独眼竜政宗、幼少期の名前は?
伊達政宗の幼少期の名前をクイズ形式でご紹介します。あなたの歴史知識に挑戦してみましょう!
次のうちから選んでみてください。

① 梵天心
② 梵英心
③ 梵天丸
正解は……



③の梵天丸(ぼんてんまる)でした!
伊達政宗は、幼い頃「梵天丸」という名前で呼ばれていました。
この「梵天」とは、仏教を守護する神様である梵天(ぼんてん)に由来する名前です。
両親は、この名に「仏神の加護を得て、強く立派に育ってほしい」という願いを込めたとされています。幼い頃に天然痘を患い、片目を失明するという運命に見舞われましたが、その困難を乗り越え、後に天下にその名を轟かせました。
政宗の幼名「梵天丸」は、その後の彼の波乱万丈な人生を予期させるような、強い願いが込められた名前だったのです。
豆知識:幼名「梵天丸」と、もう一人の政宗
政宗が名乗った「政宗」という名前は、実は伊達家の中興の祖とされる室町時代の名将、伊達政宗から受け継いだものです。
- 梵天丸が受け継いだ名前:伊達家第9代当主(室町時代)の伊達政宗
戦国の伊達政宗:幼名から改名後、自身が受け継いだ偉大な名と同じ名将に負けないように、強く意識していたと言われています。
戦国の伊達政宗が先祖から継いだのは「政宗」という名前(諱:いみな)であり、伊達家の誇りと、家を再興する期待が込められていました。
豆知識:独眼竜政宗の「平和な晩年」

織田信長が本能寺の変で、上杉謙信が病死で急逝したのに対し、伊達政宗は江戸幕府の基礎が固まった後も生き続け、大名としての地位を保ったまま亡くなりました。
1. 江戸幕府での地位確立
豊臣秀吉の死後、政宗は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは徳川方として参戦しました。
その後、仙台藩62万石の礎を築き、家康の天下が確立した後も、幕府内で一定の発言力を持つ有力大名としての地位を確立しました。
2. 晩年の外交と挑戦
政宗の晩年で最も有名なのは、1613年に家臣の支倉常長(はせくらつねなが)をメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)を経てローマへ派遣したことです。
これは「慶長遣欧使節団」と呼ばれ、伊達家単独での、鎖国体制が固まる直前の最後期の外交的な試みとなりました。(※これ以前に「天正遣欧少年使節」が派遣されています)
3. 天寿を全う
政宗は、江戸幕府第3代将軍である徳川家光の時代まで生き、1636年に70歳で病死しました。
戦国時代を生き抜き、天下人たちに翻弄されながらも、巧みな外交術で家と領土を守り抜き、平和な時代に入ってから大往生を遂げたという点で、彼は数少ない「勝者」の一人と言えます。