夕食後、いつものようにお茶を飲んでいたとき、夫が真顔で「大事な話がある」と切り出しました。夫は「今年で定年だろ。退職後のことを考えたんだが……俺と離婚してくれないか」と静かに告げたのです。
夫から突然突きつけられた「離婚」の二文字
夫は、自分は夫として父として家庭を支え、会社でも必死に働いてきたのだから、これからは荷物を背負いたくない、自由になりたいのだと続けます。
離婚したい理由をつらつらと述べる夫の口調は「家族を支えてきたのは自分だけだ」と言わんばかり。胸の奥から怒りが込み上げてきました。実際には、夫は家庭を顧みず好き勝手に過ごしてきたのです。
「まるで、家のことは全部あなたが支えてきたみたいな言い方ね」と伝えると 「その通りだろ? 俺の稼ぎがあったから、お前はずっと専業主婦でラクに暮らせたんだし」と、譲りません。
「あなたの収入で生活が成り立っていたのは事実。でも、家のことはほとんど私がやってきたよね。もともと私も働いていたのに、『家庭のことをお願いしたい』って言ったのはあなたでしょ」 私がそう言っても、夫は「細かいことはいいだろ」と笑い飛ばすだけでした。
背中を押してくれたのは…
その日の夜、ちょうど娘から電話がかかってきたので、離婚の話を伝えました。てっきり娘は驚くと思っていたのですが、返ってきた言葉は意外なもの。
「おめでとう! お母さん、やっと解放されるんだよ? よくあんなお父さんと一緒にやってきたなってずっと思ってたんだ!」娘は、少し笑い混じりに、でも真剣な口調で続けました。
「お父さん、外では『家族思いの父親』って顔するけどさ、家では全部お母さん任せだったじゃん。しかも、外でお父さんが失礼なこと言ったとき、フォローしてたのはいつもお母さんだったよね。離婚って聞いて、正直ホッとした。お母さんには、もっと自分のために時間を使ってほしい」
娘の言葉を聞きながら、胸の奥でふつふつとしていた怒りや悲しみが、少しずつほどけていくのを感じました。
子どもだと思っていた娘は、私たちのことをよく見ていたのです。しかし頼もしい気持ちの半面、少し申し訳ない気持ちもあります。長年娘には複雑な思いを抱かせてしまっていたのでしょう。
それでも、娘のこの言葉は、私の背中を押してくれました。
自由な老後への期待
それから私は、静かに準備を進めました。別居のための部屋探しはもちろん、今住んでいる家の片付けのほか、財産の分配のために弁護士にも相談しました。
一方の夫は、相変わらず浮かれた様子でした。「老後の準備が進むと気持ちが軽くなるな。離婚届も用意したし、財産分与は折半でいいだろ。専業主婦だった君には多いくらいだと思うけどな」
「ありがとう」と言いつつも、内心では「法的にも折半が適正ですけどね」とつぶやいていた私。それでも適正な分配ができるなら……と言いたいことはすべて飲み込み、淡々と話を進めました。
引っ越しが終わり、離婚協議もまとまり、あとは書類を出すだけという段階になっても、夫の口から出るのは「自由な老後」への期待ばかりです。
「退職金も入るし、年金もあるし、これからは釣りにツーリングに旅行三昧だ! ご近所に友だちもたくさんいるし、予定が増えて困るくらいだな」
そんな夫の言葉を聞くたびに、「この人は本当に呑気だなぁ」と、ある意味感心してしまいました。
夫が見た現実
離婚が成立し、私が家を出て数カ月たったころ、私のもとに、久しぶりに元夫から電話がかかってきました。
期待たっぷりで迎えた定年後の生活でしたが、誰も相手をしてくれないのだそう。「誰も俺を誘ってくれない」と、愚痴とも泣き言ともつかない声が聞こえてきました。
「定年退職して、自由な生活が始まると思っていたのに、近所のやつらは誰も声をかけてこないんだ。ゴミ出しの曜日を1回間違えただけで、めちゃくちゃ怒られたし……」
それもそのはず。このあたりはカラスの被害が多いため、厳しいゴミ出しのルールがあります。以前から何度も説明していたのに、当時から元夫は「細かいことはいい」と聞き流していました。
さらに元夫は続けます。「前はバイク仲間や同級生が毎月のように飲み会やツーリングに誘ってくれてたのに、今は誰も連絡してこないんだ。グループの連絡アプリも、俺が何か送っても既読スルーで……。なんで急に周りが冷たくなったんだ……?」
その話を聞いて、私ははっきりと確信しました。「そんなの簡単なことよ。これまでずっとあなたをフォローしていたのは、いつも私だったってこと。いなくなって初めて気付いたんじゃない?」
ご近所付き合いも、元夫の友だち付き合いも、全部私が間に入っていたのです。元夫が延々と話す武勇伝を途中で止めたり、もう帰ろうという雰囲気を察することができない夫を説得して連れ帰ったり、自分の都合ですぐにルールを変えようとする元夫のフォローも私がしていました。
そういう私の細かい気遣いのおかげで、元夫は「気のいい人」として受け入れられていたのでしょう。一つひとつ伝えていくうちに、元夫の声はだんだんと小さくなっていきました。
役立たずな夫
そこでふと思い出したのが、お隣さんからのメール。離婚してすぐ、捨てられていないゴミが庭に溜まっているからどうにかできないか? と相談されたのですが、離婚したのでどうにもできないと返事をしていました。
気がかりだったので元夫に聞いてみると「どう片付けていいかわからなくて……とりあえず庭に置いてある」とのこと。お隣さんに申し訳ない気持ちでした。
「私がいなくなった分、全部自分でやらなくちゃね。誰かがやってくれると思っていたら、あっという間に家の中が大変なことになるからね」そう伝えると、電話の向こうでしばらく沈黙が続きました。
夫の悪いクセ
数週間後、今度は娘から連絡が来ました。なんでも、元夫から「1人暮らしは寂しい」「たまには遊びに来い」という連絡が続いているとのこと。
娘がのらりくらりと断っていると、ついに元夫は「育ててやったんだから、これからはお前が俺の面倒を見るのが筋だろ」と、自分のお世話を強要してきたそうです。
それだけならまだしも、元夫は「子どもがいないんだからそれくらいできるだろ。子どもができないのは親不孝をしたせいだ」とまで娘に言ったとのこと。
これは私にとっても許し難いこと。元夫も娘が不妊で悩んでいたことを知っているはずなのに……。あまりに酷い発言にしばらく言葉が出ませんでした。
元夫はいつもそうなのです。相手の気持ちを考えずなんでも口に出し、トラブルになるたびに「自分は媚びない人間だ。言いたいことを言って何が悪い」と自分を正当化します。
娘の声は明らかに落ち込んでいました。「離婚した私に頼むのは気が引けるけれど、これ以上は耐えられない。どうにかしてほしい」そんな気持ちがひしひしと伝わってきたのです。
元夫の末路
私は元夫に連絡を入れました。電話に出た元夫は、どこかホッとしたような様子で「俺がいなくて困ってるのか? どうせ金だろ? 」と失礼な発言。
私は娘から聞いた一部始終を伝え、もう娘には連絡しないようにと伝えました。
それを聞いた元夫は「娘に迷惑かけたくないなら、お前が戻ってきたらいい」と信じられないことを言います。自分の非が理解できない元夫には呆れてしまいました。
その言葉を聞いて、私は静かに息を吸い込み、淡々と伝えました。
「そこまで言うなら戻ってもいいよ。ただし"妻"としてじゃなく、"住み込みの家政婦"としてね。時給は最低賃金でいいけど、あなたは時間問わず私に用事を押し付けるから24時間体制ね。月にかなりの額になるけど、それでもいい? ちなみに、ご近所付き合いのフォローはオプション料金です」
夫は一瞬黙ったのち「元妻に金を請求されるとは思わなかった!」と怒鳴ります。
しかし元を正せば「自由な老後」を求めて一方的に離婚を言い渡したのは元夫です。思ったような老後が手に入らなかったからといって、今さら「家族なんだから助けてくれ」だなんて、都合が良すぎるのです。私には、無料の家政婦を求めているだけにしか聞こえませんでした。
「俺はただ……家族として頼ってるだけだ! 離婚を切り出したことは悪かったと思ってる。謝るから、そんな意地悪なこと言うなよ!」と元夫は言いましたが、私はもう頼られる「家族」ではありません。
それに、私のありがたみをまだわかっていない元夫は、これからも変わらないでしょう。
「戻ってくる気はないってことか?」とおそるおそる聞いてきた元夫。「当然でしょ? 離婚を言い出したのはあなた。私はその選択に従っただけ。あなたの“自由な老後”に、私は含まれていないんだから」
しばらく何か言いかけては飲み込む気配がしたあと、元夫は小さな声で「……そうか」とだけ言って、電話を切りました。
自由な老後
ご近所さんや共通の知人から聞いた話では、元夫はますます孤立しているようです。
ゴミ出しトラブルを何度も起こし「あの人とは関わりたくない」と距離を置かれていること。また、かつての会社に再雇用の相談をしたものの、「今の部署の体制上、難しい」とやんわり断られてしまったこと。友だちとも疎遠になり、一日中スマホを触って過ごしていること――。どれも手に取るように想像できてしまいます。
娘も「お父さんは正直もう無理」とはっきり伝えたそうです。
一方の私は、ひとり暮らしを始め、少しずつ新しい生活に慣れてきました。ひとりの老後に不安になる瞬間もあります。でも、私には娘もいて、子育て中に出会ったママ友や長年付き合ってきたご近所さんがいるので、孤独を感じることはありません。
休日は何かしらの誘いをいただくので思った以上に予定が入り、毎日があっという間に過ぎています。
あのとき、「離婚してくれ」と言ったのは元夫でしたが、結果的に「自由な老後」を手に入れたのは、私のほうだったのかもしれません。
♢♢♢♢♢♢
一番そばにいる人の「当たり前の支え」に気付けるかは、人と人との関係性の上でとても大切なこと。見えないサポートを当然と思えば、人は離れていきます。
そんなささいなことに気付き、感謝できる人でありたいと思わされる体験談でした。
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。