「どういうこと? なんで亡くなる前に連絡してくれなかったの?」と、義妹は私を責めます。しかし何度も「義母に会いに来てほしい」と義妹には伝えていたはずです。それなのに義妹は仕事を理由に会いに来ませんでした。
そもそも義妹は、介護が必要になったタイミングで実家から出て行きました。それまでは金銭的な面はもちろん、生活面でも義母のお世話になっていたのに、一瞬で手のひらを返したのです。
しかし義母を亡くしたショックも大きいはず……連絡不足を詫びると、義妹は信じられないことを言いました。「ちゃんと介護してたの? こんなに早くに亡くなるなんて、あんたが手を抜いてたからじゃないの?」胸がざわつきました。
義妹の言いがかり
やれることはやった、と自分に言い聞かせても、やはり後悔は残っています。けれど、義母の最期が安らかだったこと、医師からも「よく看てこられましたね」とねぎらいの言葉をかけてもらえたことを思い出し、深呼吸をして気持ちを落ち着かせました。
義妹が義実家を出て行って、1人になってしまった義母。そんな義母を見捨てることはできず、私も夫も転職してこちらへ引っ越してきたのです。同居と介護によって生活は一変しました。
できることはやったと伝えても、義妹は納得がいかない様子……。「だからなに? あなたたちはお母さんにいろいろ援助されてたよね? だったら責任を果たすのは当然なんじゃないの?」と主張します。
義妹の言う「援助」とは、結婚祝いとしてもらったお金のこと。義母は2人の子どもが結婚したときのためにとコツコツ貯めておいてくれたのです。しかし義妹はいまだ独身で、そのお祝い金をもらっていません。そして、その援助金のことを「お兄ちゃんたちだけお母さんにちやほやされて腹立たしい」と思っているのでした。
「こんなに急に亡くなるなんて、あなたの関わり方にも原因があったと思ってるから。だから葬儀の準備はきちんとやって。手を抜いたら許さないからね!」と言って義妹は電話を切りました。言われなくても義母を送る葬儀に手を抜くつもりなどありませんでしたが……。
義妹に排除された嫁
義母の葬儀当日、義妹から「もうそろそろ葬儀会場に着く」と電話がかかってきました。しかし義妹の用件はそれだけではありません。
「準備が終わったら、あなたはもう帰ってくれる? 最後を見送るのは娘である私の役目だから」
私は耳を疑いました。葬儀の手配をしたのは私で、喪主である夫を支えたい気持ちもあります。それに、たった5年とはいえ義母と一緒に暮らしてきたのです。きちんと最後のお別れをしたいという強い思いがありました。
しかし義妹は、最後のお別れの時間に私が視界に入るのが嫌だと言って譲りません。「私はあんたのせいでお母さんを看取れなかったし、これ以上私を怒らせないでくれる?」と言われ、ついに私は言葉を失いました。
「親戚に“介護頑張ったアピール”でもするつもりでしょ? それでお母さんの遺産をもらおうったってそうはいかないんだから」と言われた私……。正直、義妹にここまで嫌われているとは思いませんでした。
義妹と顔を合わせれば、また場が荒れるはず……。義母を静かに送り出したい気持ちが勝ち、私は「もうあなたの前には二度と顔を出さないから」と伝え、義妹が来る前に会場を離れることにしました。
その電話を切る直前、義妹から返ってきたのは介護や葬儀の準備への感謝ではなく、「もう一生、顔見せなくていいからね!」という一言でした。その言葉が、私の心にグサリと刺さりました。
義妹からのヘルプ
2週間後、私たち夫婦は荷物をまとめて家を出ました。新しい家を見つけて引っ越しが終わるまでは、ものすごいスピードだったと思います。
しかし家を出てすぐあとに「今どこ!?すぐに戻ってきて!」と再び義妹から電話がありました。用件を聞くと、義母の葬儀の請求書が送られてきたものの、いただいた香典を使い果たしたようで払えないとのこと。
それに義母が亡くなったことで、たくさんの手続きをしなくてはなりません。義妹には内容がよくわからないようで、「もうギブアップだ」と泣きついてきたのです。
お別れをさせてもらえなかったのに今更頼ってくるなんて……呆れてしまいました。私は「もう顔を見せるなとまで言った私に頼らないでね!」と伝えて電話を切りました。
義母からの贈り物
義母の葬儀からしばらく経って、義母の遺言が明らかになりました。義母は私と夫に義実家と遺産のほとんどを遺してくれていたのです。
一方、義妹が受け取れることになったのは遺留分のみ。そこから、使い果たしてしまった義母の香典分を差し引かれ、義妹の手に渡りました。
義母の介護から逃げるように実家を出た義妹は、ろくに定職にも就かずアルバイトを転々としていたようです。遺産がもらえれば将来は安泰だと考えていた、と相続の話し合いの場で知りました。
義母なき後は実家に住む予定でいたようですが、私たち夫婦が相続したのでそれも叶いません。夫曰く、今は近くの格安アパートで細々暮らしているようです。
私たちは義母から受け継いだ家に戻り、穏やかに暮らしています。介護がなくなった今、私はガーデニングをスタート!義母の好きだった花を中心に植え、手入れをするたびに義母を思い出しています。
家族の形は血縁だけで決まるものではありません。思いを寄せ、責任を担い、歩みを共にした時間が、家族をつくるのだと思います。そしてその関係は、他の誰にも奪われることはありません。義母と過ごした5年は、私たち夫婦にとってかけがえのない時間だったと言えます!
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
例え使い込まなかったとしても、家族葬規模の葬儀費用ですら、香典じゃまかないきれないと思うけど。