上杉謙信の幼名は?
戦国武将の幼少期の名前は、その後の運命を予期させるような意味が込められていることもあります。
この記事では、上杉謙信の幼少期の名前をクイズ形式でご紹介します。あなたの歴史知識に挑戦してみましょう!
次のうちから選んでみてください。

① 虎千代
② 雲洞庵
③ 吉法師
正解は……



①の虎千代(とらちよ)でした!
上杉謙信は、幼い頃「虎千代」という名前で呼ばれていました。これは、虎のように強く、たくましく育ってほしいという、家を継ぐ者に対する願いが込められた名前です。
若くして越後の国主となり、敵対した関東管領家の家督を継いで「上杉」姓を名乗るまで、彼は長尾景虎(ながおかげとら)という名前を名乗っていました。
彼の幼名にも、本名にも「虎」の文字が入っているのは、非常に興味深いですね。
▲雲洞庵
雲洞庵(うんとうあん)はお寺の名前です。
新潟県南魚沼市にあるお寺で、上杉景勝(謙信の養子)と、その重臣である直江兼続が幼少期に修行した場所として有名です。
吉法師は織田信長の幼名です。
豆知識:潔すぎる義侠心「敵に塩を送る」

上杉謙信の武士としての高い倫理観を象徴する有名な逸話が「敵に塩を送る」です。
川中島の戦いで激しく争ったライバル、武田信玄は、ある時、同盟国であった今川氏などによって領国(甲斐:山梨県)への塩の供給路を絶たれてしまいました。当時、塩は食料だけでなく生活に不可欠なもので、領民は大変な苦境に立たされました。
この状況を知った謙信は、「武士の戦いは弓矢で決するものであり、兵糧攻めのような外道はしない」として、信玄に越後(新潟県)から塩を送ったとされています。
この逸話から、「敵の弱みにつけ込まず、かえって助ける」という義侠心のある行為を「敵に塩を送る」と言うようになりました。
ちなみに、戦で民百姓が苦しまないため戦場を川中島にすることや塩を武田側に送ることを勧めたのは雲洞庵十世(10代目)住職の北高全祝(ほっこうぜんしゅく)であると言われています。
豆知識:現代に受け継がれる「川中島ダービー」の因縁

上杉謙信と武田信玄の因縁深い戦いといえば、川中島の戦いです。
この歴史的なライバル関係は、現代のJリーグにも受け継がれており、両者にゆかりのあるチームが対戦する際に「川中島ダービー」と呼ばれています。
川中島ダービーの対戦カード
・上杉軍(越後)の末裔:アルビレックス新潟(新潟県)
・武田軍(甲斐)の末裔:ヴァンフォーレ甲府(山梨県)
過去の対戦成績(Jリーグ公式戦)J1およびJ2リーグでの公式戦における両チームの通算対戦成績(2024年シーズン終了時点)は以下の通りです。
・アルビレックス新潟 15勝10分11敗
・ヴァンフォーレ甲府 11勝10分15敗
現在のところ、アルビレックス新潟がわずかにリードしています。歴史上のライバル対決と同じく、現代のJリーグでも熱い戦いが繰り広げられています。