「合鍵を作って」と言う義母に、夫は…
ある日のこと、私は夫に声をかけました。義母から「合鍵を作ってほしい」と連絡が来たのです。すると夫は特に深く考えていない様子で、「母さんも来られたほうがいいよな。じゃあ作るか」と軽く言い、私はその瞬間、嫌な予感が確信へと変わりました。義母は“緊急時の備え”として鍵を持つタイプではなく、自分の都合で家に踏み込んでくる人なのです。
私はそのことを説明し、共働きの私たちの家に勝手に入られては落ち着けないと訴えました。しかし夫は、「母さんは家事を手伝うつもりなんだよ」と言い出し、その話を私に共有していなかったことまで笑ってごまかしました。「見られて困るものなんてないだろ」「家事がラクになって一石二鳥じゃん」と言われても、私にはデメリットしか浮かびません。
これまで会うたびに嫌味を言われてきたのに、さらに接点を増やせと言われ、「文句を言われないように心がければいいだろ」とまで言われたときには、怒りと情けなさで頭が真っ白になりました。
2カ月前、私が作った料理を食べて、わざと「辛い」と大騒ぎして作り直させたことも思い出し、私は今回の件も嫌がらせだと確信していました。それでも夫は、私の感じ方を「妄想」と片づけ、専業主婦歴の長い義母に頼ればラクになると言って譲りません。私は最後に、合鍵は絶対に渡さないこと、そして夫にも渡さないでほしいことを強く念押しました。
義母から届いた手紙で“ある事実”が明らかに
しかし2週間後、最悪の形でその裏切りが明らかになりました。19時ごろ、義母からご丁寧な手紙が届いたのです。そこには、洗濯物の畳み方が雑だ、トイレ掃除をサボっているなどの注意が並んでいましたが、どれも夫の当番でした。つまり義母は、勝手に家へ入り、私たちの生活を細かく点検し、そのうえ一方的に私を責めてきたのです。
夫を問い詰めると、「鍵を渡せと何度もしつこく言われて大変だったから」と言い訳しましたが、さらに信じがたい言葉が続きました。将来は義母と一緒に住むつもりで、そのために今から少しずつ仲良くなればいい――まるで当然の流れであるかのように語ったのです。私は結婚前に、親との同居はしないとお互いに確認したはずでした。それなのに夫は、あのときは結婚したかったから嘘をついたのだと、あっけらかんと認めました。
さらに夫は、義母が寂しいのだから同居するのは自然なことだと理屈を並べ、私が拒否すると「俺のことが好きなら我慢できるだろ」と話をすり替えてきました。私は心がすり減り、もうまともに受け止めることができなくなっていました。そこで、しばらくは食事を作らないと告げ、外で食べることで自分の感情を守るための距離を取ったのです。
義母が突然訪問…明かされた“結婚の本当の理由”
数日後、今度は義母本人が突然やってきました。「妻なら食事を用意して当然」「共働きは言い訳にすぎない」など、これまでの嫌味とは比べものにならないほど露骨な言葉を投げかけられました。私は、働いているからではなく、夫に腹が立って作らないだけだと説明しましたが、義母は理由を聞こうともせず、一方的に私が悪いと断じました。さらに、「息子は素直でやさしいのに、あなたは性格が悪い」と笑いながら言い切ったのです。
その瞬間、私の中で何かが切れました。夫が義母に合鍵を渡したこと、同居の話まで相談なく進めていたことを指摘し、彼がいかに自己中心的で他人への配慮に欠けているか、むしろ義母とそっくりだと伝えました。すると義母は激昂し、「そもそも最初からあなたのことは気に入らなかった。顔も態度も生意気だ」とまで言ってきました。そして息子が、私の稼ぎが良いことや将来の介護を担うだろうという“条件”を挙げ、「将来のために必要だから」と説得したため、仕方なく結婚を認めたのだと明かしたのです。
その評価があまりに露骨で、怒りよりも先に不思議なほど冷静になりました。なるほど、私は最初から妻というより“都合のいい存在”として見られていたのだと悟ったのです。義母は続けて、「息子に謝って食事を作りなさい。それができないなら離婚させる」と脅してきました。私は表面上、「受け止めます」とだけ返しましたが……。
帰宅すると鍵が回らない…夫に連絡すると
その1週間後、帰宅した私は、鍵が回らないことに気づきました。まさかと思い夫に連絡すると、彼は「俺じゃない。母さんかも」と答え、私を追い出すと息巻いていた義母の“行動力”を、まるでおもしろがるかのように笑いました。この瞬間、夫には私を守る気などなく、むしろ私が傷つく姿すら娯楽にしているのではないかと感じました。
合鍵の件も、同居についての嘘も、家事をめぐる無責任さも、すべては義母の機嫌を優先し、私に我慢を強いるためのものでした。私はその場で「わかった、家を出て行くね」と告げ、「少し前から考えていたの。離婚して」とはっきり伝えました。
夫は「合鍵くらいで」と軽く言いましたが、私にとって問題は鍵そのものではありません。私の味方になると約束しておきながら見捨て続け、義母の暴走を止めるどころか同居するための手段として利用し、私の生活の“安全基地”を差し出した夫の姿勢こそ、すでに修復不能だったのです。
離婚を拒む夫に対し、義母が“決定的なひと言”
数日後、夫から「合鍵を返してもらった。謝りたい。母さんにもはっきり言う」と連絡がありました。けれど私は、同居しないという約束を最初から嘘で塗り固めていた時点で、すでに信頼は崩れていると伝えました。さらに決定打となったのは、義母の口から聞いた“結婚の理由”でした。
私の収入が良いから選んだのではないかという疑念は、生活費のほとんどを私が負担し、貯金をお願いしても夫の手元にお金が残っていない現実と結びつきました。夫は義母に欲しい物をねだられて買い与えていたと言い、私はこの親子の“財布”として消耗させられてきたのだと確信しました。ローンの契約は夫名義だったため、私はすぐに家を出ると告げました。
夫はこれまで、ローン以外のお金を自由に使ってきました。それができなくなると悟ったのか、今さら謝ってきましたが……。私が許せないのは義母だけではなく、何もかも義母任せにし、私の気持ちを踏みにじってきた夫自身だと突きつけました。最後には、母親の言いなりで大人になれない彼に決別を告げ、離婚の準備を進めました。
復縁の要請はその後も続きましたが、最終的には義母が「こんな女とは別れなさい」と言うと、夫はその言葉に従い、皮肉なほどスムーズに離婚が成立しました。結局、購入したマンションには夫と義母が一緒に暮らしているようです。浪費癖があり、夫以上に自分勝手な義母との暮らしは大変なようですが……もう私には関係のないことです。
私は今、誰にも邪魔されることのない生活となり、穏やかに日々を過ごしています。2人から離れた今、ようやく本当の意味で“自分の家”に帰れた気がしています。
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家族の形や距離の取り方に正解はありませんが、誰かが一方的に我慢し続ける関係は長くは続きませんよね。互いの境界線を尊重し合える関係づくりこそ、安心して暮らせる家庭への大切な一歩なのかもしれません。
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。