それは夫の妹である義妹でした。彼女は定職に就かず実家に居座り続ける、いわゆるパラサイト・シングル。自分は何もせず親に甘えてばかりなのに、義母と私が仲良く話していると「他人のくせに媚び売って」と露骨に嫌みを言ってくるような性格でした。
どうやら、私に自分の居場所を奪われると思って逆恨みしているようです。
大好きな義母の還暦祝い
義母の還暦祝いには、私が腕によりをかけて手料理を振る舞うことにしました。義母からのリクエストを聞くと、なんとタイ料理。当日に向けてレシピを調べ、本格的な調味料もそろえて準備は万全でした。
そして迎えたパーティー当日。義実家のキッチンを借りて、定番メニューのカオマンガイやガパオライス、トムヤムクン、パーティー向けのスアロンハイ(タイ風ステーキ)など、タイ料理を次々と作り上げました。
出来栄えも完璧で、いよいよパーティーを始めようとしたそのとき、外出していた義妹が帰宅しました。還暦祝いのことは伝えてあったはずですが、すっかり忘れていたようです。プレゼントもなければ、手伝う素振りすらありませんでした。
「貧乏メシ!」料理をゴミ箱へ!?
食卓についた義妹は、豪華な料理と、私と義母が楽しそうにしている様子を見て、おもしろくなさそうに顔を歪めました。すると、私のほうを見てニヤリと意地悪く笑い、「うわ!!! クサっ!!」と鼻を押さえて大げさに叫びました。
義母が「私のために、お祝いにタイ料理を作ってくれたのよ! 失礼なことを言わないの!」とたしなめましたが、義妹は聞く耳を持ちません。
「これ貧乏メシでしょ? お母さんに腐ったもの食べさせないでよ!」と言うなり、なんと大皿の料理をつかんで、そのままキッチンのゴミ箱へ捨ててしまったのです。
「ちょっと!」と慌てて止めようとしましたが間に合わず、時間をかけて作った料理は無惨な姿になってしまいました。
義妹が「臭い」と言ったのは、タイ料理特有の調味料・ナンプラーの香りでしょう。独特な発酵臭がするのは事実ですが、もちろん腐っているわけではありません。それは義妹もわかっていたと思いますが、ただ臭いを口実にして、私を困らせてやりたかったのでしょう。とっておきの材料で作ったお祝いの料理を一瞬にしてゴミ扱いされ、私はショックで言葉を失いました。
義母の決断「育て方を間違えた」
義私が泣きそうになっていると、義母がゴミ箱の中の料理と、ヘラヘラしている義妹を交互に見つめ、深くため息をつきました。そして、今までに見せたことのない寂しげな表情で口を開きました。
「……人の厚意を踏みにじって平気な顔をしているなんて。私があなたを甘やかしすぎたせいね。育て方を間違えてしまったわ」
その静かな迫力に、義妹から笑顔が消えました。
「今まで食事作りも洗濯も、当たり前のように私がやっていたけれど……もう二度と、あなたのお世話はしません。還暦を機に、私は母親業を引退します」
「え? どういうこと?」と戸惑う義妹に、義母はきっぱりと言い放ちました。
「あなた、来月までに家を出て自立しなさい。もういい大人なんだから、自分の稼ぎで好きなものを食べて、自分の力で生きていきなさい」
義妹は「そんな急に無理だよ! お金もないし!」と泣きつきましたが、義母の意思は固く、「無理なら住み込みの仕事でも何でも探しなさい。ここにあなたの居場所はありません」と、冷たく突き放しました。夫も「母さんの言う通りだ」と同意し、義妹は逃げ場を失いました。
タイ料理は義母にとって大切な思い出の味
後日、夫から聞いた話では、義妹は泣きながら荷物をまとめ、期限ギリギリに家を出ていったそうです。今は安いアパートで一人暮らしをしながら、必死に働いているとか。
私たちはというと、改めて義母の還暦祝いをやり直すことに。そこで義母は、なぜタイ料理をリクエストしたのか、その理由を語ってくれたのです。実は、タイは亡き義父との新婚旅行で訪れた思い出の場所だったのだそう。
「あのとき、お父さんと二人で食べた味をもう一度食べたかったの」と懐かしそうに語る義母を見て、私は胸が熱くなりました。
義妹が「貧乏メシ」と呼んで捨てたのは、単なる料理ではなく、両親の大切な思い出だったのです。それを知ったとき、改めて義母の決断は正しかったのだと感じました。
少し手荒な荒療治でしたが、これでようやく家族みんなが穏やかな時間を取り戻せた気がします。これからも義母のために、おいしいタイ料理を作っていこうと心に誓いました。
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
誰?
コピーロボット?w
どちらにしろ初めて見る言葉だわ