在宅ワークと義父の「呼びつけ介護」
夫のひと言で、仕事×介護の両立生活がいきなり始まりました。 義父は在宅介護が必要な状態ですが、声だけは異常に元気。 私が在宅勤務の日になると「おい!! 早く来い!」 「呼んだらすぐ来るのが嫁だろ!」と家中に怒鳴り声が響き渡るのです。
リモート会議中もお構いなしに怒鳴り声が響き、私は会議相手に謝るばかりの日々。 義父の部屋に入ると「テレビがつまらん!別の番組に変えろ!」と言うのです。私が「それだけですか?枕元にリモコンがありますから、自分で……」と言いかけると、義父は「寝たきりの俺に無理させる気か!なんて鬼嫁だ!」と言い放ったのです。私の提案はすべて“反抗”扱い。何をしても怒られ、できていても文句を言われ……。夫に相談しても「在宅なら融通きくだろ?俺は外で仕事してんだからさ」 と言い、一切手伝ってくれず。
1週間も経てば、私は寝不足とストレスで体重が3キロ落ちていました。 それでも義父の呼び出しは止まりません。私の生活も、仕事も、体力もどんどん削られていきました。
娘の帰省と「ダブル介護」の現実
ある日、帰省した娘が「どうしておじいちゃんがここにいるの? お母さん、全部ひとりで介護してるの? どうして言ってくれなかったの!?」と慌てて私へ視線を向けました。私は義母が入院中で、義父を在宅で介護していることを娘に話しました。
娘は怒りと心配が入り混じった顔で「お父さんは何もしてないの!?」 と激怒! そして「私も手伝うよ」と言い、義父の部屋へ向かいました。しかし、義父は娘にも容赦なく「子どもなんか寄こすな!」とバッサリ。怒鳴り声が続いても、娘は落ち着いて必要なケアだけをこなし、その姿に私は救われる思いでした。しかし現実はさらに厳しくなり、義母の退院が決まり「義父+義母」のダブル介護がスタート。 義母は義母で手強く「こんな味付けじゃ食べられない! 作り直し!」「清拭が下手! もう一回やり直して!」と、とにかくダメ出しの嵐。仕事と介護の両立に限界を感じ、私が退職を決意したことを夫に告げると「は? 仕事辞めるってマジ?3食昼寝付きで家にいられて、介護を理由に仕事まで辞めてズルいよな。 俺なんて朝から晩まで働いてんのにさ」とひと言。
私の中で何かが音を立てて崩れました。娘にも退職することを伝えると「どうしてお母さんが犠牲になるの? そんなのおかしいよ!」と激怒! このとき私は、“耐えるしかない”と思っていました。娘が動き出すまでは……。
娘の一芝居、夫の誤算
ある日、娘が再び帰省し、夫に向かって「お父さん、お母さんに“介護を理由に仕事まで辞めてズルいよな”って言ったんだって?」と問いかけました。すると夫は悪びれることなく笑いながら「介護を理由に仕事辞めてラクしてんだろ?三食昼寝付きでいいよな〜」と吐き捨てたのです。その言葉に、娘はあえて軽い調子で「そうだよね〜。じゃあ“戒め”に離婚届でも書いとけば?」と仕掛けたのです。すると夫はまんまと乗せられ、「そうだな!離婚したら三食昼寝付きの生活を手放すことになるんだもんな!だから“離婚届を書いておけば言うこと聞くだろ”って意味だよな!」と得意げに言いながら、離婚届に署名したのです。そして「俺はいつ離婚してもいいから。あいつがちゃんとやるなら離婚しないでやるよ」と言い放ったのでした。
そして翌朝。娘から記入済みの離婚届を手渡された私は、そのまま家を出ました。ダイニングテーブルには『楽な介護はあなたにお任せします。元・妻より』と1枚のメモだけを残し……。その後、離婚届は無事受理され、私は晴れて“元・妻”に。
数日後、元夫が娘の家へ怒鳴り込んできましたが、私は静かに「私はもう、あなたの嫁じゃありません。あなたの望んだ“三食昼寝付きの生活”、存分に楽しんでください」とひと言。元夫は何も言い返せず帰って行きました。私と娘は3食昼寝つきとはいきませんが、穏やかな日々を過ごしています。
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介護は、家族の誰かひとりが背負っていいものではありません。限界を超える前に助けを求めること、ときには“離れる”という選択をすることも、自分と家族を守る大切な行動なのかもしれません。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。