嫁のくせに欠席だなんて、恥を知りなさい!」
昨日は平日で、私はいつも通り仕事をしていました。昨日は残業も入ってしまい、どうやっても義父の誕生日には行けなかったのです。プレゼントも用意して夫に持たせたのですが、義母は「物を送ればいいとでも思ってるの?」とまくし立ててきます。
「そもそも、仕事を言い訳にするなんてあきれるわ。嫁の務めを果たせないなんて、嫁失格ね」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、来年は必ず……」と私が謝ると、義母は何かを思いついたようで……?
罰としての家族旅行の立案
「そうだわ、責任を取ってもらいましょう。お父さんの誕生日会を欠席した罰として、今度の家族旅行、ぜーんぶあなたが手配しなさい」
ねっとりとした義母の声に、私はゾッとしました。
「再来月、私たち夫婦の結婚30周年記念なの。親戚も入れての家族旅行の企画、プランも宿も食事も移動も、全部あなたがやりなさい! 私たちに恥をかせるようなまねは許さないから!」
いきなりのことで戸惑う私に、義母は「とことん頼りないわね」「こんな嫁、もらうんじゃなかった」と追い打ちをかけてきます。私は悔しさを押しころし、「わかりました。やれるだけやってみます」と答えるしかありませんでした。
その夜――。
夫に事情を話すと、「母さんのいつもの嫁いびりだろ! 無理にやらなくていいよ!」と怒ってくれました。しかし、私はもう引き受けてしまった後でした。
「ありがとう。でも、引き受けちゃったし……。ここで断ったら、また何を言われるかわからないから。波風立てずに終わらせるためにも、やれるだけやってみるよ」
夫は「お前は悪くないのに……」と悔しそうな声を出しましたが、内心私は「どうせ何をしても難癖をつけてくるんだろうな」という諦めにも似た予感もありました。そして、その予感は、残念ながら的中したのです。
夫のアドバイスも参考に、温泉宿のプランを提案すると、義母は「行ったことあるから却下」と一蹴。
「宿どころか、旅行プラン全部を見直してくれるかしら? なんか、温泉っていう気分じゃなくなっちゃったのよねぇ」
楽しそうな声で、義母は平然と言い放ちます。それなら、と景色がきれいな高原のリゾートホテルを提案してみると、「ふーん……悪くはないけど、なんかズレてるのよねぇ。私たちにふさわしい、もっと格式ある場所じゃないと!」と義母。
それから義母の要求は、「景色が一望できる高級ホテル」「地元の高級懐石料理」「ビュッフェは絶対ダメ」と、どんどん具体的かつ高圧的になっていきました。
「頑張って条件に合う場所を探してみます」
私がそう答えると、義母は鼻で笑いました。
「ふふ、『頑張って』ねぇ。結果がすべてなのよ? 私を満足させてこそ『嫁』ってものよ? 私をガッカリさせたら……あなた、もう完全に終わりよ」
その言葉を聞いた私は仕事と家事の合間をぬって、必死にリサーチを続けるしかありませんでした。
旅行当日の置き去り
そして、旅行当日、朝10時――。
夫と2人で指定された集合場所の駅に着きましたが、義両親や親戚の姿はどこにも見当たりません。
「おかしいな、10時過ぎたのにお義母さんもお義父さんも来ないね……」
不審に思った私が義母に電話をかけようとした、まさにそのとき、義母から夫に電話がかかってきました。
「母さん? ああ、今ちょうど駅に着いたけど……え? どういうこと!?」
夫の表情がみるみる険しくなっていきます。電話をスピーカーに変えてもらうと、信じられない言葉が聞こえてきました。
「私たちは今から空港に向かうところよ! 母さんね、あんたが不憫でならなかったのよ。あんなダメな嫁のせいで、お父さんの誕生日会まで台無しにされて! だから、嫁は置いていくことにしたの」
「えっ……!? 置いていくって、どういうことですか!?」と思わず私が声を上げると、義母は鼻で笑って夫に対して言葉を続けました。
「そのままの意味よ。あなたが用意してくれた旅行プランは全部変更だから。私ね、急に海が見たくなったのよ。だから実は沖縄に行くことにしたの! 息子の分はもちろん、沖縄のホテルも飛行機も予約してあるわよ。だから、出来の悪い嫁は置いて、さっさと空港に来なさい! 私たちは午後2時の便で那覇に飛ぶから!」
夫と顔を見合わせます。沖縄に行くだなんて聞いていませんでした。
「ちょっと待ってよ母さん! 先週、『あのプランはやめて、近場の〇〇温泉に変更して』って指定したのは母さんだろ!?」
夫が叫ぶと、義母は悪びれる様子もなくケラケラと笑いました。
「あ〜ら、あんたたち、本当に言われた通りに〇〇温泉行きの駅で待ってるの? そんな嫁置いて早くいらっしゃい!」
「えっ……どういうことですか?」
「〇〇温泉なんて行くわけないでしょ! あれはあんたを撒くための嘘よ。私たちは今から沖縄に行くの!」
義母が得意げに語ったホテルの名前を聞いて、私はハッとしました。先日、旅行プランをリサーチしていたとき、そのホテルが「最近オープンした高級リゾート」としてヒットしたのを覚えていたからです。
「いろいろプラン出してきてはくれたけど、な~んかどれもいまいちで、ワクワクしなくて。ほんっと使えない嫁だわ」「不出来な嫁には、お留守番しててもらいましょ。旅行すらまともに手配できないんだから、置いていかれても当然よね」
そう言って私を嘲笑う義母。もはや怒りを通り越して、感情が冷めていくのを感じました。
「……最初から、そのつもりだったんですね。何度も私のプランを却下したのも、私を困らせたかっただけですか」
「え〜? なんのことかしら。勝手な被害妄想はやめてほしいわ」とあくまでしらを切る義母。
「家族旅行の行き先は沖縄の高級リゾートホテルに変更済みよ♡」
「出来損ないの嫁は留守番してなさい!」
「ありがとうございます!」
「は?」
「もう1回言いますね、ありがとうございます! 置いて行ってくださって、本当に助かります!」と私が重ねてはっきり言うと、義母は呆気にとられたようでした。
「なんでお礼なんて言うのよ!? ここは悔しがるとこでしょ! ……さては強がってるのね?」と言う義母に、私は本心から「悔しいなんて思ってませんよ!」と言いました。
「正直、お義母さんの希望ばかりの旅行は、行きたくなかったんです。だから『置いていく』って言われて……ホッとしました」「だからもう1回お礼を言わせてくださいね、お義母さん。置いていってくださって、本当にありがとうございます!」
期待外れの反応だったのでしょう。「う、うそでしょ……なんで喜ぶのよ!?」と焦った義母の声が受話器越しに響きました。
義母の自爆と、自業自得の結末
「なんだか期待を裏切ってしまってすみません! 私のことは気にせず、どうか旅行を楽しんできてくださいね。……あ、でも1つだけ心配なことが」
「……はぁ? 急になんなのよ」と義母。私は自分のスマホで、義母たちが泊まる予定のホテルの名前を検索しました。
「お義母さんが予約された新しいリゾートホテル……たしか、すごくアクセスの悪い場所だったような。あ、やっぱり! そこ、沖縄本島じゃなくて離島に新しくできたホテルですよね? 那覇空港から乗り継ぎが必要みたいですけど、飛行機予約してますか?」
「なんですって!?」という義母の絶叫が耳に突き刺さります。
「そ、そんな……『沖縄』ってホテル名に入ってるし、本島のはずでしょ!?」という義母に、私は「テーマパークだって、『東京』って入ってるけど千葉県にあったりするじゃないですか」と冷静に指摘。すると、義母はパニックに陥ってしまったようでした。
「そ、そんな、那覇から先の飛行機なんて取ってないわよ! そうだわ、あなたが今すぐ予約を取ってちょうだい! 私たちが那覇に着く前になんとかして!」
「え、私が、ですか? 置いてけぼりにされたのに、頼られても……。このプランはお義母さんが立てたものですし、すべての対応はご自身でどうぞ。私は大人しく留守番してますので」
義母の悲鳴を最後に、夫は静かに電話を切りました。そして夫は私に向き直り、険しい表情でこう言ったのです。
「信じられない……置き去りにしようとするなんて。お前のためにも、俺のためにも……もう、母さんとは縁を切るよ」
「それと……母さんが予約させた〇〇温泉の旅館だけど、すぐキャンセルしよう。母さんの思い通りに振り回されるのはもうごめんだ」
夫のその言葉で、私はハッとしました。 「そうね……でも、今からキャンセルだと……」
嫌な予感がしつつも、私は旅館へのキャンセルの連絡を入れました。
「ホテルの件は自業自得だから気にするな。むしろ、教えてあげてよかったんじゃないか? 俺たちも母さんたちのドタバタ旅行に付き合わされなくて済んだし、ここからは気持ちを切り替えておいしいものでも食べに行こう。今度は俺が予約を取るから、またあらためて2人で旅行にも行こうな」
その言葉に、私は心の底からホッとしたのでした。
その日の夕方――。
義母から泣きそうな声で電話がかかってきました。どうやら那覇空港に到着して、現実を突きつけられたようです。
「どうしよう! あなたの言った通りだったの! 乗り継ぎ便も船も全部満席、しかも那覇のホテルもスイート以外どこも満室で……!」
「那覇のあたりのスイートだと、1泊1室10万円超ですよね? お義母さんにぴったりじゃないですか」と言うと、「私たちのほかに、親戚たちの部屋も必要なのよ!? そんなに払えるわけないでしょ! お願い、なんとかして!」と懇願してきました。
私は「嫁失格な私が選ぶと、せっかくの旅行が台無しになってしまいますから」と断り、さらにとどめの一言を付け加えました。
「それから、お義母さんの指示通りに予約し直した『〇〇温泉』ですが……先ほどキャンセルの連絡を入れたところ、当日のキャンセル料が100%発生しました」
「は、はぁ? まだチェックインの時間じゃないでしょ!?」
「お義母さんが指定した『最高級懐石プラン』は、すでに食材の準備が終わっていますからね。5部屋分で約30万円、全額請求されます」
「さ、30万!?」
「独断でプランを変更したお義母さんに、このキャンセル料を負担していただくのが筋かと思いまして。後ほど、夫からお義父さんに正式にご相談させていただきますね」
電話の向こうで、義母は言葉を失っていました。
その後――。
結局、義母たちの旅行は散々だったようです。那覇市内のホテルは取れず、本島の端にある年季の入った民宿に泊まることになったとか。移動ばかりで観光もできず、義父や親戚たちからは大ブーイング。
さらに、夫が義父や親戚たちにこれまでの経緯をすべて話したことで、義母は「嫁いびりなんてみっともない」と総スカン状態に。旅行にかかった費用は義父が一時的に立て替えたものの、義母はその支払いのためにパートに出ることになったそうです。もちろん、私が予約しておいた分のキャンセル料についても、義母に全額支払ってもらうことで話はつきました。
そして、夫の宣言通り、私たちは義母と一切の連絡を絶ち、距離を置くことになりました。
理不尽な相手にいくら向き合おうとしても、疲弊するだけだと痛感しました。ときには、きっぱりと距離を置く勇気も必要です。
今回の騒動で、義母という大きなストレス源はなくなりました。しかし、なによりうれしかったのは、どんなときも私の味方でいてくれて、最後に「縁を切る」と決断してくれた夫の存在です。あまり良い思い出とは言えない1件ではありますが、夫との絆を再確認できてよかったと思っています。
【取材時期:2025年9月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。